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2009年03月 アーカイブ

2009年03月01日

商店街診断のお仕事

8ヶ月ほどかけて取り組んできた千葉のある商店街診断の
最後の委員会に行ってきました。
今回の診断事業は千葉で活躍する診断士の伊東寛記さんと
一緒に取組みました。自分が中心に進めてきていたので、
調査内容の設計やストーリー作りなど色々考えたり調べたりと、
なかなか大変でしたが、やりがいのあるお仕事でもありました。
また、その商店街はここ10年で2回ほど商店街診断を受けていて、
一つは中小企業診断士の3次試験の受験生による診断、
一つはコンサルタントによるものでした。
それらの報告書の内容はさておき、診断提言を行う以上は
「今回の提案はいままで一番助かったね~」
といってもらいたいものです。

一方で、商店街の皆さんもとてもやる気のある方で協力度合いも
よく、年末の経営者アンケート・来街者調査などもつつがなく
終了。商店街の方の期待を感じて、ますます気が引き締まります!

最後の委員会では、こちらが用意して行った提言を報告し、
それを最終的にブラッシュアップすべく、商店街、行政、支援機関、
住民からなる委員の皆さんと意見交換をしていきました。

今回の提言は、アンケート調査、街区調査、商圏設定などの
現状分析結果のほか、

・商店街が商店街のことだけを考えるのではなく、
地域の中でのあり方を考え、特徴をつくる必要性。
・個店の活性化についての方向性
・商店街の課題の販促方法についての検証と改善ポイント

これらの提言が柱になりました。

どんな仕事もそうですが、一人で考えられることには限界があります。
今回の提案も、自分なりに色々と頭を悩ませつつ考えたものです。
それでも、委員会を進めていくほどに委員の皆さんの積極的なご意見で、
さらに磨きがかかり、より具体化されていきます。
話し合いの中で、みんなが同じことに対して真剣に捉え、知恵を出そうとする。
しかも、今回の委員会のメンバーのすばらしかったことは、みなさん

「やれない理由」
「やらない理由」

ではなく

「何ができるか」「どうやったらできるのか」

という視点から議論が進められたことです。

よくなっていく提案、見えてくる踏み出す一歩。
それを実感できることがとてもやりがいを感じる瞬間。

少しでも、商店街とそこで商売を営む方、そして地域の人のためになる
ことができたのかな、
と、終了後に少し感じることができました。

商店街診断は今は実施する予算がほとんどない地域も多く、
また、診断受け入れをできる商店街も少ないかもしれませんが、
地域の現状を知る上でも、商店街のこれからの姿を具体的に
描くきっかけ作りという意味でもとても役に立つもの。
こういうところにもっと気軽で手続きが簡単な予算支援が増えてく
れるといいな、と思います。
(もっとも、やる気のある人がいる商店街にこそ、その支援は分配
される必要があると思いますが)

 

さくらソングはもう辟易した

ここ10年この時期になると、「さくらソング」なる、
桜の花を歌詞におりこんだ歌が続々と出てくる。

日本人にとって、桜は昔から馴染み深い花だったし、
春の訪れを告げる花として、美しい花として愛されてきた。
そして、それは喜びの花だけではなく、別れを象徴する
ものとしても、ある程度の共通認識があると思う。
だから、桜がモチーフとして取り上げられるものには、
特別な感情がわきやすくなるものだ。

さて、「さくらソング」。
サビの部分でひねりなくダイレクトに「♪さーくーらー」
などと歌うようなものもあるし、「さくら」を連呼しているような
ものなどいろいろある。

自分は、それらの歌に、桜をモチーフにしてしていなくても
評価される歌がどれだけあるのだろう、と疑問を持つ。
桜のイメージだけに支えられていて、楽曲・歌唱力としては
何の深みもないペラペラ感を感じてしまうのだ。
つまり、「情につけこんでいる(そのようなマーケティングに
乗っかっている)だけじゃないか」と。
そんなに実力ある歌なら、夏に発売される桜をモチーフに
した歌があってもいいだろう。

もちろん、桜のイメージを上手に取り込み、作品として
魅力があるような楽曲もあるのだと思う。
福山雅治の「桜坂」は自分も大好きな歌だ。

まあ、いずれにせよ、単にイメージに頼って実力を
伴わないようなものがもっともらしく売り出されるこの時期、
なんだかさめた気持ちになってしまうのである。
なんでもそのとき売れればいいというものではない。

 

 

 

2009年03月13日

やりがい商売研究会(パンダ研究会2008) 由利本荘

今年も由利本荘市商工会さんのおかげで開催できた
やりがい商売研究会。

11月から4ヶ月にわたる月一回の研修。
宿題を毎月、知恵を絞りながら考え、実践してくれた
8人の研修生。

みんな成果があった。
研修生同士のコラボ企画が、研修生の間から考え出され、
アイデアでつくられ、実践され、そして、みんなに勇気と喜びをもたらした。
地域の人が、そこに来て、笑顔になった。

僕は、うれしかった。

この仕事をしていて心から良かったと、
彼らの人生の商売という手段だけではないなにか、
彼らの人生の何かに自分がチカラになれたのだと
そう感じて、僕は本当に幸せだった。

