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世界の中心で鯨を食わせろと叫ぶ

何を隠そう、自分は鯨が食べたい。
海洋国家に生まれたもののDNAだろうか、
牛なんかより、よっぽど鯨のほうがいい。

「なんであえてまずい鯨なんか採りたがるんだ」
なんて意見にはまったく同意しない。

かなり前の話で今はあるかわからないが、
二子玉川の高島屋のなか(だったと思う)
のすし屋に、「くじらの赤身」の握りがあった。

やはり、値は張るので、いつもは食べられないが、
こいつは一回食べると病み付きになる。

脂の少ない赤身。
新鮮な赤身の弾力と、歯ざわりが、馬刺しでもない、
牛肉の刺身でもない、また違う風味を楽しませてくれる。

残念ながら、そんな新鮮な鯨の刺身を味わえるところは
とても少なくて、ピンク色の鯨のハムのようなものや、
竜田揚げのようなものの形でしかお目にかかることが無いのが
いたく残念である。

 


 

IWCの総会が、案の定「反捕鯨、反日本」で進んでいる。
そもそも設立時は「資源活用」について決めていく会だったのが、
今ではすっかりと「捕鯨国を非難する会」となっている(しかも感情的に)。

この会は、まったく何の会なんだろう?

 


 

自分と鯨の付き合いは、結構ある。

憶えているのでも小学校2年生ぐらいのときから。

自営業・共働きの我が家は、家族旅行なんて片手の指で足りすぎるほどしか
いったことが無いのだが、西伊豆の雲見温泉へ旅行したときに、鯨に触れることになる。

もっとも、鯨といっても、骨格だ。
ある喫茶店だかお土産やサンに入って、落ち着きの無い自分が
ふと2階に上がったら…

そこに、セミ鯨の骨格が置いてあったのだ。

初めて触れる鯨の姿。
でかい!

そして、なんて立派な骨格。

こんなのが、海を泳いでるんだ!

子供心に、鯨のイメージを膨らませ、ワクワクさせてくれたものだ。

この骨格は「雲見くじら館」にいまでもある。
かつて、雲見の港に迷い込んで絶命してしまった12mの若いセミ鯨だ。
そして、人々は骨格を日本でも珍しいセミ鯨の標本として保存し、
鯨の供養のために石碑を立てた。

ちなみにセミ鯨は漢字では「背美鯨」とかく。
背びれを持たず、湾曲した背中が美しいからだという。

人生の中で、数えるほどしかない家族旅行。
その中で、この鯨の骨格は思い出に彩を与え続けてくれている。

+++

中学3年生のときは、当時所属していた読売新聞の子供記者団で
特別取材班に選抜され、小笠原諸島で鯨に関する取材をしたことがある。

ホエールウォッチング。
当時は、人間と鯨の境界線は100mであり、観測船は
それ以上近づいてはいけない決まりを作っていた。
それは、鯨のためである。特に、小笠原にザトウクジラがやってくるのは
出産と、子育てのためであるのだ。

ぶはーっ、ぶはーっ!

とザトウ鯨が潮を噴き上げて群れで泳いでいる。デカイ。
ときおり、水面から鯨が胸びれをだす。バッチン!と水面をたたく。
それは「こっちくるな」という合図。
かと思うと、別に遠ざかるわけでもない。小さい尾びれが、
大きい尾びれを追いかける。
尾びれの裏の白黒のまだら模様は人間でいえば「指紋」。
それぞれがオリジナルの模様を持ち、人間からの固体識別に使われる。

リズミカルに持ち上がるのではなく、

ぐわーん、

と尾びれが持ち上がるのは、深くもぐる合図。
鯨は、深海までもぐることができ、長時間もぐることが可能なのだ。
だから、人間が嫌なときは、そうやって遠くへいってしまうこともある。

でも、このときは違った。
このとき、深くもぐったのはブリーチング(ジャンプ)をするためだったのだ。
深海から一気に数十トンの巨体を水上に踊りあがらせるブリーチング。
この恐ろしいほどのエネルギーの発露は、相手を威嚇するため、とも
いわれるし、体のフジツボや寄生虫をとるため、ともいわれる。
はたまた、子鯨のために見本を見せることもあって、子鯨が練習で
下手なブリーチングをすることもある。

