++ 画像・文章の無断転用、転載、加工等はお断りしております++
☆また、商品販売や販売促進を目的としたサイトが当ブログの記事を無断でリンクし、
記事内の情報をそれら目的に用いることを禁じます。☆

« 2008年05月 | メイン | 2008年07月 »

2008年06月 アーカイブ

2008年06月03日

佐賀県 唐津にて 旧唐津銀行

佐賀県唐津市を訪れてきました。
 

RIMG0054 RIMG0055
アーケードの商店街を歩きました。
時間は14時半過ぎ。
お昼を食べていないので、お昼を食べるところを探したのですが、
あいにくランチタイムも終わったようで、ほとんど「準備中」。

RIMG0052
なんとなく赴きある建物の八百屋さんをながめ

RIMG0059
魚屋さんの多さに感心し

RIMG0063
旧唐津銀行跡にやってきました。
駅から商店街を見て歩いて、20分といったところでしょうか。

唐津駅にも観光案内所はあるのですが、この銀行跡地も
案内所になっています。

RIMG0065 銀行っぽい

RIMG0066
手作りマップやパンフレットがあるほか、展示や
館内見学もできます。

RIMG0069 RIMG0070

そういえば、赤レンガの東京駅建設に活躍したのは、
唐津出身の建築家、辰野金吾です。
この施設でも、辰野金吾の展示をしていました。

RIMG0068
「どこか、ご飯食べられるところはありますか?」
「そうですねえ、この時間だと、ここら辺かな…」

と、案内所の男性は親切に教えてくれました。

 

佐賀県 唐津にて 創業明治 鰻の竹屋さん

旧唐津銀行の観光案内所で薦められた飲食店のうちの一軒が、

旧唐津銀行から目と鼻の先の鰻屋、

RIMG0061
竹屋さん。

周囲のビルに囲まれてここだけぽっかりと、
時代をさかのぼっている感じのたたずまい。

店の前を通ったとき、とても興味を持ったのですが、
とくにメニューなどは出ていなかったので、旅館かと思ってました。

でも、地元ではすごく有名なんです。

RIMG0060
軒先には金魚

RIMG0075
玄関先には招き猫
40匹の金魚を飼い、2匹の猫とともに暮らす自分は
入らずにはいられなかった…。

RIMG0076

クラシカルな店内。平日の15時近くともあり、客は
私たちだけでした。

注文をとりに来た男性は、おそらくお店の後継者の方でしょうか?
ちょっとおっとりした感じでしたが、親しみやすい方でした。
「いい建物ですね」
と私が言うと、
「ええ、市の重要文化財なんですよ」
と教えてくれました。
さらにうれしいことに、

「よろしければ、上の階もご案内しますよ」

どこから来たどんな客かも気にせず、
いやな顔一つせず、申し出てくれました。

「それでは、食事後にぜひお願いします」

RIMG0079 
鰻定食

RIMG0080
うな丼(2000円※お吸い物は上の写真の鰻定食から
うばったもの)

鰻は変なぬめり感がなく柔らかな身で、
皮が薄くやわらかいものでした。
表面はかりっとしているながらも、ふっくらした感じで
かむほど風味・うまみが出てくるものでした。

肝のお吸い物も、肝が大きく食感もぷりぷりしていて、
こちらもしっかりとかんでしまいます。

うーむ、この鰻、只者じゃないナ。

「うちの鰻は、国内で獲った鰻の稚魚を、鹿児島で養殖した
物を使っています。通常は凍らせたりしますが、
それでは味が落ちてしまいます。
だから、うちのはちゃんとした昔ながらの方法で〆ているんですよ」

量的にも、男性でも十分のご飯の量でした。

+++

竹屋さんは創業明治、 この建物は大正12年のもの。
廃刀令をうけ、当時の祖先が鰻屋を始めたとのことです。

建物は、昭和に増築した部分はありますが、
大正当時の物がほとんど残っています。

RIMG0082

RIMG0083 RIMG0085
廊下は、継ぎ目のない一枚板を横に並べたもの。

RIMG0081 二階客間

RIMG0084
欄間も当時のままです。

RIMG0086 なんだこれは?

