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2008年10月 アーカイブ

2008年10月02日

なぜひらがなにするの?

近年、特に市町村合併が盛んになったころによく見られた風潮だが、
地名をそれまでの漢字から、ひらがなに変える市町村が後を絶たない。

自分にとっては、ひらがなにすることは一種の、地域のアイデンティティーの
放棄に等しいのであろうと考えている。

地名の成立については詳しく知らないが、
それぞれの歴史や自然、文化や民族に起因するものが多いと考える。

また、漢字は読みだけではなく、その文字自体に意味を持つものであり、
すなわち、地名を音(おと)で読んだときの表面的な受け取り方だけではない
含意があるのではないか。
もちろん、たとえばアイヌ起源の地名など、音への当て字である場合があるにせよ、
そのような願意を含むものをひらがなにしたとたん、その含意や、
そこから派生する地域性というものへの想像は失われる。

たとえば、青森の奥入瀬は、深い森林の中をせせらぎが流れる情感
豊かな奥入瀬渓流が有名な観光地であるが、近隣の2町が合併して
「おいらせ町」が誕生した

「おいらせ町」を流れる奥入瀬川自体は渓流ではないので、いわゆる
奥入瀬のイメージとはちょっと違うといえるのだが、いずれにせよ
なぜ地名が 「奥入瀬町」ではいけなかったのだろう?

「奥入瀬」と「おいらせ」

私には、まったくもって別物に受け取れる。
ましてや、奥入瀬のことをまったく知らない人にとってはどうだろう。

おいらせ、ではなく、奥入瀬、だったら想像ができることもたくさんある。

+++

また、市町村合併などによる地名の変更は、そこにあるもの
をまったく放棄してしまうこともある。

一時物議をかもし、結局実現しなかった例としては

「南セントレア市」

などというものもあった。

「忍者市」「ゴジラ市」

にいたっては、まじめに考えた関係者には悪いが、
絶句どころか、絶望を感じた。

+++

元は漢字のひらがな地名を見るたびに私は
軽々しい印象を受け、がっかりする。

+++
このような「ひらがな」はなぜ使われるのか?

はっきりとした納得いく定義を、私は見たことがない。

「読み方が難しいから」
「あまり使われない漢字であるから」
「ソフトな感じになるから」
「合併時に合併する地域間で不平が出ないため」

などがあるのだろうと思う。

+++

しかし、読み方が難しかろうと、あまり使われていなかろうと、
イメージが堅かろうと、その地名には、その地名が示していた意味、
培われて来たものがあるのではないだろうか?

日本全国によく見られる
「○○谷戸」だって「○○新田」、「地獄谷」だって、
その地域性をあらわしている使命がある。

それを単に、上記の理由で放棄してよいのだろうか?
漢字が難しかろうと、それは調べたり学習すればよいだけだ。
「何でこの字を使うのだろう?」という疑問がわけば、そこから
新たな学習や、地域への理解が深まる。そこからその地域における
精神性の礎ができるかもしれない。

私だって、幼いころは東京都府中市で育ったが、

「府中」というのは、かつてここに「国府」があった、国の中心だった、
ということに自慢の種を見出していたし、地域性を感じていた。

安易なひらがな化は、子供たちへの文化の継承や新たな学習機会、
精神性の醸成機会、そして、その地域の”地域案内”機能を奪う。

安易な地名のひらがな化は決して望ましいことではない。

+++
自分は、安易なひらがな化に関しては、「言葉(国語)」に関する
重み付けの不十分さが起因していると考える。
さらに言えば、「言葉(国語)」の考え方は、文化だけでなく共同性に関する
倫理や道徳といったものにも関係するものだと考えている。
それは、漢字や言葉が、さまざまな歴史背景や思想のなかで
時間をかけて完成されていったものだからだ。

文学や読み物を読むときだって、使われている漢字がなぜ、そこで
使われているのか、表面的ではない含意やそこに隠れる事情を
そこから読み取るものだ。その「漢字」から含意や事情を読み取る力
があるからこそ、日本人は日本人の文化や思想性を持ち、表面的な
現象だけではないことを共通に理解しあってきた。
それが難しくなったというなら、それは地名や漢字のせいではなく、
教育の問題であって、地名をひらがなにしたところでなにも解決にならない。

+++

長い間培われてきた、あるいはその地域の誇りであった地名を
もっと大切にしたいものだと思う。
それは、いまの大人たちの事情だけではなく、子供たちに受け継いでいくもの、
子供たちに残していかなくてはならないもの、そして、国のために守る地域の
宝だからと考える今日この頃である。

 

 

 

2008年10月11日

一般論?

コンサルタントとしてスポーツショップの経営者さんに売り場レイアウト改善を
提案するという店舗レイアウトを学ぶ演習指導中、研修生の方とこんなやり
取りをした。

研「男性と女性のスポーツウェアの配置は分けたほうがいいのですよね」

私「あんまり男性女性が入り混じるようであれば、分けたほうがいいかもしれませんね」

研「それで、男性と女性のウェアは、店の手前と奥のほう、どちらをどちらに
おけばいいのですか

私「(ご質問の意図は)どういうことですか?」

研「通常、決まりというかどちらをどこに配置するのですか」

私「法則などはありませんよ。どういう考え方かによって変わってきます」

+++

いまいち腑に落ちない表情の研修生に、
私の説明も不十分だったかな、と反省しつつ、一方では
たとえば一般的に「男性が手前、女性が奥」などとうたっている
”説”があれば、彼はそれを取り入れるのだろうか?
とふと考えた。

+++

そういえば、診断士養成課程が新制度になってから、実習を
するたびに市販のノウハウ本を持ち込む研修生が確実に増えた。

おそらくは、あまり勝手がわからない分野などでの実習に不安を覚え、
参考とするために買ったのだろうし、
(他班にはそのような本のコンテンツ丸写しの研修生もいたようだ)
大変な一次試験を筆記で合格してから大学校にくる、現在の研修生の
特徴でもある。

しかし、それこそが「落とし穴」だと自分は考えている。

落とし穴とは

「(現場を見ているはずなのに、実際は)現場を見ずして、一般論を適用してしまう」

という落とし穴だ。

+++

コンセプトを前面に押し出す店ほど、そのコンセプトの内容の
表現、ターゲットへの訴求ということを考えて売り場をつくることが
大切だ。
たとえば、ウェアの配置だって、外から店内を見たときに
男性物が多く見えるか、あるいは、女性物が多く見えるか、
またそれはどのようなデザインのものが、どの程度どのように陳列されているか
によっても店の印象も訴求も変わってくる。
それは、一概に「男性物、女性物がどうこう」ということはいえるわけがなく、
あくまでその店の戦略的思想から落とし込んで考えていかないといけない。
どのような人に、どのように買い物していただくか、それを設計するのが
店舗レイアウトの大切なポイントでもある。

何かを学びたい、スキルを身につけたい、と思うほど、
「これはこうやるものである」
という”答え”を求め、それを教わろうとしてしまう。

そういった意味で、自分はよく実習でいう。

「お決まりの答えなどは用意されていません。
それは、店によってそれぞれにあるものです。
だから現場をよく観察し、話を聞くことが重要です」

+++

今日、私に質問してくれた研修生に十分に意図を伝えることは
できなかったかもしれないが、これからの実習を通して、
そのような現場の視点を学ぶ機会が生かされることを願っている。

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