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2008年12月 アーカイブ

2008年12月06日

中心市街地活性化の最近のお仕事

相変わらず、中小機構の中心市街地活性化サポートマネージャーとして、
4地域の中活支援をしている地域を支援しています。

鶴岡の山王商店街支援では、他地域の実例を示しながら
商店街の役割付けやコンセプト、ゾーニングについて
話をしてきました。
熱心に街づくりをすすめている理事長さんにも
「色々とヒントをもらえて、これからの作業がしやすくなった」
といっていただけました。

那覇では、個性的な取組みで那覇の町に存在感を持つ桜坂劇場
方とお話をして劇場を見せていただきました。

P1010080

アイデアフルでエネルギッシュな桜坂劇場、個人的にもファンになりました。
また、
九州の中小企業診断士で、中小機構の中心市街地活性化プロジェクト
サポートマネージャーである槙本先生の一店逸品研究会にオブザーバーとして
立会ってきました。私の開催しているPanda研究会と通じる部分も多く、
なかなか面白かったです。

奈良の支援では、事業者さんの事業に対する情熱と意欲がすばらしいこと、
そして、何よりもフットワークが軽く、しかも、聞く耳を持つ、という人間的にも
とても魅力を感じさせる姿勢での取組みが着実に成果を上げています。
今から、その事業の立ち上がる日が楽しみです。

 

 

やりがい商売研究会(Panda研究会)in由利本荘

3年前に始まったPanda研究会。
やりがい商売研究会ということで、今年度も由利本荘市で11月から
5回の予定で8人のやる気ある参加者、それを支援する商工会の
指導員さんたちを集めて始まった。

全5回中、第2回目の昨日は、ディスカッション作業の合間に
第1回目のPanda研究会卒業生のお店見学。
P1010333
そのお店はいつ来てもわくわくするし、地方における個店の生き残り方法の
エッセンスを凝縮したようなお店だから、代表の方のお話もとても面白い。
代表のお話を聞きつつ、私のほうでポイントを整理して説明する。
今回の研修生たちも、興味津々、目を丸くして話に聞き入り、店を見回していた。
商工会に戻ってからは、見学してきたことのまとめ作業と、いつもの研究会の作業。

また、小ネタに、
「私がいかに普通の男と違うこだわりを持つイカシタ男性か」
というテーマで、喫煙具(喫煙しないのだが)専門店で購入してきたBCのパイプと、
万年筆に強みを持つ文具店で購入した万年筆を自慢し、それらを購入した
お店について話した。

研修生の皆さんにも、色々と参考になった回ではないかな、と思う。

夜はやはり、1期卒業生の個性的な飲み屋さんで懇親会。
病み上がりでしばらく飲んでいなかったこともあり、すぐに酔っ払ってしまった。
病気の後遺症で痛めていたのどからは、ほとんど声が出なくなってしまった。

宿に戻って気づいた。

靴下に穴が開いていた。

ゼンゼン、イカシタ男じゃないな、と少し落ち込んだ。

お気に入りの靴下だったんだけどな。

波乱の帰宅 

由利本荘市商工会での今年度の「やりがい商売研究会」(P研)の
第2回目、その懇親会も盛況に終わった翌日。
朝7時48分の羽越線で秋田駅まででて、シャトルバスで秋田空港、
10時45分くらいのANAで正午前には東京に戻る予定だった。

が、昨日からの雨は暴風雨に。
泊まった「本荘ステーションホテル別館」というのが、
線路から直線でも50mは離れているだろうに、電車が通るたびにユラユラゆれる
代物なのだが、その建物に暴風が打ち付ける音もまた夜中はよく
聞こえた。

羽越線は2005年に突風で「特急いなほ」が転覆した路線でもあり、
ユーラシア大陸からやってくる風をまともに受ける日本海沿い平野部を走る。

「もしかしたらな~」

と思い、宿からケータイで乗り換え案内を検索。
案の定、

「運行情報 羽越線 暴風のため運行見合わせ」

だった。

秋田空港へのシャトルバスは、予定では8時51分秋田駅発。
まあ、その一本後の9時20分のやつでも間に合うだろう。
それを過ぎればアウトだ。

駅に向かう。自分が乗る予定よりも前の電車が未だ来ていない。

10分…20分…時折、

「現在電車は象潟駅です」

などとアナウンスが入るが、ちょっとまてよ、
15分前も象潟駅じゃなかったっけ?

