低未利用物件に思う。権利と義務は両輪

低未利用物件に思う。権利と義務は両輪

ちょっとした場を開きたく物件を探している。
目を付けた物件は、

 〇流通に乗っているもの
   → 時勢、立地または物件状況に見合わず家賃が高い。 
 〇流通に乗っていないもの
   → 未利用でもそもそも貸す気がない。
     地権者・オーナーに接点が持てない
    (商店会等からつてをたどろうとしても、
     そのつて自体が本気で取り合わない)
   → 仮に時間と労力を割いてオーナーにたどり着いても
     貸し出し意思は基本的にないところからのスタート。
     家賃、改修など費用負担も含めると実質入居側が
     負担せざるを得ず、時間、労力、お金すべての負担が大きい。

 私が住む最寄りの駅も、南口の土地区画整理が進むが
線路沿いの空き店舗商店会がずっと放置されている。
 一度、その中の物件を時限的にでも活用したく不動産屋と
商店会関係者にアプローチをかけたものの、
いつ実行されるかわからない土地区画整理の話もあり、
まったく前に進まなかった。今でもボロ物件の展示場だ。 
 そもそも、昭和の時代、その土地の利活用や取得の競争にも
入れなかった現世代がまちなかの物件を利活用しようとしている
時点で高いハードルがある。

 さらに成長時代を背景に受けて
「白紙に新たなものを描く」労力と
 社会に出てずっと不況で資産形成が進まなかった背景を受けて
「まず描かれている朽ちたモノをきれいに消してから描く、
 またはうまく上から描きなおす」労力は全く違う。

 我々の現役世代が白紙に絵を描こうとするなら、
必然的に郊外に出て行かざるを得ない。
 しかし、まちなかの物件リノベーションで活動する人たちが
少なからずいるように、なにも、現役世代は街を捨てて
郊外に出たいわけではない。 
 高負担時代を担う生産年代が自分のチャレンジや生きがいを
もって活動することは、社会的に見ればそれが社会を支える源泉となる。
 意見はいろいろとあろうと思うが、その生産機会を奪い、
社会活力を減じているような低未利用物件は、
今以上にそれなりの負担をする必要があると感じている。

 土地や物件に関する所有権は日本においては絶対的感覚だが、
憲法上は財産権は公共の福祉に適合せねばならないものでもある。
権利を主張するなら、社会に対する義務を同時に果さないといけない。

低未利用物件オーナーには、
「どのような義務を果たしているか」
が問われているし、「現状の固定資産税」、
がその義務に妥当であるのか、疑問視されているように感じている。

ペナルティ思想ではなく、物件の流動化が
オーナー、使い手、社会にとってよいものにつながっているという
実感と適正な経済でそれぞれがつながることが理想なのだろう。

伊藤大海 1976.2生まれ 東京都日野市在住。 愛知県半田市中心市街地活性化市長特任顧問。 まちづくりコンサルタント。 経済産業大臣登録中小企業診断士。 地域の資源に目を向けた活性化プロジェクトや活性化エンジン組成、事業構想支援など。
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