 

RIMG0087
実は料理運搬用のエレベーター。

大正当時からあったもので、このエレベーターもまた、
重要文化財なのだそう。

実はこのとき、竹屋さんの目の前の建物の解体中で、
とても騒音が大きかったのです。

竹「ちょっとにぎやかですみません」

私「解体後は何になるのですか?」

竹「有料駐車場です」

私「それはお店にとって、便利になりますね」

++
 玄関では元気のいい女性が見送ってくれました。

本格的な鰻料理、ちょっと値は張りますが、
その味だけでも十分。さらにはおもてなしの気持ちが
うれしいじゃありませんか。

ぜひ、誰かを連れて行きたくなるお店でした。

唐津の町

唐津の町は、旧唐津銀行や竹屋さんだけでなく、
趣きある古い建物や唐津焼の土産店、
11月の唐津くんちにつかう曳山を収めた曳山展示場、
唐津神社、唐津城などの見所が歩いて回れる範囲に
散らばっています。

また、その範囲には大きい病院やスーパー、
商店街などもあり、コンパクトな町になっています。

実際は、郊外にできたジャスコの影響を大きく受けている
ようですが、公共施設や観光施設、商業機能がまとまって
いるので、なんとなく活性化のポテンシャルを感じます。
博多からも1時間程度ですし、この地域では玄関口のような
位置づけであるほか、隣町の玄海町にある原発の関係者も
きっと多いことでしょう。

ところで、街を歩いていて思ったのですが、

RIMG0092

RIMG0118

RIMG0119

行き先案内があちらこちらにあって、とても歩きやすい、
ということです。

これはとても感心しました。

特に、城下町などはわざと道を複雑にしているような
ところも多く、そのままに現代の町も続いている場合は
とくに地域外から来た人間にとってはわかりづらく
ストレスをもたらすものです。

ですから、このような表示が的確にたっていると、
ストレスなくまちあるきを楽しむことができるのです。

唐津にて 唐津の料理宿 松の井

RIMG0125 唐津城

RIMG0195 虹ノ松原

の間くらいにある旅館、

RIMG0256 松の井

さんに宿泊しました。

一泊18,000円くらい。
普段質素な生活をしている自分としては大奮発です。
もっとも、今回は時間的な都合があって、レンタカーも借りなかった
ことだし、レンタカー代を宿代に回した、と考えるようにしましたが。

松の井さんは、事前に下調べしたときにも、
インターネット上ではずいぶん評判のよい宿でした。
「じゃらん」のサイトの、宿泊者による口コミの書き込みにも、
旅館の方が丁寧に回答の書き込みをしています。

一方では、そこそこの看板を掲げているお店でも、口コミで
評判が悪かったり、
あるいはマイナスの書き込みに対して一見はお礼を言っているように
見えても、実は反論しているような旅館がある中で、
松の井さんの書き込みはしっかりしていました。

+++

まず感心したのは、旅館の入り口に、事前に伝えていた
到着時間にほぼ時間通りに到着したときのこと。

門をくぐる前に、女性が出てきました。

松「お名前を伺ってもよろしいですか」

私「はい、伊藤です」

そういうと、女性は私を旅館に案内しようとしました。

私「あ、暗くなる前に、ちょっと松原を見てきます」

松「それでは、お荷物をお預かりしますね。松原に行くには…」

と行き方も教えてくれた。
もっとも、天邪鬼な私はすぐさまわき道に入ったのですが…。

+++

1時間くらいして旅館に戻ると、
先ほどの女性がまた出迎えてくれました。

部屋に案内されます。
「金獅子の間」といいました。

松「この旅館のお部屋には、曳山の名前がつけてあるのですよ」

部屋に入ると、先ほど預けた荷物が片隅に置かれていました。

きっと、彼女は私たちが到着する時間と、
私たちの年齢(ネット予約するときに入力する)、
もちろん名前も事前に覚えていたのでしょう。

だから、私たちが旅館に入る前に出迎えられたし、
「伊藤です」
としかいわないのに、荷物は早速部屋まで運ばれているわけです。

+++

松「料理は何時にされますか」

時間は18時40分。

普通の旅館であれば、早いうちに出してしまいたいから
すぐにでも持ってきたがるものです。

しかし、こちらとしては汗を流してさっぱりとしてから
おいしい料理を食べたいもの。

こちらが返事をする前に、

松「今からお風呂に入られて、それからにしましょう」

料理は19時半にしました。

松「それまで、お風呂は貸切ですよ」

と彼女は言います。

松「本日、男性のお客様が少ないので」

なるほど、その男性は今、食事中なのでしょう。

松「あと、浴衣は”大”を二つ用意しておきました」

実は自分は今回、家内と訪れたのですが、
私の家内の身長は175cm。
たいてい、旅行に行くとまず行う作業として、

”浴衣の交換”

