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2012年02月 アーカイブ

2012年02月17日

企業は本当にそばに立ってくれる金融機関と生きるべし

NHKで今やっている「被災地の信用金庫」。気仙沼信金が、気仙沼の水産加工会社への融資を行うまでのドキュメンタリー。津波で一切合財失った水産加工会社はメインバンクであり既往で3億円の借り入れがある銀行に新たな再興のための融資を要請し断られる。そこで、気仙沼信金に赴き、経営者と信金の担当者、理事の真剣なやり取りが続く。融資は、日本政策金融公庫、保証協会の支援を得ておりることになった。しかし、そこで銀行がかみつく。「断った覚えはない。公庫がかむならうちが面倒をみる」。そこで、公庫は手続きをストップしてしまう。すでに銀行に不信感を持つ経営者は信金と話を進めたいと判断する。しかし、銀行は経営者に「3億円を返さないとそれは認めない。それは無理だろうから、うちと進めろ」という。真摯に知恵を出し話し合いをしている信金と関係をつくるべきだと判断した加工会社の経営者。その想いを聞き、信金の理事は理事長に直談判する。3億円を、信金が追加融資して銀行に一括返済するというプランの是非を問う。「他の事業者にも波及する気仙沼の代表産業を潰してはいけない」と理事長はいい、「経営者がその気であるなら、信金も本気で支援をする」理事は、経営者に言った。経営者は涙する。50人の従業員の生活も、関連する事業所のことも守ることができる。
かつて、商売をしていた私の父のメイン取引先の銀行は第一勧銀(現みずほ銀行)。仕入れた漬物やみそなどを売っていたのが父の商売だ。バブルのころは、銀行の支店に行くと担当者がモミ手するようにして父の所へ来たし、我が家にも来て金を借りてくれと言ってきたものだ。でも、それから5年くらいして、バブルがはじけ、我が家の商売が苦しくなったとき。銀行の対応はとても冷たくなり、留守電に吹き込まれるメッセージに感情を感じることはなくなった。ため息すらわざとらしく吹き込まれた。そして、お願いした融資はにべもなく断られた。個人の例先企業にとっては、血流を止められたのと同じ。死刑宣告みたいなものだった。結果的に、国民生活金融公庫が400万円を融資してくれた。400万円。かつて、モミ手していた銀行員が簡単に融資を申し出ていたような額だ。


数年間は苦しい時期が続いた。
週単位で催事を請け負っていた父は目に見えて家にいる日が増えた。
家計は苦しくなり、目に見えて家族はバラバラになっていった。
家に帰ると父親が自殺しているのではないかと思うような毎日だったが、それでも母のパート代と勤めた私の給料でなんとか生活を続けた。
私自身も、学生時代にあんなにあこがれた、将来の自分の温かい家庭をいつしか、
家庭なんか持ちたくない、と思うようになり大切なものも失った。

でも、2000年に転機が訪れた。
父親が商売の方法、業態を変えたのだ。まだ、惣菜ブームが来る前に、「田舎のお母さんが作ってくれるような手作りの惣菜」を売り始めた。
時代の先取りとなった商売はたちまちV字回復した。たちまち、売り上げは回復した。
自分はその頃はもう社会人だったが、みずほ銀行に対して「何を見ていたんだ」という怒りと「ザマミロ」という気持ち良さがあった。
2000年以降になると、みずほ銀行は公的資金として兆円単位のお金を国から注入された。信じられなかった。

何も、すべての銀行が悪い、といいたいのではない。診断士仲間では地銀仲間もたくさんいて、彼らは優秀で情熱的で、そして真摯だ。(ここ10年ばかり法人税も払ってこなかったような大きな都市銀はどうか知らない)また、信金の仲間も多いが、彼らは地域密着の機関として、泥臭い支援に明け暮れている仲間たちだ。


私は創業塾や経営者対象の塾を行うことがあるが、その時に言うのは「本当に、自分のそばに立ってくれる金融機関、苦しいときに目先の資金回収のためではない経営改善に提案をしてくれる金融機関と付き合うことが大切だ」と伝える。何の提案もなく、ある日突然、死刑宣告をするような機関ではなく。その死刑宣告の先にあるのは企業の死だけではないのだから。

