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日々の雑感 アーカイブ

2006年11月24日

レンタルサーバー障害…

レンタルサーバー「ロリポップ」のサーバー障害があり、
サイトだけでなくこのブログのデータがすべて消えてしまいました。

晩餐会シリーズなどはバックアップがあるのですが、現在
復旧作業中です。原状回復は不可能だと思いますが、
グーグルのキャッシュから救出できたテキストに関しては
またボチボチ復活していきますので、よろしくお願いします。

それにしても、酷いサーバーだった。

ホスティングサーバーもミラーリングしている他社に変えました。

2007年01月07日

あけましておめでとうございます

  work

今年も、焦らず、確実にやっていきます。
よろしくお願いいたします。

2007年01月21日

ブルーグラス@ロッキートップ

中小企業大学校の診断士養成課程で同期だった大分のAさん。
もともとブルーグラスというジャンル(まあ、カントリーのようなもの)
でバンドをしていたのは知っていたし、大学校時代も演奏を見たことがある。
で、最近、どうやらその手の人たちの間で彼のユニット「レモンスライス」
(レモンパフィ)が名をはせているらしい。
また、Aさんは、大分でのブルーグラスフェスの仕掛け人でもある。
確かに、月間ブルーグラスジャーナル「ムーンシャイナー」などにも、
Aさんご本人が書かれた記事まで載っていた。

で、この「レモンスライス」というのが、銀座も銀座、銀座のど真ん中で
ライブをやるというので、早速行ってきた。

それが、小さなビルの3F,小ぢんまりとした扉を抜けると一面ウェスタンカントリーな
お店、ライブハウスレストラン「ロッキートップ」(http://www.liverocky.com/

というか、さすが銀座、テーブルチャージで2000円。

小ぢんまりとしたお店には、40代から60代くらいのお客さんで
ひしめき合っていた。

早速、レコードを半分折にしたメニューからバドワイザー瓶を頼み、
瓶のままグイグイやりながら出番を待つ。

NEC_0001 
レモンスライス。左が同期生のAさん
(年齢はちょっと離れているが)

ウッドベースとギターのレモンスライス登場。
小さい頃にブルーグラスを見て、大人になってからはじめたという
ゆうちゃん(vo&bass)の声はナカナカ色気がある。
自分は、ブルーグラスというジャンルの曲目はいまいち知らないのだが、
70年代のイーグルスあたりは聞きあさっていたし、コンサートも行ったし、
とても心地よい音楽だと感じた。
それにまた、店内の演出がよりいっそうそれを引き立てること。

Aさんのギターや歌声は逸品だが、それに加えMCの面白いこと、
面白いこと。
MCの中でも「日本で一番鋭い診断士の伊藤大海さんもお越しいただいております…」
なんて、ちゃっかりご紹介をいただいてしまった。

アンコールはしっかりと、2曲やっていただきました。うーん、満腹。

NEC_0002
タイバンのバンド「ディキシーバグズ」&右端は飛び入りの「エルビス・グラス」

ディキシーバグズは、茨城のフェスで意気投合した仲間が
作ったとのことで、札幌より登場。

軽快なマンドリンとバンジョーもあいまって、これぞブルーグラス、
といった感じだった。
今にも、会場のおじさんたちが踊りだすかと思った。

で、最後に飛び入りしたのは北九州から上京していた
「エルビス・グラス」。

ちょっとMCがあるのかな、と思った矢先にいきなり
ブルー・スウェード・シューズが始まった!
声も渋いし、なかなか本格的だ。
ディキシーバグスも、バックを盛り上げている。

こうして、銀座のど真ん中であることをすっかり忘れて3時間、
すっかり堪能させていただいたのです…。

しっかり演出されたお店で、しっかりした演奏を聞く。

自分は高校生時代、トニー・ラマのウェスタンブーツにラングラーの
ブーツカット、トニーラマの掘り込みベルトに小粋なバックル。
古着屋で買った70年代のウェスタンシャツにレザーベストを着て、
頭はエルビスの初期型リーゼント(とがっていない)でばっちりと
ウェスタンカントリーを決めていた。

エルヴィスに憧れ、
イーグルスに遥かなるアメリカの大地を思い、
ジャニス・ジョプリンの歌声にかき立てられ、
リッキー・リー・ジョーンズに涙し、
トム・ウェイツにしんみりし、
ドアーズに常識を疑わされ、
キャロル・キングに暖められ、
エアロスミスに見せ掛けを否定された。

いつからか、それを追うことをやめ、普通のJPOPを聞き、普通の格好となった。

なんだか、ボウリングもそうだが、元気にソウルを追い求めている、
それを人生の喜びの一部としている
おじさんおばさん(失礼)をみて、自分もまた、 あの頃の気持ちが
掻き立てられた気がした。

これって、実はとても大切なことのような気がする。

そういう姿を見せること。見られること。

それはきっと、人生の豊かさだけではなく、社会をも育てる。

2007年01月31日

応対のできない店はそれなりのお店

ネット上で通販を手広く手がけていたpc-successという店が、
どうやら営業を放棄したようで騒ぎが起きている。
会社の前にも、人だかりしているようだ。

実は、自分もこの店で商品を購入し、散々な目にあったことがある。

「納期 4-5日」

という表示を信用して購入したPCパーツが、届いたのは実に1ヵ月後。

その間、何度かメールで催促したが、返事がないので、
法律の条文を持ち出して
「責任者から返事が欲しい、連絡先を教えて欲しい」
とメールしても、こちらの要望がまったく反映されない、コピーしたような
返信が数日立ってから返ってきたのみで、あきれ返るばかりだった。
(もっとも、返事すら来ないTBSや、うそを平然とつくマツダのサービス部門
なんかよりずっとましだが)

自分はその件以来、まったくこんな店舗を使わなかったし、
他人にも使わないように勧めてきた。

だから、今回の騒動も、起こるべくして起こったことがよくわかる。
お金を払ったのに、商品が納入されない人が多くでているようだ。

日常の応対がちゃんとできない店。

その店は、信用するべきではない。

2007年02月01日

壬生義士伝

テレビで中井貴一主演の壬生義士伝をやっていた。

以前、テレビドラマ版の、渡辺謙がやっていたものを見ていたので、
あらすじもよく知っていた。

渡辺謙のものも、とても見ごたえがあり、良かったが、
中井貴一のものもとても良かった。

中井貴一も、佐藤浩一も本当に良い役者だ。

それにしても、この物語はよくできている。

家族を守るため、出稼ぎで新撰組にはいった吉村。

貧しさにあえぐ家族を守るために、守銭奴と笑われながらも努める。
しかし、その実は一人の武士として、義を抱いて
無理だと思うことを承知で倒れていく。

最後、義に死ぬ心と家族に会いたい、生きたい気持ちで葛藤する。

そして…

家族を守るということ、そして、一人の人間として生きること。
大儀を抱くということ。

人として生きることは、貫くことでもある。守ることでもある。

人としての気高さとは何か。

久々に、日常のモヤモヤした不安や悩みから解放された気がした。

 

2007年03月03日

人は石垣ならば

最近、故意に信号無視をするバイクや車を良く見かけるようになった。

今日も、我が家の前の交差点で20時ごろに赤信号を待っていると、
そこらへんにいそうな若者二人乗りの大型スクーターが、
交差している青側の車が途切れた合間に信号無視をしていった。
先日は、同じ交差点で夜、ホンダのオデッセイが赤になってずいぶんたつ
交差点を信号無視していった。ともに、減速して青側の車がいない
のを確かめて無視した確信犯だ。

車に乗り出した10年前ぐらいは、信号無視といえば深夜の地方の
交差点なんかでたまに見るぐらいだった。

でも、最近は普通に街中で見かけるようになった。
老若男女問わず。

自転車や歩きで信号無視するのとも違う。
十分に人を殺し、傷つけ、社会に大きな迷惑をかけるバイクや車。

そうそう、今朝は、小田急線の踏み切りで乗用車が立ち往生した
とかで、電車が遅れた上に、すごく混んでいた。

「自分がよければいい」
「ルールなんて、破ってもきっと許される」
「何をしようと自分の勝手だ」

この国のモラルはどうなってしまうのだろう。

人は石垣、人は城であれば、この国は危うい。
そしてこれは、一部の人間だけの問題ではない。


2007年03月04日

我が家の晩御飯

何を隠そう、自分はお米が大好きだ。
おいしいお米を食べているとなんとも幸せな気分になる。
お米のおいしい日本に生まれてよかったなあ、なんて思うし、
飲料でも米由来の飲料は大好きだ。

先日も、お手伝いしている企業の社長さんにそのお話をしたら、
「3年連続で米食味鑑定コンクール」で「最多得票」をとっている
お米があるから、分けてあげる、といって玄米でいただいた。

ちなみに、

我が家では炊飯ジャーではなく、火で米を炊いている。
それだけでも物好きかもしれないが、さらに装備を整えてしまった。

今日もおいしいお米をいただいたのだが、早速その装備を活用。

装備とは…

RIMG0042 圧力式精米機

買ってしまった。

精米機には、攪拌式と圧力式があるのだが、
圧力式のほうが米が壊れにくい。

攪拌式より割高でメンテナンスが大変だが、
それでも玄米で保管しているお米を好きな分つきにして
食べられるのはとても魅力的だ。
 

RIMG0045

玄米は、3分つきにした。
なんといっても、米はこのぬかに栄養をたくさん持っているのだ。

RIMG0050  火で炊く

RIMG0054  ホクホク出来上がりました。

いただきまーす!

2007年04月11日

インターネットのちから

自分が飼っているフェレットという動物を虐待する様子を
動画で撮影し、インターネット上で公開、インターネット掲示板で
「虐待だ」という閲覧者の指摘に対し堂々と「反論」していた
30歳の男が逮捕された。

☆引用 はじめ☆

フェレット虐待→ネットに動画投稿の会社員を逮捕
4月11日14時45分配信 読売新聞


 ペットとして人気の高いイタチ科の小動物「フェレット」を虐待している映像をインターネットの掲示板で公開していた事件で、 神奈川県警生活経済課は11日、同県厚木市東町、会社員森山慎一容疑者(30)を動物愛護法違反容疑で逮捕した。

 調べによると、森山容疑者は2月上旬、自宅で飼っていたフェレットの頭を手で殴ったり、 のどを押さえつけて呼吸困難にさせたりして虐待した疑い。調べに対し、「ストレスのはけ口だった」と供述している。

 森山容疑者は3月3日未明、ネット掲示板「2ちゃんねる」に、 虐待の様子を撮影した動画を投稿したとみられる。県警には映像を見た人から、捜査を求める通報や嘆願書が数百件寄せられた。  

☆ここまで☆

虐待の内容も、首を絞めたり、痛めつけたりとひどいものであったとはいえ、
この一件は現代社会を象徴するものだと感じた。

小動物の虐待は、日常的に起こっていることかもしれない。
しかし、それをインターネットで「披露」した。そして、掲示板ではほかにも、
「フェレットの歯をニッパで切った」「掲示板での追求が激しいので、フェレットを近隣の公園に放した」
といったことを書いている。

今までは、小動物の虐待で、警察が動いて「逮捕」され、実名報道
されてきたということはあまり記憶にない。

しかし、この件では、警察がその動画の公開者を割り出し、逮捕し、
実名を公表したのだ。

そして、重要なのは、その警察の動きの背景には、
動画を見て心を痛め、怒りを覚えた人々による警察への働きかけが
多くなされた、ということだ。
そして、掲示板に参加している投稿者による、犯人の特定も進められていたようだ。

