++ 画像・文章の無断転用、転載、加工等はお断りしております++
☆また、商品販売や販売促進を目的としたサイトが当ブログの記事を無断でリンクし、
記事内の情報をそれら目的に用いることを禁じます。☆

« 2008年08月 | メイン | 2008年10月 »

2008年09月 アーカイブ

2008年09月03日

やめられないこと

今日は中心市街地活性化のお仕事で和歌山県田辺市に行ってきました。
今は、大阪の天満橋のホテルからこれを投稿しています。

先週は奈良市、今週は福島県の二本松市にも行ってきました。

さて、今日のことなのですが、大阪のまちを仕事仲間と移動中、
タイガースの話題になりました。
さすが大阪、大阪出身の仲間は根っからの猛虎ファンです。
その話の途中で、自分は巨人ファンだといいました。

本当は巨人の試合など、ここしばらくは見ていないのですが
それでも巨人ファンは辞められません。

+++

小学校の5年生ごろだったでしょうか。
友人と二人で、後楽園球場に巨人対大洋ホエールズ(現横浜)
を見に行きました。
試合は中盤、4-0で巨人が優勢。

外野席。大声を張り上げて巨人を応援する私と友人のメガホンが、
突然後ろから取り上げられました。

今もありありと思い出します。

驚いて振り向いた私が見ると、大洋ホエールズ(現横浜)のヘルメットをかぶって、
メガネをかけた陰気そうな中年男性が、小学生の私たちをにらみつけながら
「これ、いらないよね」
といって、背番号シールをたくさん貼ったメガホンを二つ、もって行ってしまったのです。

そのメガホンは、私にとってはとても大切なものでした。
年に数日休みがあるかないかの自営業者の父、めったにものを買ってくれなかった父が、
私を巨人戦のナイターに連れて行ってくれたときに買ってもらったメガホンだったからです。

メガホンを取り上げられて驚いた私たちがちょっとして追いかけると、
大洋ホエールズ(現横浜)のヘルメットをかぶった男性は、物陰で思いっきり、
その二つのメガホンを踏みつけてつぶしている最中でした。

バキ、バキッと、メガホンは潰れました。
何度も、何度も踏みつけられるたびにそのメガホンはふくらみを失い、
平べったくなっていきました。

私は悔しい気持ちもありましたが、むしろ、大切なメガホンがつぶされたことが
悲しくて、元いた場所に戻るや否や
大泣きしてしまいました。
あのメガホンを買ってもらったときのことは、とてもうれしくてよく憶えていました。
そのシーンが、頭を幾度もよぎったのです。

すると、そばにいた後楽園の守衛さんや、巨人ファンの若い男性が数人、
私たちのところにき
てくれました。

「どうしたの?何かあったの?」

私は、まだ付近をうろついていた男性を指差して、しゃくりあげながら
事の顛末を説明しました。
大洋ホエールズファンの彼は、もうメガホンを始末したのでしょう、
なにも持たずにじっと試合を見ていました。

泣き続ける私を見て、後楽園球場の守衛さんと巨人ファンの若いお兄さんが
不憫に思い、
「こっちにおいで」
といってくれました。

ついていった先は、球場の売店。

「メガホンを買ってあげるよ、どれかな?」

守衛さんが言って、500円のメガホンを買ってくれました。

「背番号シール、買ってあげるよ」

若いお兄さんが言って、シールを買ってくれました。

悲しい気持ちに沈んでいた私は、うれしくて、あんなに悔しくて
悲しかった気持ちがとても救われる気がして、また泣き出しました。
父に買ってもらった大切なメガホンと同じくらい、
うれしい、やさしさにあふれたメガホンを手にしたからです。

「ありがとうございます」

と、お礼を言いました。

 

それ以来、どんなに巨人の仕事やメンバー構成に納得が行かなくても、
巨人ファンを辞められません。

一方で、大洋ホエールズの後身である横浜ベイスターズを見るのは
気が進みません(選手や球団の責任ではないのだけれども)

そして、自分も、ああいうやさしい人になりたい、と、ことあるごとに
思い出します。

些細なことかもしれないけれど、ある物事で傷ついたり、 落ち込んだりしている
人の境遇を理解し、そして、手を差し伸べること。
それがどんなにありがたいことか。

逆に、弱いものから大切なものを取り上げ、それを踏みつける悪意。
それがどんなに醜いものか。

このエピソードを、猛虎ファンの仕事仲間にしました。

「東京の人って、もっと冷たいと思っていたでしょう?」
と私が聞くと
「本当に、そんなことないんやねえ。それはいい話やわ」
と彼は言いました。

幼かったとある日の、アナログな思い出がいとおしく思える昨今です。

 