研修が終わった日、みんなで夜中まで懇親会。
酒宴
にかラオケ、声は枯れたが、楽しかった。
夜中まで飲んだ。翌朝、ほんの数時間しか経っていないのに、
二人の研修生の方が、朝、僕を駅に見送りに来てくれた。

駅で不意に掛けられた声。驚いた。

ありがとう。とても感動した。

そんなふれあいに、僕は自分を信じる勇気を持ち、
人に提案していく自信を持てる。

+++
週があけて、商工会から、研修生の研修に対するアンケート結果が
送られてきた。
みんな、色々と感想を書いてくれていた。
そして、それはどれも、僕を感動させたり、やりがいを感じさせてくれるに
十分なものだった。

人の人生に関わることは、生半可なことではない。
取り繕うことでもない。
ときに、命を削っていると感じることもあるかもしれない。

そんなふれあいの先にあるもの。
良心的な人々と、ともに作り上げてきたもの。
商工会の皆さん、ありがとう。

その価値を感じられるこの仕事は、なんて素敵なものなのだろうか。

ありがとう。

なんだか、そこの研修会が終わったことを考えれば、

もうみんなが恋しい。

情けないかな。
でも、そんな気持ちで僕は仕事をしている。
そして、僕はここに生きている。

P1110157 
すばらしい研修生、情熱的商工会指導員さんと

2009年03月27日

金融機関との付き合いはちゃんと考えるべし

中小企業大学校の診断士養成課程の講師などをしていると、研修に来ている
金融機関のかたとの知り合いが増える。
みな熱心で、診断士となってからの会社だけではない地域貢献などを
真剣に考えている。地方銀行、信金の方が多い。

中小零細企業にとって、熱心なサポーターとなってくれる金融機関との
付き合いはとても心強いだろう。

+++

自分が小学生の頃。まだ、バブル前だった。

一人で小さな商売をやっていた自分の父親に連れられて、
父の会社と取引があった当時D銀行という都市銀行の支店に
行くと、必ずフロアにいた職員がもみ手をするようにニコニコして
父のところへやってきたものだ。

「ああ、○○さん(会社名)、こんにちは、今日はどういった御用ですか?」

それはまるで、「お金をいつでも借りてください、何なら今でも貸しますよ」
といったような雰囲気で、幼かった自分が
「ウチの父親は偉い人なんだね~」と思うような媚ぶりだった。

それから10年。バブルも崩壊し、我が家の商売の一日あたり売上高も
バブルの時期の数分の一しかなくなった。

ある日、自分が中学校から帰って自宅にいた時に留守電に吹き込まれた
D銀行からのメッセージが忘れられない。
それはある平日の、13時過ぎごろのメッセージだったろうか。

それは低い、だるそうにわざとらしくゆっくり話す男性の声だった。

「D銀行○○支店の××です。(ふぅ~←聞こえよがしなため息)」
「本日ご予定の□□の入金が確認できません。至急連絡をください(ガチャッ!!)」

こびていたD銀行の職員のイメージが残っていた自分にとっては、
おそらく父が手続き等で不備があり本来しておかないといけないことを
まだしていなかったのかな、と思ったが、(一方で、まだ15時まで時間あるのに、
とも思った)いずれにせよこの高慢で威圧的な電話が理解できなかった。

それからさらに数年。
商売はどん底。それでも設備などの更新も必要で、父の会社は借入を
必要とした。
そして、D銀行は、あっさりと「貸せません」と父を突っぱねた。
これは、当時の父の会社にとっては死刑宣告と同じだった。
そして、当時は余裕のなかった家庭にとっても、重大な出来事だった。

結局、父は国民生活金融公庫に相談し、 助言を受けながらわずか400万円の
融資を受けられた。
1990年代後半のことである。

そして、その2、3年後には父の会社は経営努力によって売上はみるみる
回復していった。
もちろん、借入金の返済は一度も遅らせることはなかった。
まだ、世の中が不況のどん底、といわれていた頃だ。

あのときの、D銀行の対応がいまだに忘れられない。
彼らはその後十分に売上回復する素地があった会社への
400万円の融資をせず、かといって経営へのアドバイスなどこれっぽっちもせず、
ただ単に、簡単な死刑宣告をしただけだ。
笑い話なのは、その銀行はその後、M銀行という名になり、
兆円規模の公的資金支援を受けているのだ。
公的支援の財源には、きっと父の払った税金も含まれているだろうに。

+++
中小零細は、その内容が少しでも悪くなれば、大きな存在からは簡単に
死刑宣告される。
だからこそ、つきあう金融機関は(公的機関も含めて)しっかりと吟味せねば
ならない。単にお金を預けたり、借りられれば良いだけの関係では、
そういう付き合いを求めてくるような相手であれば、
経営者にとってはいつでも手を引かれるというリスクを背負っているも同然ともいえる。
しっかりと、自分の会社について知ろうとしてくれ、時に入り込んで助言をしてくれる
金融機関もずいぶん増えている。そのような金融機関と対話をしながら、
いざというときのための関係を築いておくのも、経営にとってのリスク回避の
ために日ごろからできることだろう。


 

 

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