+++

掲示板による「犯人」の特定は、実は結構行われている。
他人の自動車に乱暴を働いて傷をつけ、相手に土下座させた、
と自分の公開するインターネット上のページに記事を書いた人物が
いたのだが、この人物も、名前も、顔も、住居もすべてが特定された。

また、猫を虐待した画像をのせて逮捕された福岡の男も
警察が逮捕する前に、インターネット上ではほぼ特定されていたと記憶する。

+++

これらのインターネットユーザーは、いまや、良くも悪くも大きな力を持っている。

今回のように、良心的なものもある。(ただ、良心的だからといって、方法として
正しくないときもあるが

一方では、インターネット上では朝鮮の人々、障害者の人に対する差別用語が
もはや違和感なく飛び交っている。
先日、逮捕された小学校教師が公開していたような悲痛な事故死者の画像の例のみならず、
残虐な動画や画像、卑猥なものだって、
小学生なども、簡単にそのような情報に触れられる。

そして、いまどきの小学生は、「死者は生き返る」という認識を持っている者も
少なくないと調査されている。

+++

インターネットは国家権力だけではなく、マスコミや企業への大きな働きかけの
力をすでに持つのだ。
メーカーや保険会社の不条理な対応をインターネット上で公開して、
社会の力に変えた例などは、インターネット普及期にすでにあるのだ。

ときに、インターネットはそれらに大きな影響を及ぼし、個人にだって破滅的な
結果をもたらすこともできる。

一方では、「インターネット発」アイドルの誕生など、今まで埋もれていたものに
チャンスが生まれている。ツールは使い方しだいで常に両面価値的だ。

だからこそ、企業のあり方が問われる。コンプライアンスだ。
いや、突き詰めれば、それは個人の倫理観にも当てはまる。

最近、インターネット上では、とある掲示板の「援助交際」に関するコメントを
世界に名だたる大手家電メーカーのサーバーを経由して書き込みが行われたことが
判明し、話題を呼んでいる。
ちなみにくしくも、そのメーカーとはこの日記の冒頭のフェレット虐待の会社員と
同じ会社だ。

この「インターネット」の力をあなどってはいけない。
経営者は当然、従業員の「個人の倫理観・道徳観」のあり方を軽んじてはいけない。

自社・自分にとってマイナスに働かせるのではなく、いかにこの声をポジティブな方向で
自分たちの味方にできるか、ということが重要なのである。

そしてそれは表面的なことではない。
見た目はよくても、実態が伴っていなければ、やはりインターネットの
負の力を受けることになるだろう。

企業は、このようなインターネットへの対応をもっと重視し、方針を明確に
もって実践するべきである。

そして、くどいようだが、それは小手先ではなく経営レベルからでなくては意味がない。

+++

それにしても、である。

インターネットは、一つの世界、一つのルールを作り上げている。
しかし、その仮想世界のルールを、現実世界に持ち込む風潮が
近年随分見られるようになってきたと思う。

しかしながら、基本はやはり、「現実世界」であって、
「仮想世界」は現実世界のルールに準拠しなくては、
社会的破綻の懸念は実現することになる。

何でもかんでも規制するというのではない。

しかし、無責任に何でも言ったり、何でも見せたりすることが「自由」ということではない。
「自由」には、「義務」が伴うからで、その「義務」には現実社会的に通用しうる
人としての良心は不可欠だ。

そして、現実と仮想の切り分けをしっかりと認識できる教育を進める必要がある、
ということだ。このことに関して、今の日本社会はあまりにも無防備だ。

そのことを、社会はもっと重視してもよいものではないか、と思う。

 

 

2007年04月17日

二つのクレーム対応 その1 

※当文章の転用・転載・引用・抜粋はお断りします

1週間ほど前だろうか。大手証券会社のインターネットサービスから、
家内のインターネット株式取引口座の申請をした。

昨日、帰宅してみるとマンションの集合郵便ポストにこのA4サイズの
申込書一式と冊子入りの封筒が折りたたまれて入っていた。
小さいポストである。引っ張り出すにも分厚い冊子が引っかかりちょっと難儀した。

そして、取り出してみて、唖然。

封筒の下部が破れて、あるいは、破られて「全開」になっている。

SANY0115 実物

真ん中にひっかかったあとがあるのはポストの中でひっかかったもの。

SANY0117 きれいに切れている

 あわてて中の書類を確認する。

そこには、インターネット上から申し込む際に入力した家内の
名前だけでなく銀行口座、年収、職業などが一通り記載されていた。

「え、これ、誰か見たの?」

これがそのときの感想。

「それとも雨で開いたのだろうか?」

それにしても、きれいにやぶれている。

 


 

警察に電話しようか?悩んだが、とりあえずは調査が先だ。

すぐに、証券会社の窓口に電話した。

■ここで私が伝えたこと

【要望】関連部署に対し、 この件についての原因と対応をフィードバックしてほしい

1.個人情報に絡む件、犯罪もありうる事件なので、 この件は非常に憂慮している

1)問題点が二つあるのではないか

 ・個人情報を取り扱う封筒なのに、簡単に破れる(破られる)素材でできているのは
  問題があるのではないか

 ・個人情報取り扱いに対して、配送業者に注意を喚起し、しっかり管理するのも
  御社の責任ではないか

総じて「サービス提供者の意識として」問題があるのではないか。

 

☆この件に対するサービス窓口の一次回答

・封筒の件について
素材等を含め、このような苦情を承ったことを関係部署に厳しく伝えおく

・配送業者の件について
このような苦情があったことを、関係部署から業者に注意を促すように伝える

・申込用紙が雨などでぬれて使い物にならなくなっているか?
(その場合、再度発送する)

☆一次回答に対する私の回答

【要望】この封筒がどのような経緯で開封されたのかをしっかり調査してほしい

・この件は、仮に誰かが「故意に開封していた」としたら、「事件」 であると考えている

・その意味で、「ただ関連部署に伝えおく」という回答で納得できるわけがない

・事件であれば、被害届を含め、検討しなくてはならない

・必要であれば、メールに画像を添付して送付する。特定のアドレスを教えるのが困るなら、
ネット上からそちらに閲覧していただけるよう、作業するのもやぶさかでない

・申込用紙に関しては、再度送られても、このような情報の取り扱いを受けるのでは
到底安心してお任せすることはできない。申し込み手続きはここでストップしたい。

この時点で、証券会社より「後ほどご連絡します」とのことで電話を切る。

 


 

2時間後、管理職と思われる男性から電話を受ける。
非通知着信のようであったが、当方は非通知着信を拒否しているので
直後に番号通知でかかってきた。

一通りの謝罪のあと、報告を受ける。

☆報告事項

「当方発送時には、封筒に破損はない」

・今回の冊子小包は、印刷・発送を依頼している印刷会社から発送されている。

・印刷会社では、発送前に機械で郵送物のチェックをしており、その時点で破損があれば
 対応している

・金曜日の19時には集配局の蕨郵便局に持ち込まれている

・封筒に関しては、関連部署に必ず話をあげる


☆私の対応

「配達員までしっかり調査してほしい」

・今回の件は、場合によっては事件として扱われる案件である

・御社の発送時に破損がないという件は了解、収集後の問題と捉える

・しかしながら、結果は収集後以降の出来事とはいえ、起因する原因は
封筒の素材を含め、御社にもある事は変わらない

・また、配達時、配達後に発生したことだとしても、
御社も(人ごとではなく)それを把握している必要があるのではないか
(把握していなければ、社会的大問題につながる恐れがある、あるいは
賠償請求などを検討する必要がある、の意)


☆私の対応への反応

「さらに調査を進める」

・確かに、当社としても把握しておく必要があると考える

・さらに調査し、明日、また報告する(このとき17時くらい)

☆私の反応

明日の報告、了解、お願いします。

 


 

明日、といっていた報告は、それから1時間ぐらいして、当日内にからかかってきた。

☆2度目の報告

「登戸郵便局より報告させる」

・配達した局は、登戸郵便局である

・登戸郵便局に連絡し、担当者が戻ったら事情を聴取し、伊藤のほうまで
報告するようにお願いした

・報告を受けるのに都合のよい日時を教えてほしい

 


 

【今回の証券会社の対応にする評価】

・封筒の件に関して
☆評価できる点
職業・年収だけでなく、銀行口座さえも特定されてしまう情報を収納する
封筒の素材が、雨や人によって簡単にあけられてしまうものであったことに
対して、問題点を率直に認めた。
また、その件については、必ず該当部署に伝達するということであった。

☆改善を願いたい点
しかしながら、具体的対応策などは提示されなかった。


・配送について
☆評価できる点
比較的迅速に、「印刷業者」「郵便局」にたいし調査を行い、その都度、
報告をしている。

☆改善を願いたい点
最終的に、こちらと郵便局の直接のやり取りとされたことは残念である。

その理由は2つある。

1)結局、最後まで責任を持って、対応をしてもらえないのだろうか。

2)証券会社側がしっかりと郵便局からの最終報告を受け、その結果を元に
自社としてもとるべき対応を図らないのだろうか?という疑問を持つ。

それと、電話してくるとき

「非通知」

で掛けてくるのって、

それってすごく失礼&無責任ではないですか?

 

 

つづく。

 

 




 

二つのクレーム対応 その2

※当文章の転用・転載・引用・抜粋はお断りします

 

 

翌日、郵便局より電話あり。配達した本人から。

一定の謝罪のあと、一応状況を確認された。

 


 

☆郵便局の報告

「配達時に破れていない、破ったわけではない」

・配達時には破れていない

・配達時に事故で破れた、ということはない

・破れた場合は、局に持ち帰り、補修し直接手渡す

・郵便物を乱暴に扱うことはない

・強引に折り曲げてポストに入れたことに関しては、
「郵便物は完全にポストに入れること」と上部から通達されている

・もし、破損が続くようであれば、誰かが故意にやった可能性もあり、
再度連絡がほしい



 

☆私の対応

・配達時に破損がない場合は、個人情報がらみの器物損壊として
警察などに被害届を出すことも検討する必要があると考えている

・当方としては「配達時に破損がなかった」のであれば、それが確かであったことを
確認したい

(郵便局;「一日にたくさんの配達をしているから一つ一つ覚えてはいないが、
たぶん、破損したら局に持ち帰るので、破損していない」)

・「たぶん」ではなく、「破損は絶対なかった」と言い切れるか

(郵便局;「絶対なかった」)

・「配達時に破損が絶対なかった、ということなので、被害届を含め、
こちらで後は検討する。
その際は、またそちらに調査などで手間をかけるかもしれない」

(郵便局;「今後、配達にはいっそう気をつける、スミマセンでした」)

・冊子を折り曲げてポストに入れるのはやめてほしいが、
今回の件でそちらが破損をさせていないのであれば謝る必要はない。

お手数をおかけしました。

 


 

【クレーム対応の評価】

責任を持つ管理職ではなく、その配達員から連絡を受けたことに関して、
私は非常に不満足である。

私の感想だが、その局員は常に自分の主張を繰り返していて、
話を自分のペースに持っていきたい様子であった。
特に、最後のほうでは、「とにかく話を終わらせたい」ようで
強引に話をまとめに入っていた。

とはいえ、彼は自己の責任を持って「絶対に破損していない」というのだから、
それを信じよう。

かくして、結局封筒が開封していた原因は不明であり、
今後の対応を思案している。

郵便局の言い分に従えば、

封筒は

・自分で勝手に開いた

または

・誰かが故意にあけた

ことになるわけである。

これは、大事だ。

 

 


 

 

今回の件から見えてくるのは、単なるクレーム対応の方法だけではない。
方法論以前の、もっと上位概念のあり方である。

結局、今回の問題は解決しなかった。
こうやって消費者にしわ寄せが来る。
しわ寄せを受けた消費者は、積極的にそのサービスを利用しようとするだろうか?