があるのです。というのも、通常、旅館の客間には
”大””中””小”をそれぞれ一枚ずつおくからです。

しかし、彼女は、先ほど旅館の前で私たちが荷物を
預けたときに、家内の身長をみて、すぐに浴衣を
交換しておいてくれたのです。

おかげさまで、あまり大きくないお風呂ですが、
ゆったりのんびりつかることができました。

+++

RIMG0257

+++

「松の井」さんの売りは、なんと言っても、地元の素材を活かした料理です。

さらには、それを盛り付ける器はすべて「唐津焼」であり、
有名な陶芸家の作品まで含まれます。

一見地味な唐津焼の器を、実に落ち着いて、アクセントある色使いで
盛り付けています。

RIMG0259

松「この旅館は温泉ではありません。だから、料理はちゃんと
オリジナリティあるものをお出ししているんです。
この旅館では、出汁もすべて、ちゃんととっているんですよ」

なるほど、目の前に出されているものの価値を教えられるほど、
なんだか味わいも増してくる。

一品一品の量は多くない。しかし、少量のいろいろな料理を
味わえるのは、本当に楽しい。

RIMG0260
ハモのお吸い物

RIMG0261

RIMG0262
唐津といえば、呼子のイカの活け造り。
まだ新鮮で、透き通っている。
実はこりこりしていてぬめりがなく、噛むほどに甘い。

げその部分は、焼くか、てんぷらにしてくれる。
私たちはてんぷらにしましたが、これもまた美味。

RIMG0264 
酒盗につけたイカを、アツアツの石で焼いて食べる。

日本酒がすすむ…。

この間、料理を運んでくれた女性は3人でしたが、
それぞれとてもなじみやすい方たちでした。
料理のことだけでなく、世間話や自分たちの話で
盛り上がります。
そのうちの一人は、佐賀生まれの私の祖母が住んでいた
家から、さほど遠くないところに以前住まわれていました。

RIMG0266

アラカブの煮付け。アラカブとは、カサゴのこと。
熊本の赤酒と、醤油のみで味付けをしているとのこと。

これがまた、変な雑味がせずさっぱり、しかし、どこか甘く感じ、
淡白な白身から噛むほどににじみ出る味わいに、つい無言になって
パクついてしまいます。

私「旅館の売りというだけあって、本当にこれは食べてよかった」

松「そういっていただけると、厨房の若い人も喜びます。朝から
ずっと、煮汁をかけて煮ていたんですよ」

このアラカブの煮付けは、常連のお客さんにも評判がいいらしい。

+++

程よく酔っ払ったこともあり、一番最初に私たちを出迎えてくれた
女性としばらくお話をしました。

自分たちがいろいろな旅館で受けてきたおもてなしと、そのときの気持ち。
そして、この旅館に来たときからうれしかったおもてなしについて、
彼女に伝えました。

松「ありがとうございます。そうやっていっていただけることの中から、
また私たちも気づいたり、ひらめいたりできるんです」

私「宿にとまっておもてなしを受けるとき、私は女将や仲居さん
のおもてなしに対するプライドを感じることがうれしく思います」

そのとき私は彼女に、プライドを感じていたのです。

+++

翌朝、早めに出なくてはならない私たちは、広間で一番に食事をしました。

朝食とは思えない手の込んだご飯を食べている間、昨晩の女性たちが
また料理を運んでくれました。
ちょっと驚きました。
というのも、夜と朝は交代制だと思っていたからです。
寝る時間はあるのでしょうか…。

