++ 画像・文章の無断転用、転載、加工等はお断りしております++
☆また、商品販売や販売促進を目的としたサイトが当ブログの記事を無断でリンクし、
記事内の情報をそれら目的に用いることを禁じます。☆

« 2007年07月 | メイン | 2007年11月 »

2007年08月 アーカイブ

2007年08月12日

水木しげるの全員玉砕せよ!

今年もまた、この季節が来た。
8月15日の敗戦の日。

NHKの水木しげるの「全員玉砕せよ!」を見た。

見終わったあと、胸が詰まって苦しくなった。

部隊、仲間が不条理な玉砕命令で悲惨に斃れていく。
無駄死にするなと命令違反をさせ81名の兵隊を救った
中隊長の自決。

腕を失いつつ生き残った水木しげるは、
漫画家としての成功を収めつつも、常に”その記憶”を抱き続けてきた。
そして、亡き仲間たちの「亡霊の思い」を背負い続けてきた。

彼はあるとき、彼の体験を漫画にする決意をする。

夜、彼はうなされる。
今まで心の引き出しにしまいこんできた悲惨な戦場の記憶を
搾り出して筆を進める。

そしてあるとき、亡き戦友たちが彼の元をたずねてくる。

「中隊長の自決で、話を終わらせないでくれ」

++++

中隊長の命令違反により、生き残った81人の将兵。

その81名は後方にある作戦本部により、

「玉砕命令が出たのに生き残ることは、日本軍の恥」

であるとされ、自決か、再度の玉砕のための突撃を強いられ、
圧倒的な敵に突入させられる。

そして、玉砕を命じた作戦本部の参謀は、玉砕部隊に参加せず、
見送るだけだった。

水木は、その様子まで漫画に書き続けた。


++++

そういえば、牟田口という将校により発案され、周囲が
「彼の顔を立てる」ためにその作戦を実行させた結果、
結果的に多くの前途ある将兵を死なせて
行った無謀な「インパール作戦」というのがある。

これは権威を振りかざす牟田口が自己の名誉心にかられ、
一方で自己の責任を負わず、現場の将校に責任を押し付けた
作戦でもあった。
このとき、補給が絶たれた絶望的な戦場においてもなお、
作戦本部の命令は「撤退せず絶対死守」であった。

しかし、ある部隊の大隊長は

「自分がいる限り、部下は命令を守らないといけない。
自分が居なくなれば、彼らはこの絶望的な戦場から逃げることができる」

のだと、銃弾が飛び交う戦場に自ら飛び出し、そこに仁王立ちとなり
銃弾を受けて戦死したという。

また、違う部隊では、師団長の独断により撤退し、部下の命を
救った行動があった。
その師団長は、最前線に来て現実を見もしない牟田口を批判したのだが、
逆に精神病院に送られてしまう。

この「不条理な状況」は、現代社会のさまざまな場面でも
思い出されるのは、私だけではあるまい。

++++

沖縄戦下での住民の集団自決が、 軍から強制されたということが教科書から
削除されるという。

自分は学生時代にいくつかの、観光地化されていない集団自決が
行われた沖縄のガマ(自然壕)を訪れ、5cm先も見えないくらいに
暗い闇の中を歩いたことがある。

沖縄戦の生き残りのオバーに、生々しいその戦場での話を聞いたことがある。

戦場で自決して行った住民は自決のとき、自分の愛する家族を手にかけていった。
注射器で、カミソリで、手りゅう弾で。

しかしそれは、
米軍につかまれば女性は辱めのあとに殺され、男性は戦車にひき殺される、
そう信じ込むよう、軍隊から教育を受けていたからだ。

そんな彼らの、

「家族や愛する人を守ろうとする愛情表現」

だった。

そのような状況は、他者からの強要なしに自然に芽生えるものではない。

++++

多くの兵士は、人と人が殺しあう戦場において、「大義」を求めた。
そうでなければ、彼らは命をかけて戦えないからだ。
戦況が悪く死が強要されるほど、彼らは折り合いをつける理由が必要だった。
そしてその多くは、

「家族や愛する人を守るための愛情表現」

だった。

自分の命を失う。
愛するものの命を自ら手にかける。
愛情表現の方法として、これは悲劇・不条理以外の何ものでもない。

人が個として生き、相手と出会い子孫を作り上げていくように、
愛情表現は、相手のために自分の命をはぐくみ、
相手の命をはぐくみ、そしてよりよい何かを作り上げていくことだ。

++++

私は、自分の祖父の出征映像に出会い、それを見た。
20歳で長崎島原の北有馬から満州に出征する祖父。

そういえば、自分が幼いころ、生前の祖父に戦争のことについて聞いたことがある。

祖父の戦場体験を聞く自分に、祖父は決して、
自分がどういう体験をしてきたかを語ることはなかった。

右足の大腿部に貫通銃創の傷跡を背負っていた彼も、
きっと心の奥の厚い扉の向こうに背負うものがあったのだと、
いまさらながらに思う。

++++

水木を取り囲んで、自分たちの思いを伝えようとする亡き
戦友の亡霊たちは、まさしく水木の心の奥の厚い扉の向こうに住む。

彼は勇気を持って扉を開けた。
それは本当に簡単なことではなかったと思う。

そして、あのシーンはきっと、
「事実」を体験し、背負っている人々に共感と勇気を促すものだったの
だろうと思う。

++++

「事実」を背負うものが年老い、失われていく中で
「事実のような嘘」は仮想の世界で人々の心を染めていく。
それがいつしか、
「嘘のための事実」
になっていき、人を殺しあう戦場はゲームのようになっていく。
(しかし、戦争しようと社会を導く人間は、戦場には居ない)