どうやら、電車は駅で停まり、様子を見て暴風の間隙をつくように
前進してきているらしい。
な、なんとスリリング。とはいえ、この地域の人にとってはこの光景も
生活の場面の一部なのだが。

やはり、このままでは飛行機には間に合いそうにない。
かつては本荘からも空港バスが出ていたのだが、数年前に
路線が廃止されている。
スマートフォンでネット上を検索していたら、
本荘市内から5000円ほどで空港にいける乗り合いタクシーというのを
見つけたので電話してみた。

タクシー会社「前日12時までの予約なんですよね~」
私「そうですか、電車が停まっちゃってて、困ったなーと思って」
タクシー会社「すみません…」

まあ、完全予約制なのは仕方ないとして、こういうときに
ライバルのタクシー会社などに連絡を入れて融通を利かせてくれたり
してくれると、一発でファンになるんだけどな~、
等と思いつつ、また駅の待合室へ。

+++

結局、運行再開した羽越線に乗れたのは8時45分。
7時の弘前行きが、なんとも1時間45分遅れで到着したのだった。
秋田駅まで1時間。飛行機は絶望的だ…。

しかし、秋田空港は不便極まりない。
もし、秋田駅から片道40分かかるシャトルバスを逃してしまったら、
よそから来ている我々は秋田駅から7000円かけてタクシーで向かうしか
方法がない。
以前、そういうことがあって、それで7000円かけるなら、
飛行機のキャンセル料払って新幹線にしたほうがましだと
新幹線に変更したこともある。
それ以来、秋田へは9割がた新幹線で通っている。
ただ、今回は病み上がり、4時間の新幹線の車内は
病気を拾いやすいこともあって、新幹線より断然早く、密室空間
に閉じ込められる時間の短い久しぶりの飛行機だったのだが…。

+++

ちなみに、自分が年間を通して体調を崩すきっかけで断然トップなのは、
「新幹線での移動」
である。というのも、新幹線は長い時間密室に閉ざされるし、
たいてい自分は眠り込んでしまう。眠っている間の人間の防御力は
低下する。
だから、冬季は必ずマスクをしているし、乗っている間ののど飴は
必須アイテムだ。

先週自分は3日寝込むほどに体調を悪くしたのだが、それも出張での
新幹線がきっかけだった。
あれは確か前の週の上越新幹線、自分の後ろの席のスーツ
姿の30代半ばくらいの男性は、明らかに体調が悪そう。
電車が東京駅を発車してから新潟に着くまで始終ずっと、ゲホゲホしている。

しかも、

マスクもしないで。

…体調悪い彼には申し訳ないが、これは、一種のテロだと思った。
無差別にウィルスをばら撒いているのだから。

一方自分としては、いつも新幹線に乗るときに用意している
新品のマスクをつけて乗っていたのだが、それでも途中寝てしまったり、
スキを見せたのがいけなかったらしい。
しっかりとウィルスをもらってしまったのだ。
(ウィルス感染は、ほとんどは飛まつ感染。ウィルスを持っている人が
せきをすれば、飛まつは数メートルにわたって飛散する。ウィルスによっ
ては、30分空中を漂うこともある。)