+++

すっかり満足した私たちは、女性に見送られながら宿を後にしました。

+++

おそらく、推察するに、唐津の旅館は11月の唐津くんちや、
海水浴シーズンがあるとはいえ、決して楽な経営環境では
ないと思います。
大都市からは日帰り圏内でもあります。

松の井さんも、きっと楽な商売はされていないでしょう。
ましてや、温泉だったり、砂浜に面しているわけでもありません。

しかし、私はこれからも残り続けてほしい宿だな、と感じましたし、
旅館にとって「じゃらん」で見たような口コミのよさや、
それに対する丁寧な応対はチャンスを獲得するためにはとても
大事だと思いました。
それをもたらすもの、それはきっと表面的な取り繕い出はなく、
日常的な反復的な実践あるのみなのだろうと思います。

あたりまえのおもてなしを、丁寧に、当たり前にできること。
そこから得られたうれしい反応にプライドを持てること。

これって、大切ですね。

唐津の料理宿 松の井
http://web.people-i.ne.jp/~matsunoi/

「じゃらん」の松の井のページ クリック

2008年06月09日

道標

私が独立して一年目のころ。

まだ、端にも棒にもかからないような駆け出し診断士は、
ろくに仕事もなく、あせる気持ちの中で日々暮らしていた。

4月、5月、6月…。ほとんど、お金になる仕事がない。

せいてみても仕方がないのだと判りつつも、
夜中に目が覚めてしまう毎日。

9月ごろだろうか。
あるきっかけで、とある仕事に携わることができることになった。

市販のパソコンのソフトをカスタマイズして、ある演習に使いたいから、
その教材開発に力を貸してくれ、という。
若くて、PCやソフトに明るい人材を求めていたのだという。

もちろん、私は少しは自分の経験(勤めていたころはコンピュータ
関係の仕事をしていた)で貢献できるだけでなく、
とてもよいチャンスだと思い、

「ぜひやらせてください」

とお願いした。

+++

相手先の担当の方(Tさん)は、40代の男性。
初めて一緒にお仕事をさせていただく方だった。

物腰が穏やかで、”ぽっと出”の私にも、
”ちゃんと”接してくれる嫌味や高慢さのない謙虚な人だった。

初回の打ち合わせのとき、Tさんは自分で作った
企画書などを私に提示してくれたのだが、それは
とてもよく作られたもので、やらんとしていることは
すぐに把握できた。
関連資料も充実しており、手間をかけたことがよく判った。

その後も、教材の検討会の前にはたいてい、
私のところにメールをくれて、

「このような文書を作りたくて取り組んでみているけど、
思うようにいかない。アドバイスをください」

と聞いてくれる。

「このような形にしてはいかがでしょう?」

私は、送ってくれたデータにアイデアと手を加えて返信する。

またあるときは、制作業者の人との打ち合わせで、
専門的な話の部分を私がフォローして、彼の意図している
ものに近づける手伝いをする。

駆け出しの診断士だった私はそういったやり取りがとてもうれしかった。

自分がもてあます時間を作業で充実させられるからではない。
そうやって頼っていただけることが、自分自身が人の役に立つことで
自分の存在する価値を認識できるような気がして、
とてもうれしかったのだ。

そうやって出した私の提案を、Tさんは喜んでくれたし、
時にはお互いにさらにそれを良くしていったものだ。

+++

Tさんは、とてもまじめで責任感が強い方だ。

彼からの問い合わせのメールは、驚くべき時間に届く。

23時過ぎとか、休日のはずの土曜日の夜とか。

「あれだけ充実した書類をつくるのは、やっぱり時間がかかっているのか」

と思いつつ、

「いつも、遅くまで大変ですね、お体に気をつけてください」

なんとなく、支援し切れていない自分を恥ずかしく思いつつ、メールを返信する。
時には電話をしてお話をする。

すると、たいてい彼は、

「そうなんですよ、本当にしょうがないですね」

というようにはにかんだ感じで

「伊藤先生も風邪ひかないでください」

などと気遣ってくれるのだ。

+++

そんなやり取りを経て、3ヶ月ほどして教材は完成した。
別件でそのオフィスを訪れたとき、Tさんは私を見つけて
わざわざお礼を言いに来てくれるなど、本当に気立てのよい
男性だった。