だからこそ、「事実の証言」の価値は重大だ。

残された時間の中で、
何を伝え、何を、どのように受け取っていかねばならないのか。

10年後、30年後、50年後、自分たちの子供や子孫に同じような
戦場に直面させないためにも、過去と将来を紡ぐ「今」の意味が大切だ。


 

 

2007年08月15日

憲法9条 議論の無理

敗戦の日の今日をはさみ、憲法論議についてはずいぶんメディアをにぎわせている。

護憲と改憲という二つに分けられ、それぞれの意見が交わされる。
国会でもしかり。

護憲派は戦争はしてはならないことだから、維持すべきだ。
改憲派は日本が攻められたとき、またはそれが明らかなとき、
軍隊を持って先制を含めしかるべき対応ができるようにするべきだ、

といった議論だ。
自分たちの国のことだから、こういう議論がありうるのは別にいい。

しかし、この議論、腑に落ちない。
大きく、2点において。

 

1.100年後の日本の姿はどうあるべきなのか。

 

ほとんど、語ることはない。

「目指すべき国家としての理念やビジョン」なき議論は、なんと根拠が浅いことか。

憲法そのものの位置づけすら、もしかしたら議論の当事者にとっては
ばらばらだ。


そしてもう一つ。

 

2.現在の憲法の理念に対し、
その実現にどれだけの努力が払われているのか

 

現状の憲法では、戦争の放棄と、軍隊を持たぬことになっており、
国際紛争を武力で解決しないことになっている。
永久に戦争を放棄することが、憲法にうたわれている。

では、その、憲法の実現に、どれだけ具体的に努力しているのだろうか。

少なくとも、それに努力し、努力し尽くした結果としての
改憲への政治的動きなのだろうか。

「日本が攻められたらやられるままでいいのか」

というが、それ以前にどれだけ内政や、ほかの国に対して

「戦争放棄」

の働きかけをしているというのだろう。

「時代にそぐわない」

のであれば、そのつど変えるのが憲法なのか。

逆に、本来あるべき取り組み、「そぐわない時代を変えていく」
取り組みはどのようにされたか。

改憲論の中には、ビジョンとして米国に依存しない、日本の
「自主独立」を語る人も居る。

現状では自主独立できないのか。自主独立の先には何があるのか。

自分には疑問が残る。

+++++

特攻隊員で終戦を迎え、
今は平和のための案内人をしている人がいる。

「昔は、戦争はしてはいけないことだ、という必要はなかった。
しかし、今は、若い人の中には戦争をしてもいいという人が増えているから、
それを言う必要がある」

+++++

どちらにせよ、自分の気持ちとして確実にいえるのは

自分は自分や子孫、大事な友人たちが、そして、どんな人でも
戦場に居るようになってほしくない、ということか。

「そんなの理想論だ」

という人もいるが

「理想なくして何を目指すのか」

と思う。

2007年08月23日

高校野球

久々に、高校野球が楽しい夏だった。

個人的には、優待するなど県外からも優秀な生徒を集めたり
する風潮がヒートアップしてきたことから、高校野球には
幾分さめていたのだが、それでも今回は楽しかった。

今回の大会は、佐賀北高校のための大会といっても過言じゃない。

延長15回の引き分け再試合。
帝京高校戦でのサヨナラゲーム。

そして、劇的な満塁ホームランでの優勝。

+++

しかし、最後に残念なことがあった。

それは、決勝戦の相手高校監督による、

「押し出しの場面のボール判定は誤審だ」

という怒りの声が公に発せられたことだ。

一生懸命、球児とともに汗を流してきた日々は、
さぞかし重みのあるものだろう。
日本の高校の頂点が目の前で手のひらから
すり抜けていったその気持ちは察するにあまりある。

しかし、怒りに任せて

「誤審だ、あれは本当は得点じゃない」

などと公にぶちまけるのでは

同じように懸命にプレーして真紅の旗を勝ち取った
佐賀北高校の球児たちがあまりにもかわいそうだ。

それに、敗退した球児たちに

「あの誤審がなければ」

などというその場に立ち止まり、乗り越えることを阻害させるような思いを
残してしまう危険がある。

+++

たしかに、その投球自体は、どちらの判定でもおかしくないきわどい球だ。
しかし、審判の判定は

「ボール」

だった。

でも、野球というルールではこれが事実だ。

その誤審を乗り越えてでも勝つのも、一つの実力だというのは、
きっと、だれよりも彼らがわかっていることではないのか。

+++

もし、これが誤審だと講義するなら、今後の高校野球のためだと
思うなら、怒りに任せてぶちまけるようなことは大人としてふさわしくない。
それで試合結果が変わるわけでもないのだ。

ただ、双方に後味の悪さが残るだけだろう。

後日、書類を提出するとか、高野連を訪れて申し入れを行うとか
そういう方法は考えられなかったのだろうか。

そして、その一方で、努力の末に負けてしまった球児たちに

「社会に出れば、このような場面はまたその人生に立ちはだかる。
そのときに、決して腐ってはいけない。
それを乗り越え、またステップアップしていくことに踏み出すのだ」

と教えることはできないのだろうか。

本当に、良い大会だっただけに、残念なことだった。

+++

でも、押し出し判定と、ホームランを打たれた野村投手の
さわやかな言葉に救われた気がする。

「悔いはない。審判が正しいから仕方ない」

彼の瞳の奥にははきっと、悔しさや色々な感情の中に、
未来が映っているのだろう。

(若さって、すばらしい!)

これからの高校野球も、楽しみだ。

 

 

 


About 2007年08月

2007年08月にブログ「Take it easy 中小企業診断士 伊藤大海のブログ」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2007年07月です。

次のアーカイブは2007年11月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。