 

 

2008年09月04日

尼崎に行ってきました。という尼崎ブランド。

RIMG0254 
尼崎に行ってきました。
中心市街地活性化の取り組みのお話を、
市役所さん、会議所さん、TMOさんと支援アドバイザーにお聞きし、
まちを案内していただくのです。

尼崎市の取り組みでは、ソフトの取り組みが充実。
みなさんとても楽しそうに取り組まれています。

RIMG0187 RIMG0206

 
タイガースもまちをあげて応援体制。

「尼崎ブランド」の商品発掘や、商品づくりもなかなか目を見張るものが
あります。

TMOが制作したブランドを取り上げたガイドブックは480円にもかかわらず、
大手書店の店頭にも並び、第1版も即売。現在は第3版が店頭に並んでいるのだそう。

RIMG0190
TMO直営の尼崎ブランドショップでもガイドブックが売られている。

 

 RIMG0267
ワンダフルソース(とんかつ)

これも尼崎ブランドの人気商品。
実は、甲子園球場名物の焼きそばに使われている
ソースはこれ。
とんかつとウスター2種類を、7:3で混ぜるのだそうだ…。
値段は460円(だったと思う)
もともとは、業務用で一斗缶と一升瓶しかなかったところを、
メーカーに働きかけて家庭用サイズが実現した。

「新幹線で持ち帰るときは注意してくださいよ」
とTMOのかた。

「それ、いまどき珍しく木樽で作ってるんです。だから、
酵母が生きていて常温だと発酵が進んで

爆発します。まあ、 東京までなら大丈夫だと思いますけど

なに…!?
新幹線で爆発したら…「ワンダフル・ソース・テロ」に
なってしまう…車内に広がるどこか懐かしいソースの香り…。

JRにより

「新幹線には花火、大量のマッチ、火薬物、

ワンダフルソース持ち込み禁止

にならぬことを切に願う。

(ちなみに、川崎まで常温で持ち帰ってもぜんぜん大丈夫でした!)

RIMG0269
こんなのも、尼崎ブランド。全国シェア80%。

RIMG0274
じつは、湯たんぽ。3200円(ちと高い)。

通常の湯たんぽよりもふた周りくらい小さいミニサイズ。
夏場、クーラーで手足が冷えてしまう女性にも使いやすいサイズ。
IHクッキングヒーターでも暖められるように作り方が工夫されている
だけではなく、気密性も高く湯が漏れない。
なおかつ、注ぎ口は大きいのでお湯も入れやすく、かわいらしい
カバーも同梱されているので包んで使える。そのカバーは半分
折り返せるので、湯を入れるときにすべてをとる必要はない親切設計。

手に持ってみると、しっかりとしたつくりだというのがすぐわかる。
そして、湯たんぽは環境にもやさしい暖房器具でもあるのだ。
カラーバリエーションも数種類あるのだが、
残念ながらタイガースカラーはなかった。せっかくだから、タイガース
カラーがほしかったのだが。


いやはや、使ってみるのが楽しみでなりませんぞ…♪

しかし待てよ…。

しまった!

まだ夏だった。しばらく使えないじゃん。
しかも自分は暑がりの汗っかき。

ということで、この湯たんぽは早速、冷え性の家内の
ものとなりました。

マイ・湯たんぽ…(未練)

ほかにもいろいろと尼崎に由緒ある商品があり、そのどれもに
遊び心を感じさせ、見ているだけでも楽しい時間でした。

ブランドショップで買い物をすると、

RIMG0263
こんな袋に入れてもらえます。
これも、「尼崎」を前面に押し出して遊び心を感じさせる
紙袋。

RIMG0254 反対面。

 

ちょっとまてよ…何か違和感が…

 

RIMG0257 
ノ、ノリツッコミですか…!?
これぞ尼崎ブランド。

 

「ここまで来たら、底にも

”ソコがオチやねん(物は落ちません)”と書いたらどうですか?」

と提案してきました!

