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水木しげるの全員玉砕せよ!

今年もまた、この季節が来た。
8月15日の敗戦の日。

NHKの水木しげるの「全員玉砕せよ!」を見た。

見終わったあと、胸が詰まって苦しくなった。

部隊、仲間が不条理な玉砕命令で悲惨に斃れていく。
無駄死にするなと命令違反をさせ81名の兵隊を救った
中隊長の自決。

腕を失いつつ生き残った水木しげるは、
漫画家としての成功を収めつつも、常に”その記憶”を抱き続けてきた。
そして、亡き仲間たちの「亡霊の思い」を背負い続けてきた。

彼はあるとき、彼の体験を漫画にする決意をする。

夜、彼はうなされる。
今まで心の引き出しにしまいこんできた悲惨な戦場の記憶を
搾り出して筆を進める。

そしてあるとき、亡き戦友たちが彼の元をたずねてくる。

「中隊長の自決で、話を終わらせないでくれ」

++++

中隊長の命令違反により、生き残った81人の将兵。

その81名は後方にある作戦本部により、

「玉砕命令が出たのに生き残ることは、日本軍の恥」

であるとされ、自決か、再度の玉砕のための突撃を強いられ、
圧倒的な敵に突入させられる。

そして、玉砕を命じた作戦本部の参謀は、玉砕部隊に参加せず、
見送るだけだった。

水木は、その様子まで漫画に書き続けた。


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そういえば、牟田口という将校により発案され、周囲が
「彼の顔を立てる」ためにその作戦を実行させた結果、
結果的に多くの前途ある将兵を死なせて
行った無謀な「インパール作戦」というのがある。

これは権威を振りかざす牟田口が自己の名誉心にかられ、
一方で自己の責任を負わず、現場の将校に責任を押し付けた
作戦でもあった。
このとき、補給が絶たれた絶望的な戦場においてもなお、
作戦本部の命令は「撤退せず絶対死守」であった。

しかし、ある部隊の大隊長は

「自分がいる限り、部下は命令を守らないといけない。
自分が居なくなれば、彼らはこの絶望的な戦場から逃げることができる」

のだと、銃弾が飛び交う戦場に自ら飛び出し、そこに仁王立ちとなり
銃弾を受けて戦死したという。

また、違う部隊では、師団長の独断により撤退し、部下の命を
救った行動があった。
その師団長は、最前線に来て現実を見もしない牟田口を批判したのだが、
逆に精神病院に送られてしまう。

この「不条理な状況」は、現代社会のさまざまな場面でも
思い出されるのは、私だけではあるまい。

++++

沖縄戦下での住民の集団自決が、 軍から強制されたということが教科書から
削除されるという。

自分は学生時代にいくつかの、観光地化されていない集団自決が
行われた沖縄のガマ(自然壕)を訪れ、5cm先も見えないくらいに
暗い闇の中を歩いたことがある。

沖縄戦の生き残りのオバーに、生々しいその戦場での話を聞いたことがある。

戦場で自決して行った住民は自決のとき、自分の愛する家族を手にかけていった。
注射器で、カミソリで、手りゅう弾で。

しかしそれは、
米軍につかまれば女性は辱めのあとに殺され、男性は戦車にひき殺される、
そう信じ込むよう、軍隊から教育を受けていたからだ。

そんな彼らの、

「家族や愛する人を守ろうとする愛情表現」

だった。

そのような状況は、他者からの強要なしに自然に芽生えるものではない。

++++

多くの兵士は、人と人が殺しあう戦場において、「大義」を求めた。
そうでなければ、彼らは命をかけて戦えないからだ。
戦況が悪く死が強要されるほど、彼らは折り合いをつける理由が必要だった。
そしてその多くは、

「家族や愛する人を守るための愛情表現」

だった。

自分の命を失う。
愛するものの命を自ら手にかける。
愛情表現の方法として、これは悲劇・不条理以外の何ものでもない。

人が個として生き、相手と出会い子孫を作り上げていくように、
愛情表現は、相手のために自分の命をはぐくみ、
相手の命をはぐくみ、そしてよりよい何かを作り上げていくことだ。

++++

私は、自分の祖父の出征映像に出会い、それを見た。
20歳で長崎島原の北有馬から満州に出征する祖父。

そういえば、自分が幼いころ、生前の祖父に戦争のことについて聞いたことがある。

祖父の戦場体験を聞く自分に、祖父は決して、
自分がどういう体験をしてきたかを語ることはなかった。

右足の大腿部に貫通銃創の傷跡を背負っていた彼も、
きっと心の奥の厚い扉の向こうに背負うものがあったのだと、
いまさらながらに思う。

++++

水木を取り囲んで、自分たちの思いを伝えようとする亡き
戦友の亡霊たちは、まさしく水木の心の奥の厚い扉の向こうに住む。

彼は勇気を持って扉を開けた。
それは本当に簡単なことではなかったと思う。

そして、あのシーンはきっと、
「事実」を体験し、背負っている人々に共感と勇気を促すものだったの
だろうと思う。

++++

「事実」を背負うものが年老い、失われていく中で
「事実のような嘘」は仮想の世界で人々の心を染めていく。
それがいつしか、
「嘘のための事実」
になっていき、人を殺しあう戦場はゲームのようになっていく。
(しかし、戦争しようと社会を導く人間は、戦場には居ない)

だからこそ、「事実の証言」の価値は重大だ。

残された時間の中で、
何を伝え、何を、どのように受け取っていかねばならないのか。

10年後、30年後、50年後、自分たちの子供や子孫に同じような
戦場に直面させないためにも、過去と将来を紡ぐ「今」の意味が大切だ。


 

 

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2007年08月12日 23:52に投稿されたエントリーのページです。

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