朝まで生テレビ の討論、面白く、なんだかもどかしい。
奔放な教育を受け、みな貧しい中から社会共通の目標を持つ中で、やるべきことは明確、つくるべきものはたくさんあり、ある程度権限を持てる中から年々所得が拡大し、目に見えて時代が進化していたころに将来に大きな夢を見た高年代の世代で現状不満度が高く(思うようになっていないから)、
画一的な教育を受け出る杭を嫌い、年々時代が右肩下がりの縮小傾向、社会としての目標も進むべき方向も見えず、権限も持たず就職もままならず、働けど向上しない所得や労働環境が悪くなる中で将来に希望や生活の質の向上の確信が持てない状況を生きている20代、30代の若い世代が今現状に幸福を感じ保身的になっている(将来は今より悪くなることが見えている)ということは当然と思う。
個人で変えられることはあるが、それ以前に個人ではどうしようもないマクロ環境の前提が違いすぎる。
このとき、同じ20代、30代の人生のステージの過ごし方として、どちらが「幸せ」なのか。
「幸せ」とは何か?
46歳の慶応大学の先生の、
「若い人は親の資産をあてにできる。それだけの資産がある。だから家を買う必要もないし、税金も払わない」
という発言は、まあ、15年くらい前の
「若者は自由なライフスタイルを求めるためにフリーターになる」
「ライフスタイルのためにあえて結婚しない若者たち」
とかまったくボタンの掛け違いをしていた大人の世論の典型だと思う。
(もちろん、それが違っていたと気づいている大人のかたは私の周りにたくさんいるが)
逆に、40歳の早稲田の先生は癖があるが言っている本質的な部分は共感できる。
将来への絶望感が、現状への満足感をもたらしている。
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実用性と下駄変わりの車ばかりをつくっていたトヨタがなぜ若者をつかむためにFT86という車を開発したのか?これは本当に「車離れ」から若者の価値観を車に回帰させるほど売れるだろうか?
社会のなかで、マクロを変えうるマス層は、まだまだこの変化の本質を見ていない。
ただね、若い世代も自分たちでもっと動かないといけないんだよ。
その必要性に気付いているはずなのに。
「座して天命を待つより自ずより道拓かれん」
ラバウル、松山という激戦地にて、数は圧倒的劣勢、使っている飛行機は圧倒的に性能劣位のなか、エースパイロットとして生き延びた小高登貫(こたかのりつら)という人の言葉です。
こんな状況だからこそ、私はなかなか理解されなくても36歳の診断士として、その世代の目線、共感をする中からまちづくりの提案をしているのです。それが自分の強みであり、役割だからです。
未来をつくろうと動き出し、時にもがいているまちづくりの現場の若い世代とつながりながら、それを応援する。時にベテランの素晴らしい知恵やノウハウを持たれている先生方とのコーディネートをしたいと思っているわけです。