今回の件は、二つのことで防げたはずだ。

・封筒を、雨などに破れにくく、故意にあけたときにわかりやすい、ビニール製とする。

・配達は、強引に折り曲げてポストに入れるのではなく、面倒でも階段を上り、
新聞受けに入れる。

証券会社・郵便局ともに一つずつ。それをしている、していないでは、
結果に雲泥の差がある。

消費者の受け取り方をまず考え、対応するあり方が、企業には問われている。

それにしても、どうしよう。

 

 

 

2007年05月29日

オークション詐欺 現在進行形

本日、とあるネットオークションで2人の異なる「商品発送地域」と
「ID」の
出品者から、それぞれ同じ商品を落札した。

どうやらそれは、オークション詐欺のIDらしく、現在それが進行しているようである。

■事の発端

オークション上で、とある商品に目をつける。
その説明文章は日本語で、長々と機能などが説明してあり、
取引の注意事項も書いてある。

ただ、画像が明らかにその商品自体ではなかったのと、
説明文にやや不自然な表現があった。

入金先を見ると、どうやら日本の銀行ではない。
厳密に言うと、日本の銀行を中国語表記してあったようだ。

とはいえ、そのIDでは過去に多くの取引実績があり、
「悪い出品者」との評価はない。

また、ほかにも多くの商品を出品している。

金額も、個人的に決めている損害許容額の範囲内なので、
入札し、落札した。

■何か変だぞ

数時間して、夜。
ネットオークションの取引連絡用の掲示板に、出品者からコメントが来る。

銀行口座だけ書いてある。

しかも、思いっきり中国語が文字化けしていて読めない。

通常、オークションでは、

「はじめまして」

から始まり、

「短い間ですが、よろしくお願いします」

とまずは出品者が身元を明かすものだ

しかし、ここには出品者の住所や電話番号も書いていない。

さらには、2人別々のID、出品地域の商品を落札したのに

「銀行口座番号が同じ」

思いっきり胡散臭い。

「中国の社会じゃ、こういう方法なのかもしれない」

そう善意に解釈しようとした。が、やはり調べることに。

 

■調査の結果は?

調査、といっても、そんなたいしたことはしていない。

1) そのIDの過去の行動を読む
→ 評価欄で、過去の落札商品の動向、評価、そして、 そのIDが記入している文章を分析

2)そのIDで、今回落札した商品が評価されているかを見る (事前に見ているが)
→ 評価欄に、その商品を落札した人がよい評価をしていれば、 信憑性があがる

3) そのIDで詐欺の報告がないか探る
→ グーグル検索を行う。掲示板を検索する。

4) 商品説明文章が共通しているほかの出品者などの過去の行動を見る
→ IDをコロコロ変えている可能性があるのと、 もともと商品説明文章を
他人からコピーしている場合、コピー元が迷惑をしていることがある

5) 先方からの連絡を無視してみる
→ 基本的にオークションはすばやい返信が行われるが、 あえて返信をしない。

これ他の調査を行った結果。

1) そのIDの過去の行動を読む

その結果、 そのIDの過去のオークション取引では、今回出品されているものと
同じようなカテゴリにくくれるような取引は皆無であった。

まったく趣向の違うものが数多く取引されていたことがわかった

しかも、出品よりも落札がはるかに数が多い。
しかし、今回、そのIDではざっと数えても20以上の商品を同時に
出品
しているのだ。

さらに着目したのは、過去の評価のやり取りは

「日本語がかなり丁寧で上手」 なやり取りをしている

ということであり、漢字も日本のものであった。


2)そのIDで、今回落札した商品が評価されているかを見る (事前に見ているが)

その商品では、評価者がいなかった。
調べてみると、そのIDがその商品をオークションに出し始めたのはここ2日。
オークションの説明には「入金確認後、2日以内に発送」とあるので、
最速でも明日に評価がつくことになる。
あまりあてにならなかった。

3) そのIDで詐欺の報告がないか探る

グーグルで検索をかけてみる。そのIDの過去の取引と、現在出品している
取引のページ、ここ二日すでに終了しているページが出てきた。
しかし、特に詐欺の報告は出ていないが、4につながるいくつかの情報が
でてきた。

4) 商品説明文章が共通しているほかの出品者などの過去の行動を見る

これは効果覿面だった。

まず、文章であるが、他の出品者の商品説明をまるっきりコピーし、
入金先だけを変えていることが判った。

その出品者は、出品ページの中に以下のような注意書きを書いている。

「最近、このページの商品説明をコピーして出品している出品者がいますが、
私はその出品者とはかかわりはなく、一切のトラブルに関与していません」

つまり、この出品者はおそらく、何らかの問い合わせや苦情を受けている、
ということであり、ここでいう苦情というのは
「商品が届きません」
というものであろう事は容易に推測できる。

そして、今回私が関連している出品者の商品説明の文章は、
さらにいくつものIDで同様の文章をコピーして出品していることが
判った。

そして、過去にすでに終了している取引でも同様であり、
そのような取引の中から気になるものを多々みつけた。

それは、

「IDが停止中」

となっているものが多いということだ。

つい先日まで、色々な良品の取引実績があるのに、ある日突然、
今回の商品を出品し、落札され、そして数日後すぐに

「ID停止」

となっている。
つまり、これは、それまでは正常にさまざまな商品を取引し、評価が悪くなかった
出品者がある時点で悪いことをして、サービス会社に通報され、IDを強制停止
させられたことを意味している。

あるいは、IDを不正使用された本人が気づいて停止させたか、である。

5)先方からの連絡を無視してみる

この調査の結果も面白いものであった。
はじめ、口座だけが届いたメールだが、

一時間もしないうちにもう一通届いた。

それには、文字化けが若干修正され、フリーのメールアドレスが
加えられ、文法が変な
日本語も書かれている。
つまり、

「早く住所を送ってほしい、入金してほしい」

ということ。
しかし、これも無視した。

すると、さらに1時間もたたないうちに督促第3弾が来た。

どうやら、口座番号ははっきりと判るようになったようだ。
そして、その口座名義は中国名ではなく、おそらく朝鮮半島系の
物であることが判断できた。

そして、その支店名は、「出品地域」とは遠くはなれたものであったのだ。

■この取引は限りなく詐欺に近い

上記のことより、

・このIDによる取引は非常に詐欺的要素が強く、
取引が誠実に履行されないリスクが高い


ことが判ったのだが、さらにいえるのは、

これらのユーザーIDは、これまで実在し、使われてきたものであり、
それが今回の取引においては第三者に不正使用されている可能性が非常に
高い、ということである。

そして、商品の画像と本文の差異などについては簡単な表現でも
修正されていないこと、私に来たメッセージが中国語であったことから
おそらく、出品者は日本語の文章が理解できない外国人であると考えられた。

また、 連絡を無視しているときに矢継ぎ早に催促をしていることについては、
早く入金させたい、ということもあるだろうが、
こちらの氏名、住所、電話番号を抑えて身動き取れないように
したいのだろう。
取引で、 クレジットカードや後払いのサービスを使っていないということは、
相手が現金を確実に手に入れようとしていることを意味している。

私の立場、つまり落札者は
出品者の名前や住所、電話番号はこの時点でもわかっていない。
それなのにこちらから伝えてしまえば、あとからどのような手を使っても
入金させられる可能性が高い。
たとえば、「お前の家に行くぞ」と電話がかかってくれば、こちらは
どこの誰かもわからぬ人間におびえて、結果的に入金せざるを得ないのだ。


■フィッシングによるID不正取得からの

犯行の可能性

それにしても、「他者のIDを第三者が使う」ということは可能なのだろうか?

可能、なのである。

それを可能にするIDとパスワードの入手は、いくつかの方法がある。

a) 直接人が入力しているのを見て、IDとパスワードを盗む
b) スパイウェアを相手のパソコンに感染させ、そこから入力された文字列を読み取る
c) 巷にID,パスワードが流出しているとして、それを有料で入手する

そして、可能性として高いのが
d)フィッシングというインターネット上のトラップ(罠)をつかい、相手にニセの
ページからIDとパスワードを入力させ、それを記録しておく。

おそらく、今回用いられているのは”d”のフィッシングだろう。

かつて自分も、ヤフーオークションのログインページそっくりに作られた
フィッシングページに遭遇したことがあるが、一見しては区別がつかない。
そしてそれは、メールで「お得なオークション開催中」や、
掲示板などで、「この商品を見てみて!すごいから!」などのような
誘導を行い、ユーザーの好奇心をあおってニセページにログインさせ、
その際にIDとパスワードを記録してしまうのだ。

今回、私が直面しているIDの過去の取引結果から見れば、
随分オークションをやっているようだ。
さらには、ある種のマニア的傾向を持っていると明らかにわかり、
そのネタでフィッシングに引っかかったであろうコトは推測がつく。

■対応~信義上の理由からキャンセルを

まずは、サービス運営会社にメールを入れた。

また、自分自身は相手にメールアドレスはばれているものの、
それ以外はばれていないので、もう少し返信をしないように
しようと思う。
相手は、メールをよこせ、といっているが、ここでうかつにメールなど
出してはいけない。
そこには、相手に渡ってしまうこちらの情報があるからだ。
たとえば、どこのサービスプロバイダで、 どの地域のアクセスポイントを
経由しているか、など。
メール情報からだけでは個人は特定することはできないのだが、
それでも必要以上に相手に情報を渡してはならない。

さて、明日中にでも
IDが「停止中」になれば明らかに何らかの被害が発生したことがわかるし、
逆に、 そのIDに今回の商品をほかに落札した人からお礼の評価が入れば
確かな相手だという確証が少しはもてる。

いずれにせよ、結果的には

「信用できませんので、取引はキャンセルします」

ということになるだろう。

まあ、もしかすると相手からは「悪い落札者」だと評価を受けるかも
知れないが、説明と事実が異なることを行っている相手とリスクを
犯してまで取引をする義理はないだろう。

■今後への教訓・改善

オークション、ネットショッピングの経験は豊かなほうだと考えている。

だからこそ、油断が起きてしまい、相手の与信審査を十分に行うことなく
失敗するところであった。

今後は、これを教訓に気を引き締めなおす必要があるだろう。

今回、調査時に行ったような作業を、きちんと事前に行おう。

大切なのは、後始末ではない。前始末であり、

その状況を回避することなのだ。

2007年05月31日

本末転倒。

中小企業大学校の中小企業診断士養成課程について、情報を探す人が多いらしい。 それに伴って発信する人も増えたようだ。すばらしい研修だから、その経験が社会に知らされ、還元されるならば喜ばしいことだ。ちなみに、 この手の情報はインターネット上の某巨大掲示板にも色々と書かれている。

気になるのが、「新養成課程(2006年から始まった、一次試験合格者の半年コース)は旧養成課程 (一次試験合格者でなくとも入試に合格すれば一年間学べるコース)よりレベルが高い」とか「旧養成課程と一緒にされては困る」という、 本当かどうか知らないが、在学生もしくは卒業生による書き込みがあることだ。

旧養成課程も、新養成課程もどちらの研修にも携わり、研修生を見てきている自分から見れば、 そんなことを言っている時点で、診断士としての資質・水準を疑わざるを得ないというのが本音だ。

そもそも、2001年以前の診断士など、今の診断士と位置づけと期待される役割が違うのだから、 その時点で比較しても意味が無いし、診断士としてそれに考え至らないということもよもやあるまい。

 何を持って「優れている」「劣っている」というのだろうか。その人は、 現場で物事をどのように判断しているのだろうか。一次試験に合格していることが優れているということなのか?