そして私は、その教材開発に携わった経緯もあり、
その教材に関連する仕事を年に何度か、携わるようになった。
今でもそれは続いている。

+++

しばらくたったころだった。

「今度、異動することになりまして」

オフィスをたまたま訪れていた私に、彼はわざわざ
挨拶をしに来てくれた。

「お世話になり、ありがとうございました」

駆け出しの自分にいろいろな意味で、学ばせてくれ、
勇気を与えてくれたTさんに、私もお礼を言った。

「新しいところでも、体にお気をつけください」

+++

それからTさんとは2、3年会うことはなかったのだが、
年賀状のやり取りはしていた。

いつも決まって、家族で写っている彼の家族愛を感じさせる
年賀状が送られてきた。

そして、昨年ぐらいだろうか。
また移動して部署をうつったTさんと、月に数日、その近隣の部署の
仕事をしている私はオフィスですれ違うようになった。

「ご無沙汰しています」
とわたしがいうと
「戻ってきました、またよろしくお願いします」
と彼も相変わらず丁寧に返してくれた。

もともと物静かな感じではあったが、さらにちょっと、落ち着いた
感じだった。

そして、たまに私が帰るのが遅くなったときでも、
相変わらず彼は残って仕事をしていた。

+++

そのTさんは、
数日前、亡くなった。

50歳の手前。これから、という年頃。

ここ数年、大病を患っていたのだという。
入院したときにはどうも、手の施しようがなかったようだ。
最後は、退院して自宅に戻られていた。

+++

「あんなにいつも、遅くまで働いていなければ…」

彼がもうちょっと、無責任だったら。

「周りの人を悲しませるなんて」

彼がもうちょっと、周りの心配を聞き入れてくれていたら。


いろいろと思うことはあるし、「どうして?」と彼を責めたい気にもなる。


でも、夜遅く、私にメールを打ってくれていたやさしいTさん。
駆け出しの私にも、尊重をもって接してくれたTさん。
一つ一つの作業を丁寧に進めることに責任感を持っていたTさん。
そしておそらく、いつもご家族のことを考えていたであろうTさん。

彼のことを思い浮かべると、
「あの仕事があって今の私があります」という感謝の気持ちと、
こうなることならそれを伝えたかった思いと、
丁寧に仕事をする「彼らしい彼」にまた会いたい気持ちばかりが募ってくる。

+++

正直いえば、まだいろいろと頭の中が整理できずに、
この文章をどう締めくくっていいかが判らない。

人が生涯で心と記憶の中に、その顔や声までしっかりと思い浮かべられる
人間が何人かいるのだとしたら、自分にとって彼はその一人だろうと思う。

きっと、そうやって自分の記憶に残って、いつも支えてくれたり、
道標として方向を照らしてくれるような人が一人でもいることは、
幸せなことなのだろうと思う。

そして反対に、自分がもし、誰かの記憶の中に同様に住み着くことが
できたのだとしたら、それもまた、自分という価値を誇らしく思えるだろう。

おそらく、人生の中での出会いの数は有限だ。
出会いを丁寧に、そして誠意を持って相手に接すること。
それがいかに相手を励まし、自分の価値を高めるのか。

そしてその喜びを、彼は私に教えてくれた。

おやすみなさい、そして、ありがとうございます、Tさん。

 

2008年06月15日

ゆれた東北訪問 その1 八食センター

先週、急きょ中心市街地活性化関連の仕事で青森県の八戸市と
岩手県の久慈市を訪問することになった。

13時からの中心市街地活性化のセミナーに参加するために、
朝6時過ぎに家を出て東京駅から7時半くらいの「はやて」に乗る。

東京から八戸までは3時間。10時40分には八戸に着く。
ここから八戸市の中心市街地がある「本八戸」までは電車で
10分程度だから、まだまだ余裕がある。

なので、八戸駅からバスで10分の距離にある市場、
「八食センター」を訪問することに。

八食センターには100円バスが出ており、本数もそこそこある。
自分は10時50分のバスに乗ったが、平日ともあってか
乗客は少なかった。

 

SANY0203

しかし、八食センターについてみると、車が多い。
入ってみてなるほど、市場は規模が大きいし、
飲食店では新鮮な海の幸を楽しめる。
市場で売っているものの値段は安いのだが、飲食店のほうは
ほどほど、という感じ。


