ここのところ、
いろいろなヒアリングや意識調査のまとめをしたり、
個人的に自分よりも若い人たちと話す機会が多い。
そこで感じるのは、
「”大人”(40歳より上ぐらいをイメージしている)たちはもはや、30歳代以下くらいの若い人から相手にされなくなっている」
ということ。
とかく、生きてきた時間の長さから
あたかも主導権があるように感じる世代、
実際に既存組織や枠組みでは
肩書を持っている世代は40歳より上くらいになるだろう。
引きこもり世代とか
悟り世代とか、
「最近の若い人たちはコミュニケーションせずに内輪に引きこもっていてね」
「すぐに仕事を辞めてしまう」
等と若者を論評する。
いろいろと複雑な問題は確かにある。
しかし、まちの現場に出てみると、
積極的に動いている一部の若者たちは、
もはや”大人”たちをあてにせず、
一方で仲間に入れようともしない。
つまり、相手にしていない状況を感じている。
もう10年以上前だが、
ある西日本の商店街で
若手グループがよいリノベーションを多発的に進めていた。
そのリーダーはその時から10年以上前の若かりし頃に、
商店街に古着屋を出店した。
商店街の面々は
「古着屋なんて、不良の店だ」
と眉をしかめ、まったく取り合わなかったと聞いた。
しかし、
地域の感度の高い中高生たちは
その古着屋でワクワクと時を過ごした。
彼らは20代を過ぎ、
すっかりとシャッター街になったまちに戻り、
その古着店オーナーとつながり
若手プロジェクトを立ち上げ、
次々とリノベーションしたセンス良い店を出していった。
すると、
かつて「不良だ」と言っていた商店街のお歴々が
「自分たちだけで活動せずに、我々も仲間に入れてくれ」
とすり寄ってきたのだという。
「一緒にゴミ拾いとかするのはよいと思うけど、
プロジェクトの中に入ってもらわないほうがいいと思います」
と自分は伝えた。
入れる理由がないし、
入れたら停滞するからだ。
そんなことを思い出す昨今。
Youtubeでは「うっせぇわ」という曲が子供、若者に人気だ。
”大人”たちの社会や概念を乱暴な言葉で反発的な内容。
ともすればすごく投げやりな歌詞にも見える。
最も反発する類の歌は今の時代に始まったわけではなく、
形は違えどある。
そしてたいていそこには、
”反発すべき大人”とか
”変わるべき社会”という
対極にあれどつながり続ける存在、があった気がする。
ある種、まちなかで感じる突き進む若者には、
それらを感じない。
押し付けがましいけどあてにならない”大人”たち。
もう20年前から”なんたらX”のような
懐古主義的なドラマで現実と未来よりも過去の栄光に
浸るばかりの大人たち。
フラストレーションと期待しない感
(できないではなく、しない)、
は臨界点を過ぎた感がある。
もう対極の”大人”とか”社会”という存在は
つながり続けるものよりも、
バッサリと斬ったほうが楽。
表面上はにこやかに対応しつつも、さらけださない。
既存の規範に順応できないからやめるのではない。
彼らが既存の規範を捨てているのだ。
”大人たち、あなたたちが捨てられているんです”
45歳の自分も、それを突き付けられている。
彼らがつくり、結果的に変えていく社会。
後からそこに”大人”たちがすり寄っても、
きっと彼らは相手にもしないはず。
さて。
どうする、”大人”