このとき、外洋の波に木の葉のようにグラングランゆれる船から
僕が400mmレンズとニコンの一眼レフを用いて撮影に成功した
ザトウクジラのブリーチングの写真は、
紙面に大きく載ったのはもちろん、
テレビのニュースでも紹介されたのだった。

+++

海の神秘。巨大な生物への興味。
新聞に掲載するための記事を書くとき、
いろんなものが入り混じって、僕はその時の感情をどう表現していいか
判らなかった。

「怖い。でも、やさしい。
魅了され、その絶対性を認め、尊敬を感じずにはいられない気持ち」

広辞苑を眺めた。恐怖ではない。尊敬では足りない。
そんな言葉あるのか、あるのか。

あった。
日本人は、古来よりそのような感覚を持ち、言葉を用意している。

「畏怖」

僕は、記事で「鯨をみて畏怖感を感じずにはいられなかった」
と書いた。

+++

このとき、鯨の水中写真家、望月昭伸さんにも取材した。
生命を見つめ、その躍動を銀塩フィルムに切り取る。
(大きな鯨に魅了された彼の優しいまなざしと笑顔が忘れられないが、
数年前、彼は小笠原で撮影中、ついに帰らぬ人となった。)

「生きる鯨のすばらしい写真を撮ること。それは、その生命自体に目をむけ、
その生命を写し取ることに他ならない」

というような表現で記事を書いた。


+++
鯨との付き合いはまだある。

高校生のとき、米国ボストンでのホエールウォッチング。

ボストンは、かつて米国の捕鯨船の一大母港であった。
ボストンにも、沖合いにザトウクジラがやってくる。

そして、よく言われるように、米国人はボストンや、遠くは日本まで来ては
鯨をたくさん獲り、油をとってオイルや石鹸にし、肉は捨てた。

彼らにとって捕鯨とは、生きるための日々の糧ではなく、
商業ベースの、工業製品の「原料」であったのだといえる。
広い国土にさまざまな資源を持つ彼らにとっては、
鯨に日々の糧を求める必要は無かったのだから、肉など捨ててもよかったのだ。

ちなみに、捕鯨の母港であったボストンのホエールウォッチングには
「境界線」はない。
小笠原のホエールウォッチングよりはるかに大きい客船で、
何百人も人を乗せて鯨に際限なく近づく。

だから、僕が行ったときは鯨は船に向かって泳いできて、船のほんの30m
ほど手前で船の下をもぐり、反対側に現れるような、遊びだかなんだか
判らないことをやってのけた。

鯨の頭部のフジツボだってよく見えたし、その大きさに船が
転覆するんじゃないか、なんて心配もした。とにかく、海に
こんなでかい生き物が生きているのだ、と感激した。

船に乗っているアメリカ人も大興奮だ。
鯨が右に現れれば右舷が傾き、逆に現れると一斉に駆け出して
左舷に行くので船が左舷に傾く。
アトラクションとしては、一流のエンターテイメントなのかもしれない。

「境界線」を意識し、決まりを作って距離を持つ日本。
「境界線」なんてお構いなしに際限なく近づく米国。

どっちが鯨を大切にしているんだ、と思う。

結局、日々の生きるために口に入れるものとして鯨に接してきた
日本の文化、風土と、
そうではない工業製品の原料としてきた米国人の鯨感には
まったく違う、理解しあえない溝がある。

個人的な感想だが、日本人のほうがよっぽど鯨を尊敬し、
大切にしている。

そして、米国人の多くにとって、鯨は「ペット」のようなものなのだろう。


慈悲心。という言葉がある。

日本の調査捕鯨では、銛を撃ち出す砲射手は、
正確に鯨の急所を狙おうと努める。

それは、鯨が苦しまぬように、即死させるためだ。

調査で結局、採取するのだから、どういう殺し方だっていい、
なんてことは無い。

命をいただくものとして、その生を尊重し、相手と自分が平等だと
考えるが故の振る舞い。
相容れないこれらの行動の中で、「抜苦与楽」(ばっくよらく)のために、
砲射手は鯨を確実に即死させようとする。