自分たちも被災者であるはずなのに、尽力している気仙沼信金の職員さん、そして、苦難にほんろうされながら新たなステージに進むことができた経営者さんの様子を見ながら、思わず、胸が熱くなってしまった真夜中だった。

2012年02月19日

子育て世代にのしかかる負担

市からの通知が入っていた。
「年少者の扶養控除が廃止されたが、来年度も今年度同様の控除があったと同じ保育(所)料とします」
年少者を抱える世帯では38万円の扶養控除が廃止された。
その分、所得が増えたとみなされ増税されるだけではなく、
保育所などの月額が変わってくる。
中には、家賃などが変わってくる家庭もあるだろう。
我が家は子供手当が13000円から15000円に増えたものの、
3歳の子を育てる知り合いの家庭は10000円に減額された上に
非認可の保育園の月額保育料があがるのだという。

消費税の必要性を母校の大学で講演した野田総理は
「すべての世代が平等に負担する」といった。
社会にも出ていない、働いていない子供たちが(その子供たちの消費に関して)
消費税を負担する事ができるわけがない。
つまり、それは若い親世代の負担となる。
どこが「全世代平等な負担」なのだろう?

いま、若い世代に来ているしわ寄せの中でも、
とくにしわ寄せが子育て世帯に来ている。

この国の少子化は、
私よりも年上の団塊ジュニア世代の生活安定改善をないがしろにし、
その生活安定からの出生率向上の策を打たなかったことで、
もはや日本人だけでの人口バランス回復は絶望的な状況にあるのが現実だ。

そして今もなお、なんら改善の糸口は見えていない。
猶予がない現状は、実効的な手を打たなければ状況は悪化するばかりなのだ。

私の周りでも、「結婚したくてもできない」友人は少なからずいる。
「結婚しても、子供がほしくても作れない」
「二人目がほしくても作れない」友人は少なくないのだ。
その理由は「現状の生活・労働状況と将来への不安」。

まずは、若い世代が結婚でき、子供をつくり、共働きせず子育てができ、
時間的に家族との時間と所得を十分持てる雇用環境を整備し、
親の面倒をみることができるような環境作りが必要だ。
それは少子化改善に寄与するだけではなく、消費が活性化し、なおかつ
社会保障を圧縮することができる事につながるのではないだろうか。

一方で、若い世代はそのような環境づくりへのアクションをしていくことも
必要なのだろうと思う。

本当に、こんな思いをするのは我々だけで十分。
今の子どもたちには希望ある社会を残してやりたいものだ。

2012年02月24日

出生率の改善?数字のトリックです。

毎日新聞の記事で、

「2012年人口推計 合計特殊出生率1.35に改善 超高齢化、流れ止まらず」

という記事を見つけた。「改善」という言葉が非常に引っかかった。
改善している実感もないし、改善するほどのことを身の回りで環境整備されていると思わないからだ。

調べてみたら記事内で比較対象となっている2006年の年間出生数は

1 092 674人

そして、2010年の年間出生数は

1 071 304人

減っているのだ。

経営でも、粗利益を率だけで見ると道を誤る。

実数で見ること

これが重要。本当に改善と言えるのだろうか。

あたかも増えているような率の表わす数字のトリックに、騙されてはいけない。

これからも日本は子供が減り続けるのだ。

http://mainichi.jp/select/wadai/news/20120131ddm010040029000c.html

2012年02月25日

絶望の国の幸せな若者たち についての議論

朝まで生テレビ の討論、面白く、なんだかもどかしい。
奔放な教育を受け、みな貧しい中から社会共通の目標を持つ中で、やるべきことは明確、つくるべきものはたくさんあり、ある程度権限を持てる中から年々所得が拡大し、目に見えて時代が進化していたころに将来に大きな夢を見た高年代の世代で現状不満度が高く(思うようになっていないから)、
画一的な教育を受け出る杭を嫌い、年々時代が右肩下がりの縮小傾向、社会としての目標も進むべき方向も見えず、権限も持たず就職もままならず、働けど向上しない所得や労働環境が悪くなる中で将来に希望や生活の質の向上の確信が持てない状況を生きている20代、30代の若い世代が今現状に幸福を感じ保身的になっている(将来は今より悪くなることが見えている)ということは当然と思う。
個人で変えられることはあるが、それ以前に個人ではどうしようもないマクロ環境の前提が違いすぎる。

このとき、同じ20代、30代の人生のステージの過ごし方として、どちらが「幸せ」なのか。
「幸せ」とは何か?