SANY0202
海鮮丼 1500円くらい。なかなかウマかった。

1時間後のバスで八戸駅に戻り、本八戸へ。
八戸駅からも近いし、バスの便もよい。
この市場はまた行きたいなあ。

 

 

ゆれた東北訪問 その2 八戸市中心市街地

RIMG0061

13時より、八戸市商工会議所で中小機構による
中心市街地活性化サポート事業があり、
金沢の商業施設「プレーゴ」の立ち上げから運営にかかわっている
高本さんの講演を聞く。

RIMG0037
高本さん。コンテンツだけでなくなかなか話術も巧みで
時間があっという間に過ぎてしまった。

そ の後、高本さんとともに商工会議所のかたに
中心市街地を歩き回って案内していただいた。

RIMG0043  RIMG0042
ビルとビルにできていた空地を利用した
屋台村「みろく横丁」。
チャレンジショップとしての意味もあるが、
出店者の工夫や食べ物もなかなかよい。

RIMG0044 昼はほとんどのお店は閉まっているが

夜は…

SANY0214 SANY0216
にぎやかな路地へと変化する。

SANY0211 SANY0212

左 さめの刺身 右 イカ墨焼酎

 

RIMG0047
みろく横丁をはじめ、ビルトビルの間の路地が多いのが
八戸の特徴。

 

RIMG0063
商業施設チーノ。かつてヨーカドーが出店していたが、
撤退後に市民が出資するなどして映画館を作った。

この後、商工会議所に戻り会議を行った後、
懇親会に参加。
会議所の方、高本さん、中小機構関係者などとともに
熱く意見を語り合う。

SANY0205
重要文化財の建物を使った飲食店。

SANY0209
海のミルク、岩ガキ。でかい。ちゃんと塩気を抜いてあった。

この後、みろく横丁で夜中まで盛り上がったのでした。

そして、翌朝…

ゆれた東北訪問 3 久慈市「やませ土風館」そして、帰宅できるか?

前日、午前様となり、宿に帰ったとたんにバタンキューと
寝入ってしまった。

翌朝は10時25分の在来線に乗って、岩手県の久慈市まで
南下する。

朝8時過ぎに寝坊して起床。

身支度を整えつつ、ベッドに腰掛けてニュースを見ていた。

すると…

グワングワン…なんだかゆれている。

「ひどい二日酔い?」

と思う間もなく、揺ればすぐに大きくなった。
テレビが「ピンロンピンロン」とアラームを出して
”緊急地震速報 大きなゆれに注意してください”
と字幕を出している。もう、すでにゆれているのだが。
震源地付近で震度6強を観測した岩手・宮城地震の瞬間だった。

地震はずいぶん長い間続いた。
とはいえ、八戸市は震度4なので、早々切迫した
感じではなかったのだが、テレビはすぐに速報ニュースに
切り替わった。
岩手と宮城の県境で震度6強。

最初のゆれから20分ほどして、また
「緊急地震速報」が流れ、大きいゆれに注意するむね
呼びかけている。
特にそれに関しては大きな揺れはなかったのだが、
これはまずいかな、と脳裏によぎった。

新幹線だけでなく、在来線も軒並みストップだ。
復旧は16時だという。
しかし、久慈に行く八戸線はほぼ定時どおり運行していた。

SANY0221 SANY0222
1時間半、リアスの三陸海岸沿いを南下する。
内陸地震でもあり、津波の心配はなかった。

SANY0225
八戸~久慈を結ぶ2両編成の「うみねこ号」(左)
右は宮古まで南下する、三陸鉄道。

SANY0226
久慈駅前 

RIMG0066
駅前商店街 きれいに舗装されている

RIMG0072 RIMG0075

7分ほど歩くと道の駅「やませ土風館」がある。
レトロ広場という90メートルの出店がある通路。
入り口はかつてのガソリンスタンドの屋根が残っている。

 

