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やめられないこと

今日は中心市街地活性化のお仕事で和歌山県田辺市に行ってきました。
今は、大阪の天満橋のホテルからこれを投稿しています。

先週は奈良市、今週は福島県の二本松市にも行ってきました。

さて、今日のことなのですが、大阪のまちを仕事仲間と移動中、
タイガースの話題になりました。
さすが大阪、大阪出身の仲間は根っからの猛虎ファンです。
その話の途中で、自分は巨人ファンだといいました。

本当は巨人の試合など、ここしばらくは見ていないのですが
それでも巨人ファンは辞められません。

+++

小学校の5年生ごろだったでしょうか。
友人と二人で、後楽園球場に巨人対大洋ホエールズ(現横浜)
を見に行きました。
試合は中盤、4-0で巨人が優勢。

外野席。大声を張り上げて巨人を応援する私と友人のメガホンが、
突然後ろから取り上げられました。

今もありありと思い出します。

驚いて振り向いた私が見ると、大洋ホエールズ(現横浜)のヘルメットをかぶって、
メガネをかけた陰気そうな中年男性が、小学生の私たちをにらみつけながら
「これ、いらないよね」
といって、背番号シールをたくさん貼ったメガホンを二つ、もって行ってしまったのです。

そのメガホンは、私にとってはとても大切なものでした。
年に数日休みがあるかないかの自営業者の父、めったにものを買ってくれなかった父が、
私を巨人戦のナイターに連れて行ってくれたときに買ってもらったメガホンだったからです。

メガホンを取り上げられて驚いた私たちがちょっとして追いかけると、
大洋ホエールズ(現横浜)のヘルメットをかぶった男性は、物陰で思いっきり、
その二つのメガホンを踏みつけてつぶしている最中でした。

バキ、バキッと、メガホンは潰れました。
何度も、何度も踏みつけられるたびにそのメガホンはふくらみを失い、
平べったくなっていきました。

私は悔しい気持ちもありましたが、むしろ、大切なメガホンがつぶされたことが
悲しくて、元いた場所に戻るや否や
大泣きしてしまいました。
あのメガホンを買ってもらったときのことは、とてもうれしくてよく憶えていました。
そのシーンが、頭を幾度もよぎったのです。

すると、そばにいた後楽園の守衛さんや、巨人ファンの若い男性が数人、
私たちのところにき
てくれました。

「どうしたの?何かあったの?」

私は、まだ付近をうろついていた男性を指差して、しゃくりあげながら
事の顛末を説明しました。
大洋ホエールズファンの彼は、もうメガホンを始末したのでしょう、
なにも持たずにじっと試合を見ていました。

泣き続ける私を見て、後楽園球場の守衛さんと巨人ファンの若いお兄さんが
不憫に思い、
「こっちにおいで」
といってくれました。

ついていった先は、球場の売店。

「メガホンを買ってあげるよ、どれかな?」

守衛さんが言って、500円のメガホンを買ってくれました。

「背番号シール、買ってあげるよ」

若いお兄さんが言って、シールを買ってくれました。

悲しい気持ちに沈んでいた私は、うれしくて、あんなに悔しくて
悲しかった気持ちがとても救われる気がして、また泣き出しました。
父に買ってもらった大切なメガホンと同じくらい、
うれしい、やさしさにあふれたメガホンを手にしたからです。

「ありがとうございます」

と、お礼を言いました。

 

それ以来、どんなに巨人の仕事やメンバー構成に納得が行かなくても、
巨人ファンを辞められません。

一方で、大洋ホエールズの後身である横浜ベイスターズを見るのは
気が進みません(選手や球団の責任ではないのだけれども)

そして、自分も、ああいうやさしい人になりたい、と、ことあるごとに
思い出します。

些細なことかもしれないけれど、ある物事で傷ついたり、 落ち込んだりしている
人の境遇を理解し、そして、手を差し伸べること。
それがどんなにありがたいことか。

逆に、弱いものから大切なものを取り上げ、それを踏みつける悪意。
それがどんなに醜いものか。

このエピソードを、猛虎ファンの仕事仲間にしました。

「東京の人って、もっと冷たいと思っていたでしょう?」
と私が聞くと
「本当に、そんなことないんやねえ。それはいい話やわ」
と彼は言いました。

幼かったとある日の、アナログな思い出がいとおしく思える昨今です。

 

 

 

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2008年09月03日 22:13に投稿されたエントリーのページです。

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