しかし、新幹線も、長旅に使われる車両なのだから、加湿するなど
もうちょっと「伝染病予防」の対策が取れないものだろうか。

+++

話しは元に戻り…。

羽後本荘の駅で乗り込んだ3両編成の羽越線はなかなか発車しない。

その間も、車体は風でグラグラと揺れている。
なるほど、これはたいした風だ。

やっと動き出したかと思うと、亀のような歩みである。
でも、風で転がるよりは安全運転はありがたい。

幾駅か過ぎて、途中、いきなり電車がやる気を見せた加速を
したりして「オォッ!いけえっ」と期待したりする。しかしすぐに亀さんに戻る。
大荒れの日本海と立ち枯れの松林、酷く窓に打ち付けては
滝のように流れる雨雪、雲間からのぞく青空などの環境に
耐えてけな気に進むぞ、ピンクと紺の線が入った小さな羽越線。

しかし、その小さな車体に限界が来たのだろうか。
まだ由利本荘市内の岩城付近、国道7号線沿いの
小さな道川駅まで来て、電車は完全に停まってしまった。

P1010343 停まってしまった。

立ち客はいない程度の車内であったが、皆じっと運行再開を待つ。
「これから学校に行っても、授業終わるね」という学生。
「時間に間に合いそうにありません」という成人女性。
「これで秋田行っても、本荘に帰れないな~」と誰かに電話している女性。
なんだかイライラしてブツブツ行っているスーツ姿の男性。

その間、自分はなにをしていたかといえば、ケータイ、スマートフォンを
駆使しつつ飛行機の予約をキャンセルし、ほかの帰宅方法を探し、
結果的にえきねっとで秋田新幹線の予約をとっていたのだった。
12時1分の窓際の指定席をきっちりと取ることが出来たのだが、
これが秋田駅についてからの手配だったら、無理だったかもしれないことを
考えると、時代も便利になったというものだ。

+++

「当電車はここから秋田駅までバスの振り替え輸送になります」

と車内放送がかかったのが停まってから15分ほど。
さすがにこれ以上は困難のようだ。

振り替えのバスは秋田駅を発車したらしい。
近所に営業所などはなかったようだ。

振替バスが道川駅についたのは
それからさらに30分以上たってからの事だった。
この頃になると自分は待ちくたびれてむしろ、旅情をいかに感じるか、
思案に暮れている次第だった。

+++

2台の緑色のリムジンバスが到着した。

「なまはげ号」

だそうだ。なんだ、見た目はただの緑色のバスで、なまはげ感を感じない。

それとも、クラクションを鳴らすと

『ブッブー!』

ではなく

『なぐごはいねがぁ~』

とでもなるなら楽しいなぁ。

バスに乗り込む。
車掌さんや駅員さんは「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」と
恐縮しきりだが、これは天候だから仕方ないだろうに。
都会だと、こういうときに駅員に食って掛かったり、暴力を振るうやから
が出るのだから不思議だ。天気をどないせえというのだろう。

バスは紅葉も終わって落ち葉が積もる山間を進んでいくし、
(秋田の紅葉の盛りの頃は、山々が燃え盛るようで実に見事)
なんだか期せずしてプチオプションツアーに参加した気分だ。
こんな風に秋田を実感するとは、旅とは意外性のものである。
と、妙にワクワクしてくる。

バスはスイスイと自動車道を秋田駅に向かって走っていく。
しかし、なんだか寒い。このバス、なんだかスースーと隙間風が酷い…。

今回の出張で初めて使用したユニクロの

ヒートテック・モモヒキ

の性能はなかなかだ。自分の下半身は温かく守られた。
これで1500円だったら、もう一つ買っておこう、そんな気がした。

11時10分、バスは秋田駅東口に到着。
自分の新幹線までには1時間弱ある。ちょうどよい。

いつもであれば1時間弱の行程に3時間。
その間にノロノロ走行にグラグラ揺れる電車、
飛行機のキャンセルから新幹線の手配、荒れる日本海から落ち葉の
積もる山間を見るプチ・秋田自然見学ツアー、そしてユニクロ・ヒートテック・モモヒキ
性能実験と、なんだか色々とあった…。
仕上げは、自分が今日本で一番好きな駅弁、「しらかみ弁当」を
秋田駅の売店で購入して新幹線で食べようか。