さらにいえば、犯罪予告、 犯罪の告白なども書き込まれるその手の巨大掲示板に診断士や研修生を名乗って書き込みをすること自体、脇が甘いとしか言いようが無く、 そういう主張は自分でサイトを作って本名も出して堂々とやればよいと考えている。

いずれにせよ、診断士の資格は道具でしかない。それをどう使うか、それを優れたものにするかしないか、 それがどのような優秀さを持っているかは表出したり、言葉で解説できるとは限らない属人的な資質、能力、努力、心構えによるところであり、 知識の多い少ないなどをもって一言で比べたり評価することはできないのである。

簡単に言えば、旧養成課程だろうと、新養成課程だろうと、 診断士として社会のお役に立つ人はたつだろうし、そうじゃない人はそうじゃない、ということだ。いってしまえば、「コンサルタント」 としてみるなら、診断士の資格なんぞ持たずとも活躍している人だってゴマンといる。冒頭のものの見方からすれば、 診断士を持っていない時点でそのコンサルタントは診断士に劣っている、ということにもなりそうだが、そんな考えはあまりにも馬鹿馬鹿しい。

自分が学んできたものや環境にプライドを持つことは悪いことではない。しかし、その本質を語らずして (そもそもよく調べもせず)うわべを捉えて比較、主張するような、 養成課程を貶めるような根拠ない書き込みは中小企業大学校の診断士養成課程卒業生として、本当にがっかりさせられてしまうのである。

 

2007年06月01日

世界の中心で鯨を食わせろと叫ぶ

何を隠そう、自分は鯨が食べたい。
海洋国家に生まれたもののDNAだろうか、
牛なんかより、よっぽど鯨のほうがいい。

「なんであえてまずい鯨なんか採りたがるんだ」
なんて意見にはまったく同意しない。

かなり前の話で今はあるかわからないが、
二子玉川の高島屋のなか(だったと思う)
のすし屋に、「くじらの赤身」の握りがあった。

やはり、値は張るので、いつもは食べられないが、
こいつは一回食べると病み付きになる。

脂の少ない赤身。
新鮮な赤身の弾力と、歯ざわりが、馬刺しでもない、
牛肉の刺身でもない、また違う風味を楽しませてくれる。

残念ながら、そんな新鮮な鯨の刺身を味わえるところは
とても少なくて、ピンク色の鯨のハムのようなものや、
竜田揚げのようなものの形でしかお目にかかることが無いのが
いたく残念である。

 


 

IWCの総会が、案の定「反捕鯨、反日本」で進んでいる。
そもそも設立時は「資源活用」について決めていく会だったのが、
今ではすっかりと「捕鯨国を非難する会」となっている(しかも感情的に)。

この会は、まったく何の会なんだろう?

 


 

自分と鯨の付き合いは、結構ある。

憶えているのでも小学校2年生ぐらいのときから。

自営業・共働きの我が家は、家族旅行なんて片手の指で足りすぎるほどしか
いったことが無いのだが、西伊豆の雲見温泉へ旅行したときに、鯨に触れることになる。

もっとも、鯨といっても、骨格だ。
ある喫茶店だかお土産やサンに入って、落ち着きの無い自分が
ふと2階に上がったら…

そこに、セミ鯨の骨格が置いてあったのだ。

初めて触れる鯨の姿。
でかい!

そして、なんて立派な骨格。

こんなのが、海を泳いでるんだ!

子供心に、鯨のイメージを膨らませ、ワクワクさせてくれたものだ。

この骨格は「雲見くじら館」にいまでもある。
かつて、雲見の港に迷い込んで絶命してしまった12mの若いセミ鯨だ。
そして、人々は骨格を日本でも珍しいセミ鯨の標本として保存し、
鯨の供養のために石碑を立てた。

ちなみにセミ鯨は漢字では「背美鯨」とかく。
背びれを持たず、湾曲した背中が美しいからだという。

人生の中で、数えるほどしかない家族旅行。
その中で、この鯨の骨格は思い出に彩を与え続けてくれている。

+++

中学3年生のときは、当時所属していた読売新聞の子供記者団で
特別取材班に選抜され、小笠原諸島で鯨に関する取材をしたことがある。

ホエールウォッチング。
当時は、人間と鯨の境界線は100mであり、観測船は
それ以上近づいてはいけない決まりを作っていた。
それは、鯨のためである。特に、小笠原にザトウクジラがやってくるのは
出産と、子育てのためであるのだ。

ぶはーっ、ぶはーっ!

とザトウ鯨が潮を噴き上げて群れで泳いでいる。デカイ。
ときおり、水面から鯨が胸びれをだす。バッチン!と水面をたたく。
それは「こっちくるな」という合図。
かと思うと、別に遠ざかるわけでもない。小さい尾びれが、
大きい尾びれを追いかける。
尾びれの裏の白黒のまだら模様は人間でいえば「指紋」。
それぞれがオリジナルの模様を持ち、人間からの固体識別に使われる。

リズミカルに持ち上がるのではなく、

ぐわーん、

と尾びれが持ち上がるのは、深くもぐる合図。
鯨は、深海までもぐることができ、長時間もぐることが可能なのだ。
だから、人間が嫌なときは、そうやって遠くへいってしまうこともある。

でも、このときは違った。
このとき、深くもぐったのはブリーチング(ジャンプ)をするためだったのだ。
深海から一気に数十トンの巨体を水上に踊りあがらせるブリーチング。
この恐ろしいほどのエネルギーの発露は、相手を威嚇するため、とも
いわれるし、体のフジツボや寄生虫をとるため、ともいわれる。
はたまた、子鯨のために見本を見せることもあって、子鯨が練習で
下手なブリーチングをすることもある。

このとき、外洋の波に木の葉のようにグラングランゆれる船から
僕が400mmレンズとニコンの一眼レフを用いて撮影に成功した
ザトウクジラのブリーチングの写真は、
紙面に大きく載ったのはもちろん、
テレビのニュースでも紹介されたのだった。

+++

海の神秘。巨大な生物への興味。
新聞に掲載するための記事を書くとき、
いろんなものが入り混じって、僕はその時の感情をどう表現していいか
判らなかった。

「怖い。でも、やさしい。
魅了され、その絶対性を認め、尊敬を感じずにはいられない気持ち」

広辞苑を眺めた。恐怖ではない。尊敬では足りない。
そんな言葉あるのか、あるのか。

あった。
日本人は、古来よりそのような感覚を持ち、言葉を用意している。

「畏怖」

僕は、記事で「鯨をみて畏怖感を感じずにはいられなかった」
と書いた。

+++

このとき、鯨の水中写真家、望月昭伸さんにも取材した。
生命を見つめ、その躍動を銀塩フィルムに切り取る。
(大きな鯨に魅了された彼の優しいまなざしと笑顔が忘れられないが、
数年前、彼は小笠原で撮影中、ついに帰らぬ人となった。)

「生きる鯨のすばらしい写真を撮ること。それは、その生命自体に目をむけ、
その生命を写し取ることに他ならない」

というような表現で記事を書いた。


+++
鯨との付き合いはまだある。

高校生のとき、米国ボストンでのホエールウォッチング。

ボストンは、かつて米国の捕鯨船の一大母港であった。
ボストンにも、沖合いにザトウクジラがやってくる。

そして、よく言われるように、米国人はボストンや、遠くは日本まで来ては
鯨をたくさん獲り、油をとってオイルや石鹸にし、肉は捨てた。

彼らにとって捕鯨とは、生きるための日々の糧ではなく、
商業ベースの、工業製品の「原料」であったのだといえる。
広い国土にさまざまな資源を持つ彼らにとっては、
鯨に日々の糧を求める必要は無かったのだから、肉など捨ててもよかったのだ。

ちなみに、捕鯨の母港であったボストンのホエールウォッチングには
「境界線」はない。
小笠原のホエールウォッチングよりはるかに大きい客船で、
何百人も人を乗せて鯨に際限なく近づく。

だから、僕が行ったときは鯨は船に向かって泳いできて、船のほんの30m
ほど手前で船の下をもぐり、反対側に現れるような、遊びだかなんだか
判らないことをやってのけた。

鯨の頭部のフジツボだってよく見えたし、その大きさに船が
転覆するんじゃないか、なんて心配もした。とにかく、海に
こんなでかい生き物が生きているのだ、と感激した。

船に乗っているアメリカ人も大興奮だ。
鯨が右に現れれば右舷が傾き、逆に現れると一斉に駆け出して
左舷に行くので船が左舷に傾く。
アトラクションとしては、一流のエンターテイメントなのかもしれない。

「境界線」を意識し、決まりを作って距離を持つ日本。
「境界線」なんてお構いなしに際限なく近づく米国。

どっちが鯨を大切にしているんだ、と思う。

結局、日々の生きるために口に入れるものとして鯨に接してきた
日本の文化、風土と、
そうではない工業製品の原料としてきた米国人の鯨感には
まったく違う、理解しあえない溝がある。

個人的な感想だが、日本人のほうがよっぽど鯨を尊敬し、
大切にしている。

そして、米国人の多くにとって、鯨は「ペット」のようなものなのだろう。


慈悲心。という言葉がある。

日本の調査捕鯨では、銛を撃ち出す砲射手は、
正確に鯨の急所を狙おうと努める。

それは、鯨が苦しまぬように、即死させるためだ。

調査で結局、採取するのだから、どういう殺し方だっていい、
なんてことは無い。

命をいただくものとして、その生を尊重し、相手と自分が平等だと
考えるが故の振る舞い。
相容れないこれらの行動の中で、「抜苦与楽」(ばっくよらく)のために、
砲射手は鯨を確実に即死させようとする。

慈悲心。

そして古来より、日本の各地には日々の糧となった鯨に感謝し、
迷い込んで死んだ鯨の供養を願う鯨塚が人々の手によって作られてきた。

それを、欧米人に理解しろ、というのも、無理かもしれない。
彼らは憐憫(対等な立場からではない哀れみの気持ち)の
考え方を持つのだから。
鯨はむしろ、ペットのような存在なのだろうから。

いずれにせよ、調査捕鯨において西洋の環境団体が砲射手の
射撃を妨害して結果的に鯨が即死できない状況に追いやったり、
(結果的に鯨はもがきながら、呼吸できずに水死することになる)
17頭のクジラの死骸を、街の真ん中に並べたり(2007年、ベルリン)、
大きい鯨の死骸を日本大使館の前においてさらすなど(2006年、ベルリン)、
そのような「残酷」なセンスは日本人と彼らの隔絶されたセンスを感じさせる。

科学的調査の上に、鯨を貴重な食資源として活用しようとしている
捕鯨国の日本こそ、鯨を、その尊厳を守っている。

 


 

僕は鯨が好きだ。

鯨は畏怖感に足る動物で、やさしくもあり、魅力的だ。
とはいえ、うちにいる60匹近い金魚だって、実は十分にそうだ。

西洋人が大好きな牛だって、
うまれて屠殺されるまでに一生でほんの数分しか太陽を拝めない
フライドチキンのための鶏だって、
何かにつけ丸焼きにされる七面鳥だって、
生前は汚いものの代表のように蔑まれるブーチャンだって、
本当はみんなそうだ。

鯨だけが特別、なんて考える理由はどこにも無い。

そもそも、鯨だけを保護すると生態系はどうなるのだろう。

 


 

日本は資源が乏しく、食料自給率が極めて低い。
食肉のための資源だって、外国に頼りっぱなしだし、
依存せねば国が成り立たないのである。

これは、腕に常に生命維持のための点滴針が刺されていて、
そのチューブの先のコック(栓)は日本人ではなく、
外国人が握っているということを意味している。

そして、その点滴の薬液はいつも生命にいいものとは限らない。
未知の病気に侵され、確実な検査もされない牛肉や、
国内でも警告が出るくらいの農薬がついた野菜。

たとえそうでも、それを薬液として使わざるを得ないのが今の日本。
それは、国が国家として成り立っていない、ということもできるのだ。

つまり、今も昔も変わらず、日本人にとって鯨は大切な食資源であることは
間違いない。

「戦後何も無い中でこそ鯨が貴重だった」

というのは不正解。

何でもありそうな現代も、実は日本には何も無い。

だから、今でも日本人には鯨の助けと共存が必要なのである。

 


