私が独立して一年目のころ。
まだ、端にも棒にもかからないような駆け出し診断士は、
ろくに仕事もなく、あせる気持ちの中で日々暮らしていた。
4月、5月、6月…。ほとんど、お金になる仕事がない。
せいてみても仕方がないのだと判りつつも、
夜中に目が覚めてしまう毎日。
9月ごろだろうか。
あるきっかけで、とある仕事に携わることができることになった。
市販のパソコンのソフトをカスタマイズして、ある演習に使いたいから、
その教材開発に力を貸してくれ、という。
若くて、PCやソフトに明るい人材を求めていたのだという。
もちろん、私は少しは自分の経験(勤めていたころはコンピュータ
関係の仕事をしていた)で貢献できるだけでなく、
とてもよいチャンスだと思い、
「ぜひやらせてください」
とお願いした。
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相手先の担当の方(Tさん)は、40代の男性。
初めて一緒にお仕事をさせていただく方だった。
物腰が穏やかで、”ぽっと出”の私にも、
”ちゃんと”接してくれる嫌味や高慢さのない謙虚な人だった。
初回の打ち合わせのとき、Tさんは自分で作った
企画書などを私に提示してくれたのだが、それは
とてもよく作られたもので、やらんとしていることは
すぐに把握できた。
関連資料も充実しており、手間をかけたことがよく判った。
その後も、教材の検討会の前にはたいてい、
私のところにメールをくれて、
「このような文書を作りたくて取り組んでみているけど、
思うようにいかない。アドバイスをください」
と聞いてくれる。
「このような形にしてはいかがでしょう?」
私は、送ってくれたデータにアイデアと手を加えて返信する。
またあるときは、制作業者の人との打ち合わせで、
専門的な話の部分を私がフォローして、彼の意図している
ものに近づける手伝いをする。
駆け出しの診断士だった私はそういったやり取りがとてもうれしかった。
自分がもてあます時間を作業で充実させられるからではない。
そうやって頼っていただけることが、自分自身が人の役に立つことで
自分の存在する価値を認識できるような気がして、
とてもうれしかったのだ。
そうやって出した私の提案を、Tさんは喜んでくれたし、
時にはお互いにさらにそれを良くしていったものだ。
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Tさんは、とてもまじめで責任感が強い方だ。
彼からの問い合わせのメールは、驚くべき時間に届く。
23時過ぎとか、休日のはずの土曜日の夜とか。
「あれだけ充実した書類をつくるのは、やっぱり時間がかかっているのか」
と思いつつ、
「いつも、遅くまで大変ですね、お体に気をつけてください」
なんとなく、支援し切れていない自分を恥ずかしく思いつつ、メールを返信する。
時には電話をしてお話をする。
すると、たいてい彼は、
「そうなんですよ、本当にしょうがないですね」
というようにはにかんだ感じで
「伊藤先生も風邪ひかないでください」
などと気遣ってくれるのだ。
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そんなやり取りを経て、3ヶ月ほどして教材は完成した。
別件でそのオフィスを訪れたとき、Tさんは私を見つけて
わざわざお礼を言いに来てくれるなど、本当に気立てのよい
男性だった。
そして私は、その教材開発に携わった経緯もあり、
その教材に関連する仕事を年に何度か、携わるようになった。
今でもそれは続いている。
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しばらくたったころだった。
「今度、異動することになりまして」
オフィスをたまたま訪れていた私に、彼はわざわざ
挨拶をしに来てくれた。
「お世話になり、ありがとうございました」
駆け出しの自分にいろいろな意味で、学ばせてくれ、
勇気を与えてくれたTさんに、私もお礼を言った。
「新しいところでも、体にお気をつけください」
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それからTさんとは2、3年会うことはなかったのだが、
年賀状のやり取りはしていた。
いつも決まって、家族で写っている彼の家族愛を感じさせる
年賀状が送られてきた。
そして、昨年ぐらいだろうか。
また移動して部署をうつったTさんと、月に数日、その近隣の部署の
仕事をしている私はオフィスですれ違うようになった。
「ご無沙汰しています」
とわたしがいうと
「戻ってきました、またよろしくお願いします」
と彼も相変わらず丁寧に返してくれた。
もともと物静かな感じではあったが、さらにちょっと、落ち着いた
感じだった。
そして、たまに私が帰るのが遅くなったときでも、
相変わらず彼は残って仕事をしていた。
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そのTさんは、
数日前、亡くなった。
50歳の手前。これから、という年頃。
ここ数年、大病を患っていたのだという。
入院したときにはどうも、手の施しようがなかったようだ。
最後は、退院して自宅に戻られていた。
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「あんなにいつも、遅くまで働いていなければ…」
彼がもうちょっと、無責任だったら。
「周りの人を悲しませるなんて」
彼がもうちょっと、周りの心配を聞き入れてくれていたら。
いろいろと思うことはあるし、「どうして?」と彼を責めたい気にもなる。
でも、夜遅く、私にメールを打ってくれていたやさしいTさん。
駆け出しの私にも、尊重をもって接してくれたTさん。
一つ一つの作業を丁寧に進めることに責任感を持っていたTさん。
そしておそらく、いつもご家族のことを考えていたであろうTさん。
彼のことを思い浮かべると、
「あの仕事があって今の私があります」という感謝の気持ちと、
こうなることならそれを伝えたかった思いと、
丁寧に仕事をする「彼らしい彼」にまた会いたい気持ちばかりが募ってくる。
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正直いえば、まだいろいろと頭の中が整理できずに、
この文章をどう締めくくっていいかが判らない。
人が生涯で心と記憶の中に、その顔や声までしっかりと思い浮かべられる
人間が何人かいるのだとしたら、自分にとって彼はその一人だろうと思う。
きっと、そうやって自分の記憶に残って、いつも支えてくれたり、
道標として方向を照らしてくれるような人が一人でもいることは、
幸せなことなのだろうと思う。
そして反対に、自分がもし、誰かの記憶の中に同様に住み着くことが
できたのだとしたら、それもまた、自分という価値を誇らしく思えるだろう。
おそらく、人生の中での出会いの数は有限だ。
出会いを丁寧に、そして誠意を持って相手に接すること。
それがいかに相手を励まし、自分の価値を高めるのか。
そしてその喜びを、彼は私に教えてくれた。
おやすみなさい、そして、ありがとうございます、Tさん。