P1010344 1000円です。

秋田駅の待合室のTVではNHKの富山の木彫り職人のドキュメンタリーが
妙なまったり感を演出していていい塩梅だった。

P1010346大曲付近から雪は横殴り

P1010353 田沢湖あたりは雪が積もっていた

P1010355 盛岡を過ぎると未だ晩秋

P1010356 大宮での夕日はきれいだった

2008年12月17日

ヨォツゥヤァ

本当にどうでも良い話なのですが…。

電車移動の機会が多い自分にとって、最近気になるのは電車のアナウンス。

”次は新宿、お出口は右側…”

と日本語で自動アナウンスがかかった後に、続いては英語のアナウンス。

”ネクスト ストップ…”

問題はその後。

たとえば、四ツ谷のばあいは、発音は

”よつや”

とフラットなアクセントなのだが、
これが外国語発音になると路線によっては

”ヨォツゥヤァ”

となる。

つまり、発音が日本語じゃない。

+++

自分はそもそも、日本の人は、なんで日本のことを

”ジャパン”

なんていうのだろう?という疑問がある。

ジャパンは、外国の人が言っているだけで、日本は

”にっぽん”

じゃないか。

以前、アメリカ人で教師をやっている男性との会話で

「日本はジャパンじゃないんだよ」

と言った事がある。

その時の彼の意見。

「なるほど、じゃあ、まず日本人から”ジャパン”じゃなくて
”にっぽん”て言うことだね」

なるほど、そりゃそうだ。

+++

沖縄のゆいレールのアナウンスは、日本語のアナウンスのあとに
やはり英語のアナウンスがある。

”ナウ アライビン 県庁前”

というような感じだ。
正直、”ナウ・アライビン”の部分を最初は英語だと気づかなかったのだが、
(英語としての発音は微妙だと思う)

駅名の発音は

”ケーンチョォウマエィ”

ではなく

”県庁前”

と日本語発音。

外国人さんには、アクセントのなさが聞き取りづらいのかな、とも思う。
そういった意味では、

”ヨォツゥヤァ”

と大げさな母音発音とアクセント付けは、外国からの訪問者の利用しやすさ
につながるかもしれない。駅の案内表示だって、首都圏ではいまや英語とハングル併記は
大体一般的だ。そういった意味では、この発音もおもてなしの一つ。

しかし、個人的には相当な違和感がある。

四ツ谷は四ツ谷であって、”ヨォツゥヤァ”なんて地名は日本にはない。
日本人が英語圏の国に行くときは、英語を話そうとする人が自分の周りには多い。
しかし、自分が国内で会う外国人の多くは、日本で日本語を話そうと日本語を知ろうとしたり、
そもそも日本で日本語を話す必要などはまったく感じていないようだ。
彼らに合わせて、日本人が使わない、日本人離れした発音などをアナウンスに入れる
というのも、「なんのこっちゃ」という感がぬぐえない。
せっかく日本に来ているのだから、日本人が使う発音でいいじゃないか。
言語が違うのだから、お互いの言語がわかりづらかったり、そこに非日常を
感じるのはお互い様。

自分が米国で電車に乗ったときも、「いま、次の駅なんて言った?」なんて、
地図を眺めながらドキドキしていたもので、そんな緊張感もまた旅のスパイスだった。
”ああ、この地名はこう発音するのか!”なんて発見があったりして。


とにもかくにも、自分がいつか訪れた外国の地で、

「オオ、ニホンカラキタノカ!ジブンハカツテ、”ヨォツゥヤァ”ニイッタコトガアリマス」

とか現地の人に話しかけられても、きっと、

「ああ、四ツ谷のことか」

なんてすぐにわからないだろうな。
だって、日本には”四ツ谷”はあっても”ヨォツゥヤァ”なんて、ないんだから…。

 