 

そして、その鯨は、栄養だけではなく、
味覚としても十分においしいものなのだ。

(終わり。)

 


 

追記

鯨という生物が地上から消えてしまうことは防ぐのは当然だ。
人為的にそれをしてよい権限なんて人には無い。そしてそれは、
人の将来を脅かすことなのだ。
それを防ぐことを、調査に基づいた科学が役割を担っている。

でも、世界ではその科学すら否定されようとしている。

一部の国家だけでなく、日本社会においても見られる忌忌しき問題。
それはこのような生命の掠奪、否、享受の上に我々が糧とする肉が、
あたかも工業製品のように次々と生産されて出てくる、
そんな感覚で日々口にすることではないか。

スーパーの肉や刺身が、
もともとどういう形をしているか知らない(つまり、もともとそういう形で
どこかで作られていると思っている)、知っていても考えない、
考える必要性がわからない。そんな風潮があるようにも思う。

ハンバーガーはもともとああいう形のものであって、どこかで作られてる。
自分はべつに、食べられればいい。

と。

古来、鯨塚を作りながら日々、生きていくためにその生命を
いただいていた捕鯨は、そのような視点からは語れないと思うし、
そこからは日本の文化や社会の有り方の問題も見えてくる。

2007年06月04日

伊藤家の金魚

自分は実は金魚好きだ。詳しくは、趣味のための姉妹サイトのブログ
にも書いてあるのだが、たまにはこちらにも画像をアップしてみよう、
と気が向いた。

我が家では現在60匹ほどの金魚が水槽とベランダの池に生息している。

その中の数匹をご紹介。

c
青文魚という、本来黒い金魚の色が抜けて、白くなっている。
真っ白になったら、それを白鳳(パイフォン)とよぶのだが、
今のところ、まだ青文かな?性別はオス。

頭の肉瘤が発達し、エラ蓋にかからないほどよいフンタンといい、
なかなか立派。しかも、オレンジ色がおしゃれ。
しばらく体調を崩していたので、肉瘤が若干小さくなったが、
看病のかいあって回復したので、また復活するかな。

江戸錦のメスと交配させようと思ったが、この春はうまくいかなかった。
秋に再チャレンジ。

今のところ一番大好きな金魚やサン、本郷三丁目の「金魚坂」で購入。

 

b

同じく、金魚坂で購入した水泡眼。
リンパ液の入った頬袋がなかなか立派で、
なかなか愛嬌がある。
退色は透明鱗の桜模様でところどころに反射鱗が光っている。

a  

こちらはネットで購入したライオンヘッド(中国らんちゅう)の黒仔。
針仔(生まれて間もない)の状態で45匹購入。
1回目の選別をして、二つの水槽に分けた。
(ハネた金魚も捨てられず、育てている)
エサは最初はブラインシュリンプを孵化させて与え、
「姫錦」をたまにあげていたが水の傷みが早かった。
なので、今はたいていは「咲きひかり」の育成、色揚げ、増体のミックスと、
冷凍ミジンコ。
現在、ベランダでミジンコを沸かしている最中なので、それが沸いたら
与える予定。

どんな色になるのか、どんな発育をするのかがすごく楽しみ。
水温の変化が大きい梅雨の病気に備え、当分は部屋飼い。

いずれ、金魚関連のお仕事も手伝いたいなあ。
という気持ちで、愛知の弥富をレンタルサイクルで走り回ったこともある、
金魚好きです。

 

2007年06月10日

とある踊りに関すること

ネットサーフィンをしていたら、近年よく各地のイベントに登場する
とある「踊り」に関する北海道新聞の記事をみつけた。

曰く北海道新聞社が行った調査では半数以上の人が、
その「踊り」が「嫌い」と回答したとのこと。

「お金が絡みすぎ(商業ベース)」「参加者の態度が問題」

などという批判的意見があるようだ。
この記事を見て、まあ、批判的な人が多いのだろうとは
思っていたけれども、

「へぇ~、そういうところが問題視されているのか」

と思った。

個人的な日ごろの感想から言えば、
とあるイベントで人気になったことがきっかけで、
日本のあちこちで、なんでこんなにたくさんおなじ
「踊り」がされているんだろうなんて考えてしまう。
地域とまったく関係ない得体の知れない「借り物」が
はやっていて、それを地域の祭りの目玉にするなんて、
どうなんだろう、と思う。

その踊りは長年の民衆の生活の積み重ねの上に醸造されてきた
高知の伝統的踊りと北海道の伝統的踊りを融合させた、
などというが、

よく、高知県と北海道で暴動が起きないものだ、

と思っていた。
それよりむしろ、その「踊り」が北海道で行われていた
ことに、ひどくがっかりしたものだ。

その「踊り」は、リズミカルな音楽に一糸乱れぬ、オリジナリティ
ある踊りで街を練り歩く。
見れば、踊り手たちの情熱も伝わるし、それなりに感心する。
「元気がもらえる」「一生懸命さに打たれる」そういう評価があるのも良くわかる。
だから、僕は一つのサークル活動としてのその「踊り」は
否定しないし、それはやりたい人が自分たちで納得してお金を出して
やる分にはまったく問題は無い。

でも、それが、古からの文化に根付いた高知の踊りを語り、
北海道の踊りを語れるものなのだろうか?

いくらベンツとBMWがそれぞれよさを持った車だからといって、
二つをくっつけて
「ベンツBMW」なんて、ありえないのと似た感覚を抱く。

 


 

自分が、日本の各地でどこもかしこも、ある法人の懐にも入る
参加料金を払ってその「踊り」を乱発していることに、

僕は
金を払ってすでにあるものを使いたがる、

創造力のなさ

を常日頃感じてきた。そして、訪れる街々で、大々的な
その「踊り」のイベントポスターを見ては、
「ここも他と変わらないんだ」なんてガッカリする気持ちを覚えた。

スタンプのようにどこでもやっているイベントを大々的に
宣伝している地域に、
外から来た人間はどんな期待を抱けるというのだろう?

本当は、その町や地域にだって、ベースにできる「良さ」、
(その「良さ」とは、その地域での生活の積み重ねにより
そこに存在するはずの文化)
があるのに、そんなのを無視して、やれまちづくりだ、
やれ賑わいだ、などと十分にやることもせずに
「踊り」なるものを借りてきてお金をかけてイベントをする。
そんなの表面的なものだ。
毎年、それにお金を払い続けていくというのか。

地域や団体によって違う創意工夫があるからオリジナルだ、
などといったって、
それは一部のサークルの人たちの創意工夫であって、それは
その地域の文化ではない。
だから、それはまちづくりとして根付き、永続するモデルではない。

10年後に日本各地から集まった人に
「出身地の売りは何ですか?」
と聞いたときにその「踊りです」
とかなったりして、などと思う。

まちづくりというのは、その地域に住む人が過去から受け継いだものを
日々の生活でつむぎ、新しく磨き、そして将来につなげていくものだ。
もちろん時に、革新的で創造的なものが外的要因で起こることは
あろうが、それは、「モノマネ」では起こりえない。
本当にまちづくりにそれを活かしたいなら、そこから
地域住民の生活と文化に根付いたまったく新しい
地域の価値を生み出さねば意味が無い。

目に見えて活力を失っていく地域が多い。
そんな中で、派手なこの踊りで街を一時的でも明るくしたい。
そんな気持ちがわからないでもない。

でも、なんでその地域に伝わるお祭りを、
その地域に伝わる踊りをアレンジして、新しいものを作り出さないのだろうか。
安易に、すでに作られたものや、漫画のキャラクターを
街中に並べたりしなくてはいけないのか。

この創造力の欠落、
創造をしようとしない、しようという人を疎みまでする傾向が
本当はまちづくりと賑わいを奪い去っている。

そして、残念ながら自分はそんな多くの町を見てきた。

 


 

ちなみに、鳥取県で「ゲゲゲの鬼太郎」のキャラクターを並べた
商店街「水木しげるロード」なるものが人気だと近年騒がれているが、

僕が高校時代をすごした調布の布田天神まえの商店街には
もう、とっくのとう、随分前から鬼太郎のキャラクターが並んでいた。
水木氏が調布に住んでいるのだ。
それに、同じく調布の深大寺の御茶屋などでは鬼太郎にちなんだ
メニューだってある。
僕にとっての水木しげるロードは調布だ。

最近、鬼太郎が誘拐されて大変らしいのだが…リモコン下駄は通用しなかったか。

 

2007年07月15日

NHK 風林火山 上田原の戦い

NHKの大河ドラマ「風林火山」にどっぷりはまっている。
ひさびさに骨太のドラマで見ごたえがある。

本日は、敗北を知らず、敗北を恐れる
武田晴信の無謀な作戦が元で晴信の重要な両腕、板垣と甘利が
討ち死にをする「上田原の戦い」。

甘利を演じる竜雷太、
板垣を演じる千葉真一の演技が光る。

いぶし銀の演技は、武勇だけではなく情の深みを
うまく描き出していた。

また、晴信を演じる歌舞伎役者の市川亀治郎も、
「濃い」信玄を演じている。

武田氏の歴史の基礎資料である「甲陽軍鑑」は、
江戸時代に編纂された創作物であり、実際の武田の
あり方がそうであったのかは不明である。
(山本勘助の実在自体も議論はあるのだが)

しかしながら、たとえそうだとしても、
孫子の兵法をもちいた武田の戦略や、
武将の人間模様というのは、なかなか興味深い。

「人は石垣、人は掘」

勘助を含め、信玄が多くの重要な人物を失う中で、
人の信頼を得て人を動かす力、
そして、大きな物事を成し遂げていく力とは何だったのか。

甲州法度という法律を作り、晴信は、絶対君主だった
自らをもその法の中に置く。
「自分がその法を破るのであれば、その法の裁きに従う」

人間の営みは、その表現方法は変わっていても、
基本的に不変である、と思う。

+++

毎週日曜日が楽しみで、久々にNHKにお金を払っていて
よかったと思う…。

でも、数年前に訪れた武田神社(躑躅ヶ崎館あと)に、

キティちゃんの石像が置いてあったのは…

どうかと思う。


かわいいけど。


 

2007年08月12日

水木しげるの全員玉砕せよ!

