敗戦の日の今日をはさみ、憲法論議についてはずいぶんメディアをにぎわせている。
護憲と改憲という二つに分けられ、それぞれの意見が交わされる。
国会でもしかり。
護憲派は戦争はしてはならないことだから、維持すべきだ。
改憲派は日本が攻められたとき、またはそれが明らかなとき、
軍隊を持って先制を含めしかるべき対応ができるようにするべきだ、
といった議論だ。
自分たちの国のことだから、こういう議論がありうるのは別にいい。
しかし、この議論、腑に落ちない。
大きく、2点において。
1.100年後の日本の姿はどうあるべきなのか。
ほとんど、語ることはない。
「目指すべき国家としての理念やビジョン」なき議論は、なんと根拠が浅いことか。
憲法そのものの位置づけすら、もしかしたら議論の当事者にとっては
ばらばらだ。
そしてもう一つ。
2.現在の憲法の理念に対し、
その実現にどれだけの努力が払われているのか
現状の憲法では、戦争の放棄と、軍隊を持たぬことになっており、
国際紛争を武力で解決しないことになっている。
永久に戦争を放棄することが、憲法にうたわれている。
では、その、憲法の実現に、どれだけ具体的に努力しているのだろうか。
少なくとも、それに努力し、努力し尽くした結果としての
改憲への政治的動きなのだろうか。
「日本が攻められたらやられるままでいいのか」
というが、それ以前にどれだけ内政や、ほかの国に対して
「戦争放棄」
の働きかけをしているというのだろう。
「時代にそぐわない」
のであれば、そのつど変えるのが憲法なのか。
逆に、本来あるべき取り組み、「そぐわない時代を変えていく」
取り組みはどのようにされたか。
改憲論の中には、ビジョンとして米国に依存しない、日本の
「自主独立」を語る人も居る。
現状では自主独立できないのか。自主独立の先には何があるのか。
自分には疑問が残る。
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特攻隊員で終戦を迎え、
今は平和のための案内人をしている人がいる。
「昔は、戦争はしてはいけないことだ、という必要はなかった。
しかし、今は、若い人の中には戦争をしてもいいという人が増えているから、
それを言う必要がある」
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どちらにせよ、自分の気持ちとして確実にいえるのは
自分は自分や子孫、大事な友人たちが、そして、どんな人でも
戦場に居るようになってほしくない、ということか。
「そんなの理想論だ」
という人もいるが
「理想なくして何を目指すのか」
と思う。