慈悲心。

そして古来より、日本の各地には日々の糧となった鯨に感謝し、
迷い込んで死んだ鯨の供養を願う鯨塚が人々の手によって作られてきた。

それを、欧米人に理解しろ、というのも、無理かもしれない。
彼らは憐憫(対等な立場からではない哀れみの気持ち)の
考え方を持つのだから。
鯨はむしろ、ペットのような存在なのだろうから。

いずれにせよ、調査捕鯨において西洋の環境団体が砲射手の
射撃を妨害して結果的に鯨が即死できない状況に追いやったり、
(結果的に鯨はもがきながら、呼吸できずに水死することになる)
17頭のクジラの死骸を、街の真ん中に並べたり(2007年、ベルリン)、
大きい鯨の死骸を日本大使館の前においてさらすなど(2006年、ベルリン)、
そのような「残酷」なセンスは日本人と彼らの隔絶されたセンスを感じさせる。

科学的調査の上に、鯨を貴重な食資源として活用しようとしている
捕鯨国の日本こそ、鯨を、その尊厳を守っている。

 


 

僕は鯨が好きだ。

鯨は畏怖感に足る動物で、やさしくもあり、魅力的だ。
とはいえ、うちにいる60匹近い金魚だって、実は十分にそうだ。

西洋人が大好きな牛だって、
うまれて屠殺されるまでに一生でほんの数分しか太陽を拝めない
フライドチキンのための鶏だって、
何かにつけ丸焼きにされる七面鳥だって、
生前は汚いものの代表のように蔑まれるブーチャンだって、
本当はみんなそうだ。

鯨だけが特別、なんて考える理由はどこにも無い。

そもそも、鯨だけを保護すると生態系はどうなるのだろう。

 


 

日本は資源が乏しく、食料自給率が極めて低い。
食肉のための資源だって、外国に頼りっぱなしだし、
依存せねば国が成り立たないのである。

これは、腕に常に生命維持のための点滴針が刺されていて、
そのチューブの先のコック(栓)は日本人ではなく、
外国人が握っているということを意味している。

そして、その点滴の薬液はいつも生命にいいものとは限らない。
未知の病気に侵され、確実な検査もされない牛肉や、
国内でも警告が出るくらいの農薬がついた野菜。

たとえそうでも、それを薬液として使わざるを得ないのが今の日本。
それは、国が国家として成り立っていない、ということもできるのだ。

つまり、今も昔も変わらず、日本人にとって鯨は大切な食資源であることは
間違いない。

「戦後何も無い中でこそ鯨が貴重だった」

というのは不正解。

何でもありそうな現代も、実は日本には何も無い。

だから、今でも日本人には鯨の助けと共存が必要なのである。

 


 

そして、その鯨は、栄養だけではなく、
味覚としても十分においしいものなのだ。

(終わり。)

 


 

追記

鯨という生物が地上から消えてしまうことは防ぐのは当然だ。
人為的にそれをしてよい権限なんて人には無い。そしてそれは、
人の将来を脅かすことなのだ。
それを防ぐことを、調査に基づいた科学が役割を担っている。

でも、世界ではその科学すら否定されようとしている。

一部の国家だけでなく、日本社会においても見られる忌忌しき問題。
それはこのような生命の掠奪、否、享受の上に我々が糧とする肉が、
あたかも工業製品のように次々と生産されて出てくる、
そんな感覚で日々口にすることではないか。

スーパーの肉や刺身が、
もともとどういう形をしているか知らない(つまり、もともとそういう形で
どこかで作られていると思っている)、知っていても考えない、
考える必要性がわからない。そんな風潮があるようにも思う。

ハンバーガーはもともとああいう形のものであって、どこかで作られてる。
自分はべつに、食べられればいい。

と。

古来、鯨塚を作りながら日々、生きていくためにその生命を
いただいていた捕鯨は、そのような視点からは語れないと思うし、
そこからは日本の文化や社会の有り方の問題も見えてくる。

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2007年06月01日 20:02に投稿されたエントリーのページです。

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