今年もまた、この季節が来た。
8月15日の敗戦の日。

NHKの水木しげるの「全員玉砕せよ!」を見た。

見終わったあと、胸が詰まって苦しくなった。

部隊、仲間が不条理な玉砕命令で悲惨に斃れていく。
無駄死にするなと命令違反をさせ81名の兵隊を救った
中隊長の自決。

腕を失いつつ生き残った水木しげるは、
漫画家としての成功を収めつつも、常に”その記憶”を抱き続けてきた。
そして、亡き仲間たちの「亡霊の思い」を背負い続けてきた。

彼はあるとき、彼の体験を漫画にする決意をする。

夜、彼はうなされる。
今まで心の引き出しにしまいこんできた悲惨な戦場の記憶を
搾り出して筆を進める。

そしてあるとき、亡き戦友たちが彼の元をたずねてくる。

「中隊長の自決で、話を終わらせないでくれ」

++++

中隊長の命令違反により、生き残った81人の将兵。

その81名は後方にある作戦本部により、

「玉砕命令が出たのに生き残ることは、日本軍の恥」

であるとされ、自決か、再度の玉砕のための突撃を強いられ、
圧倒的な敵に突入させられる。

そして、玉砕を命じた作戦本部の参謀は、玉砕部隊に参加せず、
見送るだけだった。

水木は、その様子まで漫画に書き続けた。


++++

そういえば、牟田口という将校により発案され、周囲が
「彼の顔を立てる」ためにその作戦を実行させた結果、
結果的に多くの前途ある将兵を死なせて
行った無謀な「インパール作戦」というのがある。

これは権威を振りかざす牟田口が自己の名誉心にかられ、
一方で自己の責任を負わず、現場の将校に責任を押し付けた
作戦でもあった。
このとき、補給が絶たれた絶望的な戦場においてもなお、
作戦本部の命令は「撤退せず絶対死守」であった。

しかし、ある部隊の大隊長は

「自分がいる限り、部下は命令を守らないといけない。
自分が居なくなれば、彼らはこの絶望的な戦場から逃げることができる」

のだと、銃弾が飛び交う戦場に自ら飛び出し、そこに仁王立ちとなり
銃弾を受けて戦死したという。

また、違う部隊では、師団長の独断により撤退し、部下の命を
救った行動があった。
その師団長は、最前線に来て現実を見もしない牟田口を批判したのだが、
逆に精神病院に送られてしまう。

この「不条理な状況」は、現代社会のさまざまな場面でも
思い出されるのは、私だけではあるまい。

++++

沖縄戦下での住民の集団自決が、 軍から強制されたということが教科書から
削除されるという。

自分は学生時代にいくつかの、観光地化されていない集団自決が
行われた沖縄のガマ(自然壕)を訪れ、5cm先も見えないくらいに
暗い闇の中を歩いたことがある。

沖縄戦の生き残りのオバーに、生々しいその戦場での話を聞いたことがある。

戦場で自決して行った住民は自決のとき、自分の愛する家族を手にかけていった。
注射器で、カミソリで、手りゅう弾で。

しかしそれは、
米軍につかまれば女性は辱めのあとに殺され、男性は戦車にひき殺される、
そう信じ込むよう、軍隊から教育を受けていたからだ。

そんな彼らの、

「家族や愛する人を守ろうとする愛情表現」

だった。

そのような状況は、他者からの強要なしに自然に芽生えるものではない。

++++

多くの兵士は、人と人が殺しあう戦場において、「大義」を求めた。
そうでなければ、彼らは命をかけて戦えないからだ。
戦況が悪く死が強要されるほど、彼らは折り合いをつける理由が必要だった。
そしてその多くは、

「家族や愛する人を守るための愛情表現」

だった。

自分の命を失う。
愛するものの命を自ら手にかける。
愛情表現の方法として、これは悲劇・不条理以外の何ものでもない。

人が個として生き、相手と出会い子孫を作り上げていくように、
愛情表現は、相手のために自分の命をはぐくみ、
相手の命をはぐくみ、そしてよりよい何かを作り上げていくことだ。

++++

私は、自分の祖父の出征映像に出会い、それを見た。
20歳で長崎島原の北有馬から満州に出征する祖父。

そういえば、自分が幼いころ、生前の祖父に戦争のことについて聞いたことがある。

祖父の戦場体験を聞く自分に、祖父は決して、
自分がどういう体験をしてきたかを語ることはなかった。

右足の大腿部に貫通銃創の傷跡を背負っていた彼も、
きっと心の奥の厚い扉の向こうに背負うものがあったのだと、
いまさらながらに思う。

++++

水木を取り囲んで、自分たちの思いを伝えようとする亡き
戦友の亡霊たちは、まさしく水木の心の奥の厚い扉の向こうに住む。

彼は勇気を持って扉を開けた。
それは本当に簡単なことではなかったと思う。

そして、あのシーンはきっと、
「事実」を体験し、背負っている人々に共感と勇気を促すものだったの
だろうと思う。

++++

「事実」を背負うものが年老い、失われていく中で
「事実のような嘘」は仮想の世界で人々の心を染めていく。
それがいつしか、
「嘘のための事実」
になっていき、人を殺しあう戦場はゲームのようになっていく。
(しかし、戦争しようと社会を導く人間は、戦場には居ない)

だからこそ、「事実の証言」の価値は重大だ。

残された時間の中で、
何を伝え、何を、どのように受け取っていかねばならないのか。

10年後、30年後、50年後、自分たちの子供や子孫に同じような
戦場に直面させないためにも、過去と将来を紡ぐ「今」の意味が大切だ。


 

 

2007年08月15日

憲法9条 議論の無理

敗戦の日の今日をはさみ、憲法論議についてはずいぶんメディアをにぎわせている。

護憲と改憲という二つに分けられ、それぞれの意見が交わされる。
国会でもしかり。

護憲派は戦争はしてはならないことだから、維持すべきだ。
改憲派は日本が攻められたとき、またはそれが明らかなとき、
軍隊を持って先制を含めしかるべき対応ができるようにするべきだ、

といった議論だ。
自分たちの国のことだから、こういう議論がありうるのは別にいい。

しかし、この議論、腑に落ちない。
大きく、2点において。

 

1.100年後の日本の姿はどうあるべきなのか。

 

ほとんど、語ることはない。

「目指すべき国家としての理念やビジョン」なき議論は、なんと根拠が浅いことか。

憲法そのものの位置づけすら、もしかしたら議論の当事者にとっては
ばらばらだ。


そしてもう一つ。

 

2.現在の憲法の理念に対し、
その実現にどれだけの努力が払われているのか

 

現状の憲法では、戦争の放棄と、軍隊を持たぬことになっており、
国際紛争を武力で解決しないことになっている。
永久に戦争を放棄することが、憲法にうたわれている。

では、その、憲法の実現に、どれだけ具体的に努力しているのだろうか。

少なくとも、それに努力し、努力し尽くした結果としての
改憲への政治的動きなのだろうか。

「日本が攻められたらやられるままでいいのか」

というが、それ以前にどれだけ内政や、ほかの国に対して

「戦争放棄」

の働きかけをしているというのだろう。

「時代にそぐわない」

のであれば、そのつど変えるのが憲法なのか。

逆に、本来あるべき取り組み、「そぐわない時代を変えていく」
取り組みはどのようにされたか。

改憲論の中には、ビジョンとして米国に依存しない、日本の
「自主独立」を語る人も居る。

現状では自主独立できないのか。自主独立の先には何があるのか。

自分には疑問が残る。

+++++

特攻隊員で終戦を迎え、
今は平和のための案内人をしている人がいる。

「昔は、戦争はしてはいけないことだ、という必要はなかった。
しかし、今は、若い人の中には戦争をしてもいいという人が増えているから、
それを言う必要がある」

+++++

どちらにせよ、自分の気持ちとして確実にいえるのは

自分は自分や子孫、大事な友人たちが、そして、どんな人でも
戦場に居るようになってほしくない、ということか。

「そんなの理想論だ」

という人もいるが

「理想なくして何を目指すのか」

と思う。

2007年08月23日

高校野球

久々に、高校野球が楽しい夏だった。

個人的には、優待するなど県外からも優秀な生徒を集めたり
する風潮がヒートアップしてきたことから、高校野球には
幾分さめていたのだが、それでも今回は楽しかった。

今回の大会は、佐賀北高校のための大会といっても過言じゃない。

延長15回の引き分け再試合。
帝京高校戦でのサヨナラゲーム。

そして、劇的な満塁ホームランでの優勝。

+++

しかし、最後に残念なことがあった。

それは、決勝戦の相手高校監督による、

「押し出しの場面のボール判定は誤審だ」

という怒りの声が公に発せられたことだ。

一生懸命、球児とともに汗を流してきた日々は、
さぞかし重みのあるものだろう。
日本の高校の頂点が目の前で手のひらから
すり抜けていったその気持ちは察するにあまりある。

しかし、怒りに任せて

「誤審だ、あれは本当は得点じゃない」

などと公にぶちまけるのでは

同じように懸命にプレーして真紅の旗を勝ち取った
佐賀北高校の球児たちがあまりにもかわいそうだ。

それに、敗退した球児たちに

「あの誤審がなければ」

などというその場に立ち止まり、乗り越えることを阻害させるような思いを
残してしまう危険がある。

+++

たしかに、その投球自体は、どちらの判定でもおかしくないきわどい球だ。
しかし、審判の判定は

「ボール」

だった。

でも、野球というルールではこれが事実だ。

その誤審を乗り越えてでも勝つのも、一つの実力だというのは、
きっと、だれよりも彼らがわかっていることではないのか。

+++

もし、これが誤審だと講義するなら、今後の高校野球のためだと
思うなら、怒りに任せてぶちまけるようなことは大人としてふさわしくない。
それで試合結果が変わるわけでもないのだ。

ただ、双方に後味の悪さが残るだけだろう。

後日、書類を提出するとか、高野連を訪れて申し入れを行うとか
そういう方法は考えられなかったのだろうか。

そして、その一方で、努力の末に負けてしまった球児たちに

「社会に出れば、このような場面はまたその人生に立ちはだかる。
そのときに、決して腐ってはいけない。
それを乗り越え、またステップアップしていくことに踏み出すのだ」

と教えることはできないのだろうか。

本当に、良い大会だっただけに、残念なことだった。

+++

でも、押し出し判定と、ホームランを打たれた野村投手の
さわやかな言葉に救われた気がする。

「悔いはない。審判が正しいから仕方ない」

彼の瞳の奥にははきっと、悔しさや色々な感情の中に、
未来が映っているのだろう。

(若さって、すばらしい!)

これからの高校野球も、楽しみだ。

 

 

 


2007年11月15日

キティーちゃんが…

ソフトバンクのCMは、エアロスミスの「walk this way」という曲を
BGMに使っている。
エアロスミスは個人的に好きだし、なかなかノリの良い曲だ。

しかし、この曲のあのサビの部分をCMに使うには、どうかと思う。

まあ、言ってしまえば卑猥なのだ。

曰く

”学校で男の子とシーソーに乗って激しく揺れたら、
大股開いた君の真ん中の「仔猫ちゃん」が丸見えさ。”

といった歌詞が、流れているのだ。

そういうわけで、イメージだけでこういう部分をCMとかに使う、
なんというか、作り手の薄っぺらさがわかってしまうようなどうしようもない
CMで、自分はソフトバンクがホトホト嫌になったわけだ。

ところで、最近、サンリオがソフトバンクと連携したらしい。

日本人永遠のマスコット、キティーちゃんが携帯で話しながら歩く
CMが流れている。

BGMはもちろん、あの曲だ。

実は、

”学校で男の子とシーソーに乗って激しく揺れたら、
大股開いた君の真ん中の「仔猫ちゃん」が丸見えさ。”

の歌詞の部分では「仔猫ちゃん」は”kitty”と書かれている。
それとキティーちゃんがかかっているのだろう。

でも、ご覧の通り、歌詞の中のキティーとは、
女性の陰毛を比喩しているいわばスラングだ。

サンリオ、お前もか、と思う。

かくして、白くてかわいいリボンなんぞしたキティーちゃんが、
陰毛をあらわすスラングと掛けて使われたわけであり、
なんか、自分の中では

酷くがっかり

なわけである。いやはや。

サンリオさんはそれでよいわけ?