 

 





 

 

 

 

背中を押す言葉

色々とやることはあるのですが、今日は記事を二つ更新します。

昨日、知り合いの女性と、その彼氏、ほかに3人の診断士の方と呑んだ。

その女性の彼氏が、診断士を目指しており、ゆくゆくは独立したい、
ということでなんやら話が聞きたい、ということらしい。

4時間ほどの時があっという間に流れて、彼氏も
「なんだか新しいヒントや考え方が得られて、やれそうな気がしてきました」
と明るい表情を見せてくれたので、ヨカッタヨカッタ、というところだろうか。
答えを求めず、自分で考えをまとめようという彼の姿勢に感心。

++

私は大学を出て、情報処理関係の会社に3年間勤めに出たあとで
中小企業大学校に通い、独立した。

会社を辞めたとき26歳。独立したのは27歳。
組織から離れてあっという間の6年、思えば年数的にはもはや駆け出しとはいえない。

しかし、未だ若く、実家の事業も決して順風ではなく家計をチョコット支えていた
当時の私にとって、会社を辞めるのはとても悩ましいことだった。

自分は、学生の頃からまちづくりの仕事がしたかったし、
将来はそういう仕事をしていたい。
一方で、会社を辞めてしまえば収入はなくなるし、仕事を取ってやっていける
保証なんてどこにもない。
上司や先輩に相談しながらも、なかなか決断できないでいた。

ある日、向かい合わせに開発端末が並んだうちの一台の端末で、
自分の作業をしていた。
目の前には、どちらかというと同じグループのメンバーとつるまずに
アウトサイダーな立ち位置をとっている感のあった30代の上司Aさん。
彼は、仕事はそこそこやって抱え込まず、あとは自分の好きな音楽の作品作り
なども熱心にやっている人だった。

自分は彼との関係も良好だったので、案の定相談をした。

私「カクカクシカジカで、会社を辞めて本当にやっていけるか、辞めていいのか
決断がつかなくて」

一通り話を聞いた彼は、一呼吸置いて、自分の開発端末から目を離さずに
言った。

Aさん「大海さ、今、結婚して子供いる?」

私「いいえ、結婚もしてないし、子供もいませんよ」

Aさん「そうだよね、ご両親は?」

私「元気で健在です」

Aさん「そうなんだ。大海、今何歳?」

私「今は25歳(相談当時)です」

Aさん「失うものって、何かある?」

私「…(そういえば、特にないなあ)何かあっても、困るのは自分だけですかね」

Aさん「だろ?じゃあ、何を悩んでるんだよ?」

「失うものがないなら、やればいいじゃないか」

この一言が、自分の背中を押した。

ガーンッ!と頭をたたかれたような衝撃を受けて、

「そうだ、やろう!何があっても、俺次第じゃないか!」

と思えたのだ。

そして、そういう言葉を投げかけてくれた上司を心から尊敬した。
会社の利害ではなく、人間として自分に話しかけてくれていることが
とてもうれしかった。

自分も、こうやって人の背中を押せる人間になろう、そう思って、
今も仕事をしている。この経験から生まれたフレーズ、

”踏み出す勇気、豊かさの探求―”

は自分の事業の理念であって、キャッチフレーズ、であって、
そして人生の命題でもある。

+++

そういえば、創業当時方大変お世話になり、今も色々と私を見守ってくれている
診断士のK先生にも、よく言われたなあ。

「取り返しのつく失敗なら、どんどんしなさい」

これも、Aさんの言葉と同じなんだな、そう思った。


人を傷つけるのではなく、否定するのではなく、相手を勇気付け、
踏み出すことを助けることが出来る言葉。

そういうことをいえることが、自分にとっては診断士としての価値なのかな。
ふと、考えた。

About 2008年12月

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