46歳の慶応大学の先生の、
「若い人は親の資産をあてにできる。それだけの資産がある。だから家を買う必要もないし、税金も払わない」
という発言は、まあ、15年くらい前の
「若者は自由なライフスタイルを求めるためにフリーターになる」
「ライフスタイルのためにあえて結婚しない若者たち」
とかまったくボタンの掛け違いをしていた大人の世論の典型だと思う。
(もちろん、それが違っていたと気づいている大人のかたは私の周りにたくさんいるが)

逆に、40歳の早稲田の先生は癖があるが言っている本質的な部分は共感できる。

将来への絶望感が、現状への満足感をもたらしている。

+++

実用性と下駄変わりの車ばかりをつくっていたトヨタがなぜ若者をつかむためにFT86という車を開発したのか?これは本当に「車離れ」から若者の価値観を車に回帰させるほど売れるだろうか?

社会のなかで、マクロを変えうるマス層は、まだまだこの変化の本質を見ていない。

 

ただね、若い世代も自分たちでもっと動かないといけないんだよ。
その必要性に気付いているはずなのに。

「座して天命を待つより自ずより道拓かれん」

ラバウル、松山という激戦地にて、数は圧倒的劣勢、使っている飛行機は圧倒的に性能劣位のなか、エースパイロットとして生き延びた小高登貫(こたかのりつら)という人の言葉です。

こんな状況だからこそ、私はなかなか理解されなくても36歳の診断士として、その世代の目線、共感をする中からまちづくりの提案をしているのです。それが自分の強みであり、役割だからです。
未来をつくろうと動き出し、時にもがいているまちづくりの現場の若い世代とつながりながら、それを応援する。時にベテランの素晴らしい知恵やノウハウを持たれている先生方とのコーディネートをしたいと思っているわけです。

2012年02月29日

両面にある価値

自分は、物事はすべてアンビバレントなものだと思っている。

アンビバレント、日本語でいえば両面価値。

両面価値だけではニュアンスが伝えきれない気もするが、おおよそは間違っていない。

めったに雪が積もらないわが家。今日は雪が20cm以上積もった。

雪かきが大変だ。

でも、雪かきではなく、雪だるまでパンダをつくった。140cmものだ。

ちゃんと、目、鼻、耳はコーヒーで黒くした。

道のはじっこに、邪魔にならないように置いた。

本当は、大変なはずの雪かきも、ひと時の楽しい時間になった。

道行く子供が立ち止まったり、おじいさんやおばあさんが立ち止まって孫のために携帯画像をとったり、
近所の人と会話するきっかけになったり、活躍してくれている。

今日、商店街なんかで各店が同じような雪のオブジェを店頭に並べたところはあるだろうか?

あるいは、小さなかまくらをつくり、そこに、今晩ろうそくをともそうよ、というアイデアが出たところはあるだろうか?

「雪が降った。客が来ない。雪かきが大変だ。もう、大迷惑」

とか、愚痴っていたりはしないだろうか?

物事は、両面の価値がある。

常に、目に見えている価値、常識的な価値の裏の価値を見抜いて、それを楽しんだり楽しませたりすることに使う。商売上の魅力創出に使う。もちろん、社会性、公序良俗は侵してはならない。

あるいは、苦しい現況が、何かの糧になっていることがある。
大事なことは、「何の糧になっているか」を見抜くことだ。
それを見抜き、それを活用してやる。武器とする。

私の実家の商売は、清算、家族離散の危機が続き、やがて、ある業態変化をすることでV字回復した。
その時は、苦しかった。何もかもが嫌になった。

でも、その時の経験は診断士となった今、生きている。
相手のもがいているところ。苦しいとこを。とらわれている罠が見える。

でも、

「変えることはできるんだよ」

ということを、心から言うことができる。

それは、あの経験や時間の苦しい側面だけではなく、そこから得た裏の価値というものに気付いたからだ。

アンビバレント。両面価値。

それを見抜き、活用できたものが、何かを手に入れることができる、と私は考えている。

どうだ、たまにはまじめだろう。えっへん。

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