上の画像をご覧ください。
どちらもともに、同じ花です。あるトルコ桔梗がまさにこれから咲こうとしているのが、左。
そのトルコ桔梗が後日、枯れて朽ちていこうとしているのが、右、です。
いかがでしょうか?どちらがきれいですか?
いろいろなご意見があると思いますが、私は
「両方美しい」
と考えています。
ただ、その美しさはそれぞれ変わってくるものだと思います。
それゆえ、カラーかモノクロか。
クローズして撮るのか引いて撮るのか、使い分けています。
そのモチーフそのものの持つ美しさは、
すべてのものが同じように写せば表わされるものではありません。
そのモチーフをしっかりと正面からとらえ、美しさを見つめた中にふさわしい構図が見えてくる気がします。
まちづくりも同じです。
「誰にでも来てもらえる」まちを目指すことは「誰にも来てもらえない」まちの志向です。
カメラで言う機能の「プログラムオート」みたいなもの。
見た目はきれいに撮れるけど、何の特徴も主張も意図も感じない、ただ作っただけの画。
それは、本当に、来てほしい人達を観ているのではなく、作り手側からの一方的な希望、尺度自己満足の押し付けでしかないのです。
ここで必要なのは、まちを「エリア」や「ゾーン」に分けて考えることです。
「Aゾーンは、子育て世帯ファミリーが来られるような色付け、演出、機能づくり、テナントミックスをしていこう」
「Cゾーンは、シルバー世代がここにきて、買い物だけではない時間消費をできる作り方をしていこう」
「Bゾーンは、日常生活において多世代が文化的交流でき、自分の表現をできる文化的世代交流ゾーンに…」
このように、ある程度具体にターゲットを選定し、そこが持つべき”構図”というものを描くことです。背景の深み、取り組むスピード、いろいろなものが変わってくるはず。
それが見えてきて、関係者間で「共有」ができてくると、
そのエリアに必要なハード、ソフト両面からの「機能」「性能」「色」「材料」「光の当て方(私は”陰と陽の演出”と言っています)」などなどがおのずと見えてくるようになるのです。
このようなまちの「構図」をしっかりと描かなければ、
そのモチーフの持つ美しさや活力が引き出される意図がなければ、
やることは見えず、何をやっても成果が上がる仕組みは成り立つことはないのです。