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インターネットのちから

自分が飼っているフェレットという動物を虐待する様子を
動画で撮影し、インターネット上で公開、インターネット掲示板で
「虐待だ」という閲覧者の指摘に対し堂々と「反論」していた
30歳の男が逮捕された。

☆引用 はじめ☆

フェレット虐待→ネットに動画投稿の会社員を逮捕
4月11日14時45分配信 読売新聞


 ペットとして人気の高いイタチ科の小動物「フェレット」を虐待している映像をインターネットの掲示板で公開していた事件で、 神奈川県警生活経済課は11日、同県厚木市東町、会社員森山慎一容疑者(30)を動物愛護法違反容疑で逮捕した。

 調べによると、森山容疑者は2月上旬、自宅で飼っていたフェレットの頭を手で殴ったり、 のどを押さえつけて呼吸困難にさせたりして虐待した疑い。調べに対し、「ストレスのはけ口だった」と供述している。

 森山容疑者は3月3日未明、ネット掲示板「2ちゃんねる」に、 虐待の様子を撮影した動画を投稿したとみられる。県警には映像を見た人から、捜査を求める通報や嘆願書が数百件寄せられた。  

☆ここまで☆

虐待の内容も、首を絞めたり、痛めつけたりとひどいものであったとはいえ、
この一件は現代社会を象徴するものだと感じた。

小動物の虐待は、日常的に起こっていることかもしれない。
しかし、それをインターネットで「披露」した。そして、掲示板ではほかにも、
「フェレットの歯をニッパで切った」「掲示板での追求が激しいので、フェレットを近隣の公園に放した」
といったことを書いている。

今までは、小動物の虐待で、警察が動いて「逮捕」され、実名報道
されてきたということはあまり記憶にない。

しかし、この件では、警察がその動画の公開者を割り出し、逮捕し、
実名を公表したのだ。

そして、重要なのは、その警察の動きの背景には、
動画を見て心を痛め、怒りを覚えた人々による警察への働きかけが
多くなされた、ということだ。
そして、掲示板に参加している投稿者による、犯人の特定も進められていたようだ。

+++

掲示板による「犯人」の特定は、実は結構行われている。
他人の自動車に乱暴を働いて傷をつけ、相手に土下座させた、
と自分の公開するインターネット上のページに記事を書いた人物が
いたのだが、この人物も、名前も、顔も、住居もすべてが特定された。

また、猫を虐待した画像をのせて逮捕された福岡の男も
警察が逮捕する前に、インターネット上ではほぼ特定されていたと記憶する。

+++

これらのインターネットユーザーは、いまや、良くも悪くも大きな力を持っている。

今回のように、良心的なものもある。(ただ、良心的だからといって、方法として
正しくないときもあるが

一方では、インターネット上では朝鮮の人々、障害者の人に対する差別用語が
もはや違和感なく飛び交っている。
先日、逮捕された小学校教師が公開していたような悲痛な事故死者の画像の例のみならず、
残虐な動画や画像、卑猥なものだって、
小学生なども、簡単にそのような情報に触れられる。

そして、いまどきの小学生は、「死者は生き返る」という認識を持っている者も
少なくないと調査されている。

+++

インターネットは国家権力だけではなく、マスコミや企業への大きな働きかけの
力をすでに持つのだ。
メーカーや保険会社の不条理な対応をインターネット上で公開して、
社会の力に変えた例などは、インターネット普及期にすでにあるのだ。

ときに、インターネットはそれらに大きな影響を及ぼし、個人にだって破滅的な
結果をもたらすこともできる。

一方では、「インターネット発」アイドルの誕生など、今まで埋もれていたものに
チャンスが生まれている。ツールは使い方しだいで常に両面価値的だ。

だからこそ、企業のあり方が問われる。コンプライアンスだ。
いや、突き詰めれば、それは個人の倫理観にも当てはまる。

最近、インターネット上では、とある掲示板の「援助交際」に関するコメントを
世界に名だたる大手家電メーカーのサーバーを経由して書き込みが行われたことが
判明し、話題を呼んでいる。
ちなみにくしくも、そのメーカーとはこの日記の冒頭のフェレット虐待の会社員と
同じ会社だ。

この「インターネット」の力をあなどってはいけない。
経営者は当然、従業員の「個人の倫理観・道徳観」のあり方を軽んじてはいけない。

自社・自分にとってマイナスに働かせるのではなく、いかにこの声をポジティブな方向で
自分たちの味方にできるか、ということが重要なのである。

そしてそれは表面的なことではない。
見た目はよくても、実態が伴っていなければ、やはりインターネットの
負の力を受けることになるだろう。

企業は、このようなインターネットへの対応をもっと重視し、方針を明確に
もって実践するべきである。

そして、くどいようだが、それは小手先ではなく経営レベルからでなくては意味がない。

+++

それにしても、である。

インターネットは、一つの世界、一つのルールを作り上げている。
しかし、その仮想世界のルールを、現実世界に持ち込む風潮が
近年随分見られるようになってきたと思う。

しかしながら、基本はやはり、「現実世界」であって、
「仮想世界」は現実世界のルールに準拠しなくては、
社会的破綻の懸念は実現することになる。

何でもかんでも規制するというのではない。

しかし、無責任に何でも言ったり、何でも見せたりすることが「自由」ということではない。
「自由」には、「義務」が伴うからで、その「義務」には現実社会的に通用しうる
人としての良心は不可欠だ。

そして、現実と仮想の切り分けをしっかりと認識できる教育を進める必要がある、
ということだ。このことに関して、今の日本社会はあまりにも無防備だ。

そのことを、社会はもっと重視してもよいものではないか、と思う。

 

 

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2007年04月11日 18:14に投稿されたエントリーのページです。

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