与えられるものではなくつかみ取るもの。

与えられるものではなくつかみ取るもの。

AppleTV+「自由への道」よりキャプチャ

AppleTV+でウィル・スミス主演の「自由への道」を観ました。
奴隷が南軍に徴兵され労務させられる苦難の現場から
家族との再会を夢見て脱走、北軍と合流し南北戦争を経て解放され、
家族と再会していく実話をベースとした話です。

私は高校生のころ、アメリカの成り立ちに関わるプリマス、
独立戦争の道筋をたどるボストン、コンコード、
レキシントンなどを訪問し、取材しました。

「自由や、自分たちが望む場はつかみ取る、自分たちで創るもの」
その必要性や不可欠さが胸に焼き付いたのを覚えています。

それがきっかけ、というわけではありませんが、
学生時代は学校でおかしいと思ったことについて
署名やアンケートを集め、学校と協議し、
変えていったことも何度かあります。

その際、
「こんなことしても無駄」
「結局、自分たちの代では変わらないし」
といった冷めた声や、揶揄するような声も聞かれました。

27歳でまちづくりコンサルタントとして独立開業以来、
私はまちの現場の若手が機会を持てることが大切と思っています。
ゆえに、実権を握るベテラン層に、時には
「もう、引退してください」
「そうしないと、若手の未来がなくなります」
とまで言って、若手に機会を作ったこともあります。

しかしながらたいていは、
それまで不満・将来不安を口にしていた若手たちは
批判していたはずの上の世代の背中に
「自分たちは忙しいから」と隠れてしまい、
表に出ることをしようとせず、
その機会は生かされず何も変わらないまま、
ということが少なからずありました。

こういう傾向は、
選挙の投票にも如実に出ているような気がします。

学生運動が盛んだったころの若者を親や祖父母に持つ今の40代以下は、
そういった両親や祖父母自身の経験からの反動でしょうか、
「社会的に戦う、勝ち取ることは偏った反社会的なこと」
といったように、
変えていく価値観をまるっきり否定されてきた世代と感じています。

それゆえ、社会的に変化を図ろうとする活動をなす人々を、
共感よりもむしろ社会を乱す、
生活を乱すという見方から批判する傾向が強いと感じています。
一方では社会や上の世代に対する批判、
自分たちの世代の不遇、権利への主張については
強く持っているように、超氷河期世代で子育て中の私も感じます。

この状況を、自分が望むように白馬の王子様が来て
変えてくれるのでしょうか?仮に来たとしても、
変えようと奮起する王子様までも批判してしまうのでしょうか。

ひとつ言えるのは、王子様は来ないということです。
それは、どれだけ口や批判をしたところで
与えられるものではないから、だと感じています。

今、私たちが当たり前のように持っている
”自由”や”権利”も、かつてはそれを切望し、
苦難に直面してきた人々の時代がありました。
参政権がほしくても、
今のように手に入れられなかった時代もある。
逆に言えば、私たちは苦難なくともそれらをすでに持っている。

でもそれは行使しなくては、
努めて意識的に活用しなくてはやがて形骸化していくのでしょう。

確かに忙しい時代です。
その中で取り組んでいくことがもしかしたら
ある種の現代的な”苦難”だとしたら、立ち向かう価値はあります。
それは、我々ではなく子供たちにつながることだからと考えています。

まちづくりも同様です。
どこかの誰かが都合よいことをしてくれることはありません。
少しでも良くしようと活動する人を、
自分の価値観や作法と違うからと批判したところで、
生まれるのは相互尊重の対極にある摩擦です。

大切なことは、
誰かが思いをもって用意したタイミングや場を逸さない
ということだと思います。
それぞれが持つ社会の仕組みを尊重し、
そのうえでまずはアクションを起こすことではないでしょうか。
その仕組みが違うのであれば、手順に沿って変えればいい。

いずれにせよ、考えを持ち不満を言うだけでは
何も生まれなければ、
行動を起こした他の人を批判・否定することに
つかみうる自由も未来もないのだと感じています。

伊藤大海 1976.2生まれ 東京都日野市在住。 愛知県半田市中心市街地活性化市長特任顧問。 まちづくりコンサルタント。 経済産業大臣登録中小企業診断士。 地域の資源に目を向けた活性化プロジェクトや活性化エンジン組成、事業構想支援など。
Back To Top