 


 

上記の事柄から言えることは、宣伝や販促をするにしても、
素材の集め方や、素材の持つ意味合いには十分注意すべきで、
イメージだけで軽々しくつかうと、企業イメージだけでなく、それまで
積み上げてきたものにまで傷をつけてしまう、ということだ。

今回の逆パターンで、仮に、表面だってそれが判らなくても、
よく意味を考えたときに

「ああ、こういうことを言っているのか」

と感じさせられれば、むしろ、その作り手や企業に対しての
好感も上がるだろう。

でも、「視聴者はそんなに深く考えないだろう」
なんてイメージだけで「上っ面」だけのことをやれば、
呆れられてもしまうというもんだ。

プロモーションを行うときは、細かいことの意味までこだわりたいものだ。

 

2007年12月19日

だまされない消費者になる。退去時のこと。

いきなりですが、転居をしました。
同じ川崎市内で、旧居から徒歩10分くらい。

多摩丘陵の丘の上のテラスハウスで、
富士山が眺められる気持ちの良い家です。
「新築・ペット可」だったので、床にコルクマットを
全面にしいたり、柱にカバーを掛けるなど、
まさに一月がかりの転居でした。

+++

昨日、旧居のマンションの管理会社の原状回復査定
(部屋の損耗状況をチェックし、原状回復が必要な
場所を洗い出す作業)
に立ちあいました。

事前に、
物件の契約書をよく確認し、国土交通省の出す
「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン(改訂版)」(900円)
を購入し、
「消費者契約法」
を確認しておきました。

ちなみに、以下に書くことは色々と調べて、勉強した内容を元に
自分が解釈している考え方ですので、必ずしも正しくないことも
あるかもしれませんのであしからず。

+++

管理会社の人が来て、部屋の隅々までチェックしていきます。
前日に、家内と二人かかりで室内だけでなくベランダなど隅々まで
洗剤や重曹などを用いて掃除しておきました。

+++

管理会社の人も手馴れたもの、隅々までチェックしていきます。
ネコが爪をかけてしまったクロスの部分はもちろん取替え。
「え、こんなのまで?」という小さなしみも、クロス取替え。
(通常生活上のしみだと思うんだけどなあ)
たたみは1枚だけ、サビによるしみがついたので補修が必要に。
台所は油汚れのクロスは「自然損耗」という確認をして大屋さん負担。

結局、二部屋のクロス・ふすまをほぼ全換え、となったわけです。

で、

「クロスとかは、償却をした額での負担になるんですよね?
(償却期間6年 居住は2.5年だから、6割ぐらい?)

と聞いたら、管理会社の方はむっとして

「それは後でちゃんと見ないと判りませんっ!」

+++

それで終わりか、と思ったら、最後、管理会社の方がさらり。
「あとは、クリーニングが入りますので」

自分「そうなんですか。それはだれの負担ですか」
管理「賃借人(つまり自分)の負担です」
自分「え、そうなんですか」
管理「ええ、皆さんそうしています。普通はそうです」
自分「何のためのクリーニングなのですか」
管理「お宅だって、ここ入居するとき、きれいだったでしょ?
   きれいだったから、ここを選んだのでしょ」
自分「それは、次の入居者のためのクリーニングですか?」

管理「そうです」

いや、驚いた。

自分「次の入居者獲得のためのクリーニングは、 大屋さんの投資ですよね、
   それを、なぜこちらが負担せねばならないのですか」
管理「じゃあ、部屋中隅々までそこまできれいにして出て行ってくれればいいですよ」
自分「部屋は日常的な通常の清掃はしています、それ以上の義務はありますか?
   実際、部屋は汚くないですよね」

※「原状回復」とは、入居時の状況そのもののことではなく、
そこから通常生活および自然的な損耗を差し引いた状態。

管理「でも、お宅が入るときもクリーニングが入っていたでしょ。
   汚かったらこの物件を選ばなかったでしょ!」
自分「そんなのこっちは知ったこっちゃありません!大家さんが
僕という客を獲得するためにやられたことでしょ!」

話にならないので、ここでカバンから

「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン(改訂版)」

を取り出して該当ページを先方に提示した。
そこには、

「全体のハウスクリーニング(専門業者による)
賃借人が通常の清掃を実施している場合は次の入居者を
確保するためのものであり、賃貸人負担とすることが妥当と
考えられる」

と書いてあるので、それを見せながら読み上げたら、ちょっと
判ってもらえたようだ。

管理「でも、これ(ガイドライン)は絶対ってわけじゃないですよ」
自分「そうですね。ガイドラインに反したこともできますね」
※基本的に、ガイドラインと違うような特約が契約書に記載されていて、
お互いがきちんと共通認識を持っていた場合は、
ガイドラインではなくその特約が優先となる。

管理「契約時に押していただいた判は何なんでしょうね」

自分「契約書、今、もっていたっけな」
管理「持っています」

しかし彼女はなぜか、カバンに手を伸ばしかけて、急にやめた。

※契約書にハウスクリーニングの条項はたしかに「特約」という形で載っている。
それにはこうある。
「清掃が不充分な際のハウスクリーニングの費用は賃借人の負担とする」

ただし、先ほどのガイドラインの通り、賃借人に基本的に求められているのは
「通常の清掃」であって、特約で具体的に指定されていない限りはそれ以上を
負う義務はないように考えている。
ペットを飼っているが、それに対して「必ずハウスクリーニングを、どの程度する」
といった特約は書かれていないのだ。(別紙のペット飼育許諾に関する取り決め書にもない)
そして何よりも、契約時に「清掃が不充分な際」の具体的内容については
説明を受けた覚えがなく、つまるところ「不充分な清掃」の定義がない。
しかるに、「無条件にハウスクリーニングを費用負担」という特約は成立しないと
考えている。
契約上で賃貸人は、賃借人に対して十分に説明をし、誤解ない様にしておく
必要があるのだ。

+++

不動産賃貸契約においては、概して賃借人が不利だ。
よく、
「契約時にしっかりと内容を見て、不当な文章は削除してもらう」
といったことが言われるが、魅力的な物件ほど
「そんなこというなら貸さないよ」
と言うリスクも大きくなるだろう。
そもそも、この売り手が買い手を集めるために色々とお金や知恵を出す時代に、
いまだに「礼金」とか言うのをとっているようなレベルなのだ。
逆に
「今ならひと月、家賃無料キャンペーン」
とかあってもよさそうなものを。

その上さらに、退去に当たって賃借人の無知に付け込んだような
不当な要求が普通にされてくる。
賃借人は得てして、住んでいるうちに自然についた損耗や汚損、あるいは
少々の過失的な傷が思い当たるから、敷金が返還されないのも仕方ない、
等と考えてしまう。
本当は、敷金が返還されるのが当たり前なケースだって多いのだ。

・月々の家賃には、小損耗への修繕費が含まれており、退去時にそれら
小さな損耗に対する費用負担はする必要がないこと。
・「現状の回復」というのは、入居時と同じピカピカの状態ではなく、
その状態から自然損耗と、通常生活上の損耗を差し引いた状態にすることであること。
・次の入居者を獲得するためのハウスクリーニングやリフォームは、
賃借人の使用状況が悪かった、清掃をしていなかった、などの事情がない限りは
大家による「顧客獲得」の投資であり、賃借人がなんら負担することがないこと。
・費用負担をするにも、基本的には襖や障子などを除き、クロスなど償却期間が
規定されているものについては、その償却額を考慮した負担額となること。
(例えば、クロスであれば、償却期間は6年、残存価値10%なので、「全額負担」
といわれた場合も、その10%分払えばよい)

などなど、それらをしっかりと説明している大家さんや
不動産会社はどれくらいあるだろうか。
そんなにないだろう。

だから、消費者も勉強をしっかりせねばならない。
それらを知っている、知っていないでは大違いなのだ。

そしてもう一つ。
事業者は、 相手の無知や良心に付け込むような不誠実はやめるべきだ。
確かに「短期間で退去されては、リフォームのコストと実入りの割が合わない」
という大家などもいるだろう。
しかし、短期間で退去されるのにも理由があるし、第一、それは
大家側での都合でしかない。どのような経営努力をしているのか、というのも
重要なポイントになってくる。

これから人口減少の時代にあって、不誠実が招く不振と評判が
だんだんとボディーブローとして効いてくるに違いない。
ダメージが蓄積されたときに気づいても、もはや手遅れなのかもしれない。

+++

いずれにせよ、管理会社からどのような見積もりが上がってくるか、注目したい。
ここで、不当な額による請求も十分考えられるからだ。
今後の想定されるケースに対しても、対応策は用意している。
ちゃんと納得できるような形にして、この件は終わらせたいと思う。

 

だまされない消費者になる 朝日新聞勧誘員がやってきた

引っ越して、すぐ、やはりやってきた。
新聞の勧誘員。
別に、勧誘員が来るのが悪いとは思っていないのだが、
色々なケースを知っているだけに、一定の緊張感がある。

で、やってきたのが朝日新聞の勧誘員。
日本語が達者な外国人の人だった。

日曜日の18時くらい、まだたまっている荷物を片付けている
真っ最中だった。

あらかじめ書いておくと、 特段自分は朝日新聞が嫌いなわけじゃなかった。

+++

ピンポーン。と呼び鈴が鳴る。

自分「どちらさまですか」
勧誘員「近所のものです。引っ越しのごあいさつに来ました」
自分「はい、どなたさまですか」
勧誘員「近所のものです」
自分「ええ、どちらさまですか」
勧誘員「引っ越しのごあいさつに伺いました」

自分「だからどちら様な・ん・で・す・か!(怒)」

勧誘員「坂の下の朝日新聞と日経新聞を配っているところです」

ほ~ら、やっぱり勧誘じゃんか。

自分「自分は以前、読売に関係していたので、読売にしますから」

すると

勧誘員「読売もウチで配ってます」

「んなわけあるか、コノヤロウ」
と思って、思わずドアを開けてしまった。
しまった、術中にハマった。
まずはドアを開けさせるために、どんなことでも言うのだ。

すぐさま、勧誘員は

「日経にいらっしゃったんですか」

と言った。
これは、自分が
「読売もウチで配っている」
と嘘をついたことを帳消しにするために、

「読売と日経を聞き間違えた」

という虚偽の事実を作るための芝居だろう。

そして

勧誘員「お引っ越しおめでとうございます

といって、ドアの隙間に体を押し込んでくる。

これも、勧誘員の手法だ。
かんたんにドアを閉めさせないために、足をドアのすき間に差し込んだり、
体を入れてくるのだ。

勧誘員は、朝日新聞のロゴを親指で隠しながら、名刺を渡してくる。
とりあえず、証拠品として回収。

自分「今、取り込んでいるから帰ってください」
勧誘員「そんなことを言わずに、朝日新聞、いかがですか、まずは短期間で
いいから」
自分「だから読売にするんです」
勧誘員「読売新聞には学生時代に関係していたんですか?」

なんだよ、ちゃんと読売と関係があったってことを認識してるじゃないか
(さっきの「日経にいらっしゃったんですか」を嘘と認めてるじゃん)

自分「いま、忙しいんです」
勧誘員「今、キャンペーンやっていて、しばらく無料で入れさせていただくので、
    精一杯がんばりますから」
まずは特典をエサに探ってきたようだ。
勧誘員はこちらの都合を無視して何とか自分のペースに持っていこうとしている。

自分「いえ、いりません。」
勧誘員「お願いしますよ」

自分「これ以上いたら、不法侵入になります。お帰りはあちらです」

勧誘員「そんなこといわずに。読売新聞は今もお勤めですか」

目先を変えるつもりらしい。

自分「不法侵入で電話しますよ」
(後ろを向いて電話機を取りにいく)
※本気で電話する気だった

勧誘員「そんな、電話するとか言わないでください。まずはお試しで無料で
     入れさせてください、お願いします」

自分「帰ってください」

勧誘員「そんな、こちらも色々と…」

泣き落とし系を試し始めたようだ。

自分「大変ですね。名刺はもらっときますから帰ってください。」

勧誘員「ダメですか?おねがいしま…」

日本人は概して”押し”に弱い。だから、しつこく押してくるのだ。

自分「帰ってください(怒)」 
(といって体を外に押し出す)

