11月に我が家は引っ越した。
新宿から電車で40分ほどの郊外の借家だ。
工場なども立地しているほか、古くからベッドタウンになっているので駅の利用者数も
住民も、決して少なくはない。
駅の南口は、開発が遅れて未だに都市計画道路がとぎれとぎれになっている古い住宅と商店街。駅そばは古い住宅街、駅から離れて新しい住宅が開発されている。
北口は工場や大型スーパーなどが立地し、比較的新しい住宅も多く開発が進んだエリア。
我が家は南口から徒歩数分の住宅街にある。
駅から家まで歩く道すがら、寂れた商店街を歩くのも、ある意味情緒があってよい。
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我が家から徒歩3分圏内にクリーニング店が2軒ある。
1軒は玄関を出たら目の前。
日ごろ、スーツも多く着用する自分にとってはとても好都合。
特に、自分でスーツをクリーニングに出す自分としては、今ではたいてい普通となった「即日仕上げサービス」が役立つのだ。
以前川崎に住んでいた時も、休みの日の朝預けて夜に受け取ったり、朝8時過ぎの仕事先への途上で出しておいて、夜20時位の帰りがけに受け取る、という使い方をしていた。
そこのお店も、いろいろ利用して3店舗目に見つけた、スピードも、仕上がりも、値ごろ感も、接客も、お得クーポンなどの取り組みも満足できる登戸駅前の良いお店だった。
さて、今のところへ引っ越してきて早速、クリーニングを利用することにした。
至近のクリーニングはどうやら個人経営でチェーンに加盟していないらしい。
値段が高いだろうな、と思いつつも、まあ、近所づきあいにもなるし、と思ってスーツを一着もって出かけた。
すると、おそらく後継者であろう40代くらいの男性が、
「スーツ一着ですか、、、仕上がりは休みが入るので5日後の火曜日です。1550円です」
とのこと。
びっくりした。仕上がりにそんなに時間がかかるのか。
しかも、料金は最近のクリーニング代の倍近い。
さぞかしこだわりがあるクリーニングなのだろうと思い、逆に興味がわいて、お願いすることにした。
はたして、翌週受け取りに行くと…
正直、以前使っていたお店との違いが分からなかった…がっかりした。
近所づきあいがあるからと思ってはいたが、これではいくら近所であろうと売り手と買い手のお付き合いは難しい。
しかも、そのお店のかたはプライベートではバイクとか自動車に凝っていらっしゃるようだ。
高い料金があそこに流れていくためなのかな?なんてうがった見方をついしてしまう一方で、
「住民はちゃんといろいろと見てチェックするものなんだな」
と自分の体験を通して再認識した。
後日、近隣に用事がある家内にお願いしてもう一つのローカルチェーンに加盟している駅前のクリーニングに別の一着をだしに行った。朝の9時半ごろだろうか。
すると家内がスーツを抱えたまま戻ってきた。
「10時から開店だって」
「え、朝あんなに通勤の人が通っているのに、開店そんなに遅いの?」
彼女は、10時50分位に再度、クリーニングを出しに行ってくれた。
すると、
「即日仕上げは無理だってよ」
「え、でも店頭に書いてあるでしょ、朝預けて夕方仕上がり、って」
「10時半までに持って行かないといけないんだって」
「え~!!10時開店で10時半までに持ち込まないといけないの!?」
ちなみに、そのお店の閉店は18時である。早い。
「朝出して、帰りに受け取る」
というごくあたりまえだと思っていたことができない。
料金は、即日仕上げは特急料金が取られる古いスタイルで、その分、以前使っていた川崎のクリーニング店よりも割高になる。
そして年が明けた1月4日、多くの会社にとっては仕事始めの日だ。
年明けにクリーニングに早速出したいと思って電話すると、留守電になっている。どうやら、未だやっていないようだ。
翌日の本日5日、さすがにやっているだろうと思ってスーツを抱えてお店に行ってみた。
…やっていない。明日もまだ休み…。
もう、世の中は動き始めていますよ…
自分はスーツを正月休み中にクリーニングに出せないことになる。弱った。
そして思った。
「これらのクリーニング店の地域への使命ってのは何なんだろう」
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かくして、近隣にある個店のクリーニング店2店が実用的ではないことが分かったので、とりあえず今日はもう自分でアイロンがけをすることにし、後日、大型店に入っている、配達をしてくれるクリーニング店を試してみよう、と考えている。
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自分が考えたことはこれだけではない。
一つは
・あれらのクリーニング店がもし、もっと現代的なライフスタイルに合わせた営業をしてくれていたらどれだけ便利なんだろう
ということ。そしてもう一つは冷たい言い方になるが、
・現代的な住民が多く行きかう場所に立地していながら、その住民の利便性に寄与していないお店、あたかも余生を過ごすためのマイペースにするお店なら、そこの場所でする必要はないので他のお店と変わってほしい
ということだ。
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「商店街はまちの顔」と商店街の人が言っているのを聞くことがある。
でも、よく考えてほしい。
「商店街=まちの顔」と考えている住民はほとんどいない。
人間の体でも、「顔」は常に磨き、手入れし、見栄え良くし、よく表情を示し、物を伝え、物を受け取り、栄養を摂取し、呼吸をし、コミュニケーションを図るものである。
その「顔」たる商店街は、そういうことができているのか?
個人的経験ではできていないことがほとんどだ。
であれば、その商店街は地域の顔を名乗る資格はない。
それに手入れ(店や住民の更新)が行われないなら、中心地の活力が低下していく大きな原因にもなり、我々や我々の子供たちは不便を強いられることになるので、はなはだ迷惑だ、というのも事実だ。
そして、商店街というのは、あくまで個店の集まりであることを忘れてはならない。個店個店のありようにかかっているのだ。
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一方で、商店街は「顔」でなくてはならないこともあるだろう。
それは、その立地がまだ、その地域住民にとっての動線上や生活利便性に近い立地にあることも多いという背景があるからだ。
このような立地は、地域として見たときにとても大切な場所になる。
多くの場合、駅前の商店街の土地は地主さんがいたり、経営者が所有していたりする。
それは、権利上では彼らの土地だろう。でも、地域を包括的に見た場合、彼らだけの土地ではないのも確かだ。そこには、多くの住民の生活の豊かさ増減がかかっているのだから。
だから、駅前にあまりに旧態依然としたお店を構えられるのは今時の現役世代住民として困るのであるし、新しいお店に変わってほしいと切に願うことになる。それができない、あるいはなされないのであれば、喜んで郊外の大型店に行くだろう。
「古くからのなじみ客が来てくれればいい」
というお店ばかりであれば、若い現役世代の住民はまちなかに居場所を失うし、期待もしなくなる。現に、多くの街はそうやって若者を郊外に追い出していると感じるし、若者は住居を含めて郊外に出ざるを得ない状況にあるのではないか。今は昔と違い、多くの家庭が共働きをしなくては生活をして子を育てられない時代。むしろ、積極的なまち中での助けがほしいぐらいなのに。
その立地をあくまで土地あるいは店舗所有者の個人の権利だと主張するお店が多いほど、その地域の利便性や魅力というものは減じるものだな、と再認識した次第なのだ。
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(自分は基本的に、駅周辺や中心市街地の一帯は行政あるいはまちづくり機関が土地を所有すべきだという考えを持っており、そこを定期借地で商業地域、居住地域などを管理し、必ず10~30年ぐらいしたらその中身が入れ替わり更新されるようにする仕組みがまちのにぎわい維持には重要だと考えている)