RIMG0081 RIMG0082

ここは琥珀や陶器、産直などの久慈の地場の物販や飲食店をようする「土の館」と、
山車の展示や久慈の紹介をしている「風の館」2館がある。

まずは、レストランで腹ごしらえ。
久慈の地場産品を材料とした料理を食べさせてくれる。

RIMG0079 RIMG0080
短角牛のハンバーグ130グラム1300円。

メニューは海鮮などもあるが、海鮮は八戸で十分食べたので、
ハンバーグを頼む。

値段は少々張るが、やわらかくジューシーな味はとてもよい。
デミグラスソースは葡萄の風味が残っているが、
久慈は葡萄の産地でもあるから、これも地場のものを使って丁寧に
作っているのだろう。

ただ、店内はあまり広くないのがちょっと気になった。

RIMG0083 山車の展示は迫力あり。

RIMG0091
物販店の上にある「レトロ館」は有料だが、
昭和の町並みの再現と、おもちゃのコレクション展示が
なかなか面白い。個人のコレクターの協力を得ているという。

入り口には駄菓子屋さんなんかもあって、店内に入ると
店員さんが「こんにちは!」と挨拶してくれる。

一通り館内を見た後、土の館を運営するまちづくり会社の
方、会議所の方などと会議室で運営に関して教えていただいた。

「いや、よくこられましたね、てっきり今日は無理かと思って、
資料用意してなかった」

とニッコリ。

聞けば、地震の影響で県南部の電車がことごとく止まっている
だけでなく、久慈市でも電話が不通となっていて、市は災害対策
本部を設置している状況なのだそうだ。

++
お話を聞いているうちに
関係者の道の駅への改善意欲や、まちづくりへの前向きさを
ヒシヒシと感じてくる。とても真摯で情熱的で、なによりも大変なことに
対して楽しそうに語る前向きさを感じた。
自分も老婆心ながら、いくつか意見をお伝えした。

ちゃっかりと道の駅の人気メニューのぜんざいもいただいた。

SANY0228 
甘すぎず、しかし小豆が濃厚でなかなかウマイ。

++

帰りは3時25分のバス「スワロー号」で、久慈から二戸に出て、
そこから新幹線「はやて」に乗る予定。

しかし、当初16時の見込みだった復旧予定が、18時に延びている。

とりあえず、バケツをひっくり返したような雨の中、
久地駅からバスに乗った。

途中で天候も回復。まばゆい新緑が広がっていた。

SANY0237

70分ほどで、二戸駅に到着。

相変わらず新幹線の復旧のめどが立っていない。

予約してある新幹線が運休にならない保障もないし、
そもそも何時にくるか判らない。

とりあえず、二戸では宿も時間をつぶす場所もないに
等しいので、在来線「いわて銀河鉄道」で70分かけて盛岡に出よう。

仙台から東京の新幹線は本数が少ないようだが復旧している。
盛岡から仙台まではバスもある。
それに、盛岡には宿もたくさんある。

銀河鉄道のホームは、20人ほどの人が電車を待っていた。

SANY0245 二戸駅

牧歌的な山間の風景の中、ローカル線で盛岡に向かう途中、
ひっきりなしに携帯で情報を収集する。

PHSのアドエスは、やはり電波が入らない。

途中、新幹線の運行情報が変わった。

「本日の運転再開の見込みは立っていません」

+++

盛岡駅のみどりの窓口はごった返している。

181314062008

どうやら、仙台までのバスでの振り替え輸送をしているらしい。

とはいえ、ここから時間をかけて仙台に戻ったところで、
新幹線に乗れるかどうかの保障があるわけではない。

多くの人が仙台に押し寄せるのだから、宿だってわからない。
遅くに新幹線に乗れたとして、東京についてからはどうなるだろう。

そして、運行情報がまた更新された。

「本日の新幹線の運転見合わせ」

この時点で、自分は帰宅をあきらめた。 

秋田県の横手氏に住む友人と連絡を取り、
その友人と久々の再会をすることにしたのだった。

+++

それにしても、さすがに疲れました。。。
自然災害は、その直接的被害以外にもたくさんの間接的な
問題をもたらすこと、インフラへのダメージの大きさを
改めて再認識させられました…。

About 2008年06月

2008年06月にブログ「Take it easy 中小企業診断士 伊藤大海のブログ」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2008年05月です。

次のアーカイブは2008年07月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。