 


 

 

 

2008年09月06日

若者はまちづくりの主権を奪う。ベテランは場を与える。これが大切。

最近、まちづくりの現場で、高齢者による高齢者のための
まちづくりに偏りがちな会合が多いと感じる。

地域を将来的に支え、子供を育てなくてはならない世代の
生活環境はあまり省みられない。

高齢の人は、人生経験豊かだ。だから、社会に資する物事を
知っている人も多い。一方で、それが弊害にもなる。

「自分たちがここまで社会を発展させたのだ」

と、これまでの人生の長さや経験の豊富さを権利の主張の根拠にする。
(まあ、巷で言われる”豊かな経験”とは何を指すのか曖昧だが。
比べる物事によって、高齢であるほど経験がないコトだって多い)

「若いやつらはどうせ外に出て行って、買い物も町でしない」

という。だから、彼らのための環境づくりなど不要だ、といわんばかりだ。
そもそも、そのような背景にはどのような理由があるのかは省みられない。

もし、若者が白地のキャンバスと高度経済成長を与えられたのであれば、
きっと彼らは自分たちのまちをそこに描くだろう。そして、まちの外ではなく
まちの中で生活するに違いない。そのときは高齢者が外に出るかもしれない。

若手の発言を頭から否定し、取り合わず、そして何も前に進まない。

まちづくりに熱心に取り組んで、靴の底を減らしている若手の男性が、
ある会合でアイデアを発言したことがある。
すると外部から来た人たちの目の前で、高齢のメンバーが
「バカモン!何を言っているか!」
とすぐさま怒鳴りつけた。
議論はそれから進展しなかった。代案の提案もなされなかったのだ。


自分は、ある会合で、あまりに若手の意見を聞こうとしないで
代案も出さず、自分たちの権利を主張する高齢の役員さんたちに、

「みなさん、もう辞めてください。お金だけ出してください。
若い人たちはここで仕事をして、子供を育て、高齢化の中で皆さんの年金や
社会を支えて生きて行かなくてはならないのです。
このままでは、このまちは皆さんの世代でなくなります。子供が故郷を失います」

というようなことを言ったことがある。
場はシーン、としてしまったが、中には
「その通りだね、もう、任せようよ」
と言ってくれる高齢の役員さんもいた。
時代背景や景色は違うにせよ、どの時代も若者は問題や苦労に直面し、
それを乗り越えようとしている。彼らが主役になれなくては、
彼らは負担ばかりを抱え込む。

もちろん、高齢のまちづくりメンバーが素敵なまちづくりをリードしている
まちや事例も多いのも事実としてあるし、高齢者のまちづくりへの参画は
これからも重要なことであるのに違いない。

++++

一方で、若者も問題を抱える。

世の中には下克上よろしく、年上の商店街役員を若手が
よってたかって辞めさせ、自分たちが主権を握ってまちづくりを進める
まちもある。

隣り合った商店街同士で、高齢者の役員同士がいがみ合っている中で、
双方の青年部はそんなしがらみなどどこ吹く風とばかりに、
協力し合って仕掛けていったまちづくりがうまく行っている事例もある。

人事のようにふるまったり、あきらめたり、背中に隠れたり、
個に埋もれている場合ではない。
自分たちで切りひらくよりは、作られた環境で育ってきた価値観に
居座るのではない。自分たちの地域の未来をちゃんと予想して、
そして描き、主体的に取り組んでいくためには
どうすればよいのかを考え行動しなくてはならない。

場が与えられないことを周囲や環境のせいにしてはいくのではなく、
そのような中で、いかにまちづくりの主権を奪えるかを考え、
行動できるのが若者としての資質でもあり、将来への責任でもある。

そして、そのような若者の資質や自我を高めるのは、
「場を与える、権限を与える」という先人たちの環境づくりが必要不可欠なのだ。

++++

シルバー民主主義という言葉がある。

増え続ける高齢者の選挙投票率が高く、若者の投票率が低い。
そうすると、人気取りでも高齢者政策を打ち出す候補が得票を伸ばす。
結果的に、社会を育てる生産年齢の若手の負担は増え、一方で
自分たちの将来が保証されない社会整備が今よりもいっそう進む。

しかし、これは若者にとっても、与えられている環境ではない。
自ら招いている環境であるということに、危機感が必要だ。

++++

「老いては子に従え」

という言葉がある。
老いたものは権利や権威の主張を控え、子に場を譲る。
子はよりよい環境づくりを主体的に責任を負いリードする。

しかし、まちづくりの現場はこの言葉には程遠いな、と感じることが多い。

 

 

 

About 2008年09月

2008年09月にブログ「Take it easy 中小企業診断士 伊藤大海のブログ」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2008年08月です。

次のアーカイブは2008年10月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。