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信頼を勝ち取る姿勢は紙一重。物事の優先順位を間違えるな。

朝ズバを見ていたら、とある伊豆諸島の島についてやっていた。津波が来ると、29mの津波が想定される、ということがつい最近発表されたことに対する島のコミュニティの対応についての取材だ。
ある商店の人がインタビューに答えていた。
「GWの前にこんな発表しちゃったから、もうなるようにしかならないけど」
非常に、疑問の残る発言だった。
季節的に外貨を掻きいれる時である事情はわかる。
でも、だからと言って、土地勘のない観光客が大変な危険に会う可能性がある状況、情報を
「自店の売り上げのため」
に今発表されて迷惑だ、のように言うとは。
「島に遊びに来られる方のためにも、危険な状況が早くわかってよかった。すぐに、我々としてもお客様の安全への対応を進めたい」
こういうだけで、評価は180度変わったはずだ。


千葉北部のある商店街関係の人と話した時のこと。私が線量計で空間線量を測り、
「やはり商店街区も線量高いですね」といったところ、その方は
「それをブログなどで書かないでね、人が来なくなったら困るから」

この二つの発言はともに同じものかな、と思う。
端的に言うと、自分はこのようなお店や商店街では買い物をしたくない。
安心・安全なもの、本当にお客さんのためになるものを売っていると思えないからだ。

商店街の人にその場で言った。
「その考え方が、住民からの信頼を得られないんですよ」
「むしろ、これは危機を信頼に変えるチャンスです」
「商店街の人が、毎朝、街区を除染活動して、住民の目にその姿を見せる」
「空間線量や、側溝の線量を測り、毎日街区に貼りだす。ネットに載せる」
「商売人が先回りして消費者よりも安全・安心を高めるための学習する」
「”私たちは、皆様の安全・安心に取り組む”というメッセージを掲げて、それぞれのお店で商品の安全性を高める取り組みをし、店頭でPRする」

こういったことをすれば、むしろ、住民のかたは商店街にたいする安心感、安全感を増すでしょう。
「安心・安全」を感じられない商店街には、そもそもそこに来て買い物をしようという「動機」は住民には発生しない。それでも商店街を使うのは、昔からのなじみで惰性や交流に来ている高齢者か、やむなく来ざるを得ない人たちだ。

自分たちの目先の利益のために、事実やお客様の安全にまつわることをひた隠し、ごまかす。

誰がこれに共感するというのだ?

ある一つの事象、とくに、SWOTで言うところの外部環境のT(脅威)に関して言えば、そこへの対応のいかんによって、評価は表裏相反することとなる。

ネットスーパーの「おいしっくす」などは、原発事故直後から自社流通商品の放射能検査体制をいち早く取り入れ、乳幼児向け食品はすべて調査し始めた。
結果的にユーザーの信頼を勝ち取り、会員を増やしただけではなく、生産農家を守ることにもつながった。

先の商店や商店街と、おいしっくすの違いは何か?

そこをしっかりと考えなくてはならない。

物事には、優先順位がある。
よく、経営と人間としての在り方は、「優先順位は相容れない」と考えている事業者が多いが、それは考え違いである。

物事の順序を踏まえているからこそ、ゆるぎない信頼や愛顧を賜ることができるのであり、それはまた、経営に”筋”をつくり、次に自分が何をすべきかの道を照らしてくれるようになる。結果的に持続的な経営をもたらすことになるのだ。

経営者が目先の銭をいかにずるく手にするかを考えてはいけない。
日々の人としての在り方こそ、実は大切な自己と事業への投資活動なのではなかろうか。

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2012年04月03日 08:37に投稿されたエントリーのページです。

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