※実際、こっちは連日の引っ越し作業でえらく疲れている上に忙しいのだ。

勧誘員「お願いしますよ。また来ます」

+++

断言できます。

この新聞は、まず購読しないでしょう。

おそらく、一生。

たった10分で、見事に生涯顧客を失ったわけです。

☆損害額の試算☆

月々、朝刊のみで3600円とする。

私があと40年生きるとする。

40年×12ヶ月×3600円=1,728,000円

+クチコミ。

+++

後日、私がいないときに来たときのことを考え、
家内には

・ドアを絶対開けないこと
・相手が例え「ご主人に良いといわれた」「お渡ししたいものがある」
といっても、自分は何も許可してないし、絶対あけないこと

を伝えておいた。

+++

やっぱり、売り手と買い手の信義関係だと思うんですよ。
売ることばかり考えず、信義関係をいかに作れるか。
相手に合わせて、そのためにすべき姿勢と、提案はいかなるものか。

営業は、やっぱりそこが一番大事だと思います。

 

2008年01月28日

引っ越しの件

引っ越しの敷金が返って来た。

見積もりが出てきたのは、契約書上で敷金返還の振込み期限の
直前、二日前、しかも自分が請求してだった。

返還額は2/3くらいだろうか。

本来、貸主が全額負担すべきハウスクリーニングは
「折半」となっていた。

まったく持って意味が判らない。1割ぐらいなら、
網戸を洗い損ねたからわかるが。
管理会社に不服項目について内容証明を送ろうかとも思ったが、
今はそれにかける時間と労力がもったいない。
それでやり取りを終えることに。

東京都には、敷金返還に関するガイドラインが条例化されているが、
法律としてしっかりと規定し、消費者の権利を確立してほしい。

パソコンが変わった

4年前に買った富士通のデスクトップが、
あまりにスペックが低すぎて起動にも時間がかかる。
しかも、ワードが起動しないし、仕事に支障でまくりだ。

ちょうど、実家の古いデスクトップが調子悪い、
ということなので、それを譲ることにした。

で、自分はというと、メーカーのパソコンにはすっかり
信用をなくしたので、ドスパラのBTOで自作することにした。

5年使えるPCを目指すことに。

で、

Core2Duo 3GHZ
GeForce8800GTX
ハードディスク 500GB×1 320GB×4
メモリ、4GB
電源650W
という、現状の仕事では十分に動画編集などもできる
スペックにした。

OSはVISTAの32ビット。
500GBのHDDにはXPをインストールしようか、検討中。

そして、
Rocketraid1740というRaidコントローラカードを購入、
320GB×4のハードディスクで、ミラーリング(同じ情報を二つの
ハードディスクに記録し、安全性を高める)とストライピング
(二つのハードディスクに同時に書き込むことで処理速度を上げる)
ができるRAID10を組んだ。
カードのBAIOSのバージョンをあげたり、なんだりとどえらい苦労した。

そのほか、READTEKのビデオキャプチャボードをつけた。
アンチウィルスソフトは、NOD32。

ついでに、古くなって斜めに文字が印刷されるプリンタは、
エプソンのワイヤレスLANが使えるやつにした。

で、つかってみると、なるほど、早い。
さくさくと動いてくれる。仕事の文書もすいすい作業できる。
これまでのPCでは一番低い品質で、それでもまともに動かなかった
映像が、最高スペックでスイスイ動いている。

かなり高い買い物であったけど、まあ、やった甲斐があるというものか。
その分、稼がねば…。


 

2008年02月18日

横浜そごうの飲食街

誕生日に、家内がプレゼントの買い物と食事に誘ってくれた。

食事は横浜そごうの上の飲食フロアへ。

ここがなかなか良くできている。

080215-182855
ちなみに、通路沿いはオープンカフェになっていて、
通路を挟んで水流がある。

080215-182915
植栽も豊か。

080215-203446
コケの山も、本物のコケ。
コケ好きの自分にはたまらない。
 

080215-203623
フロアにはコンシェルジェ(案内人)がいる。

080215-203639
白い石造りの通路も、南欧を思わせて面白い。

で、食事はもちろん。。。

080215-191057
夜景の見えるレストランにて。
休日前の平日18時半ぐらいに入ったのだが、
この時間ではまだ客はまばら。
まどからは、みなとみらいの夜景が広がっていた。

080215-191024
何気ない日常の延長上の非日常に乾杯。

2008年02月21日

VISTAには注意が必要です

先日、パソコンを新調した記事を書きました。
新調して快適、快適、と思っていたら…
それに関して不調で困っていることに直面しました。

それについては調べたところ、現状ではいかんともしがたい
WindowsVISTAの仕様というか、欠陥ということがわかったので、
メモ代わりに書いておきます。

おそらく、パソコンで普通に作業したりゲームをする方には
あまり関係がなく、Geforce系の高性能グラフィックボードを
使って作業やゲームをする方に関係することになるだろうと思います。

 

【事象】

自分のPCは、OSはVISTAのUltimate、
グラフィックボードはハイエンド仕様の
Geforce8800GTXというものを使っています。

この、ハイエンド仕様のグラフィックボードの性能が発揮されるような
負荷のかかる作業、あるいはゲームをしたとき、それは発生します。

それとは、、、

 

画面が落ちる


さらに、作業中のデータがぶっ飛んでしまう、

という事象なのです。

え、マルチメディアを標ぼうしているVISTAが!?

そして、ディスプレイ自体はまた回復し、、、

エラーメッセージ

というメッセージが出るわけです。

ネット上で検索してみると、これで困っている人が
わんさかいることがわかったのです。

「nvlddmkm vista」 のGoogle検索結果

 

 

【原因】

原因は、一言でいえばVISTAの仕様として、そうなっている、
ということです。

詳しくはこちら。

 

【解決策】

現状での解決策は、

マイクロソフトのHotfixの適用

「Hotfixを推奨するNVIDIAのページ」

Geforce系グラフィックボードのドライバの更新などが
あるのですが、これは根本的な解決でないようです。

 

ちなみに自分はマイクロソフトのHOTFIXを適用しても、
NVIDIAのサイトでグラフィックボードのドライバを
最新のものにしても、現状では対処できませんでした(2008/2/21現在)

結果的にOSをVISTAのほかに

XPをデュアルブート

することにしました。

つまり、PCを起動したときに、VISTAかXPの
どちらを起動するかを選択できるようにした、ということです。

RAID1+0の4つのハードディスクのほかに、こんなときのためにと
パーテーションで区切った500GBのハードディスクをもうひとつ
接続しているので、こやつにXPをインストールします。

そしてグラフィックで負荷がかかる作業は、XPを起動しておこなう
ことになります。

 

しかし、これではPCをなぜ新調したか、
なぜ高性能のグラフィックボードを導入したのか、
なんだかやるせなくなります…。

Geforce系で、その性能をいかんなく使って作業したい方は

VISTA導入は待つが吉。

と思います。。。

もっとも、サービスパック1がリリースされたときに
この仕様が変更されるかは神のみぞ知る、ですが。

 

 

 

2008年03月27日

車検での出来事

普段から仕事に多用している自動車を2回目の車検に出してきた。
ロードスターNB型は専用バッテリーを積載しているので、
バッテリー交換に3万円もかかってしまった…。

バッテリーが専用なのは車両の前後重量配分を限りなく
50:50に近づけるために適正な重量とするためなのだ。
その重量配分による取り回しのよさが、この車の魅力でも
あるのだが。

余談はさておき、車を受け取ってから、すこぶる調子がよい
愛車に乗って帰宅するときのこと、一つだけ問題が発生し、
その後、整備を依頼したマツダのディーラーとやり取りすることに。
そのことをメモ代わりに載せます。

+++
なじみのディーラーの人ではなく、他の担当者と引き渡して続きを済ませ
車両を受け取り、ディーラーを出た。

しばらく走ってから、ステアリング右につけてあるドリンクホルダーから
いつも昼夜着用している薄い茶色のサングラスを取り出し、
着用することに…。

しかし、着用できない!!

それでも無理に着用したらすごい違和感だ。

まず、サングラスがすごく開いていて、自分の耳にかからない。
そしてもう一つ。
片目が茶色で、片目がいつもの風景だ。

なんと、レンズがない。

壊れている…。車を預けるときも着用していて、問題はなかったのだが。

ロードスターは車体が低いのと、最近HIDなど、街中で過剰なほどに
明るいライトをつけている車が多いのでサングラスは必須だから、
これは弱った。

まあ、このサングラスも古い。決して丁寧に扱っていたわけでもないし、
ブランド品でもない、4年ほど前に1万円弱で購入したものだから、
むしろ新しいものを買う機会ができた、とでも考えることはできる。

しかし!

車両引渡しの手続きのときに、何も報告受けてないんですけど…。

これが一番、腑に落ちなかった。

それって、信義に反しませんか?

+++

帰宅してから、なじみのディーラーの人(というか、今は店長さんですが)に
電話を入れる。
彼は、自分にとってロードスターの師匠の一人みたいな人だ。
購入するときの話し合いのときなどは、何時間もかかるので一緒に
飯を食べまでした。
自分が
「AT(オートマ)のロードスターがいい」
といったとき、即座に彼は言い放った。
「大海さんがATのロードスターに乗るのなら、私は大海さんにロードスターは売りません!!」
私は目を丸くする。
「それほど、ロードスターはMT(マニュアル)で乗るのが楽しい車なんです!!」
私は素直に彼の言に従った。そして現在は、つくづくMTでよかった、
などと思っているのだ。
彼自身もロードスターに乗っているし、ロードスターに乗る人の
車への「愛着」について、よく判ってくれる。

今回も整備についていろいろと相談に乗ってくれたので、一通りお礼を言う。

「でも、一つだけ、腑に落ちないことがあり、いわないといけません」

「どうしましたか?」

「サングラスが思い切り壊れてました」

かくかくしかじかと状況を説明。

「でも、サングラスについてはもう古いし、
買い換える機会ができたと思って別に”どうしてほしい”ということはないんです」

そして

「ただ、なぜそれを引渡しのときにちゃんと伝えてくれなかったのか、
それが腑に落ちません。これって、信義関係ですよ!」

といつも営業店で彼と話をするときと同じように普通に会話する。

「本当に申し訳ありません、すぐに担当者などが把握していたのか、
壊したことがあったのかなど調べます」

そして店長さんは続けた。

「でも、本当にそれを言っていただいてありがとうございます。
それをいっていただかなければ、気づかず、また同じ間違いをして、
ご来店いただくお客様にご迷惑をかけてしまったかもしれません」

私はこの店長さんのこのようなところが好きだ。
(だから、この店長さんからは過去に2台の車を買ったし、友人にも紹介した。
しかも、本来営業スタッフの一員だった別の店舗から移ってきたときに、
自分も担当店舗をかえてもらったほどだ)

+++

企業や店舗のマーケティングで、

「クレームへの対応に対する不満から去っていく客」

以上に、一番怖いことの一つに

「黙って去っていく客」

がある。

これは、クレーム事由が発生したときに、それを店舗に伝えることなく、
その代わり、二度とその店舗に来ない客だ。
店舗としては、そのようなクレームの事由が発生していたことすら気づく
ことができず、結果的に、問題を発生させたことを将来的にも
続けてしまい、それだけ評価を下げていく危険性を持ち続ける。

さらにこれは、店舗側が信頼回復のチャンスをまったくもてないだけでなく、
その客を通した口コミが発生するときは、必然的に悪い体験が伝え
られることになり、「影のダメージ」が発生する。

+++

今回の件も、私にとって見れば、
「もうサングラスを買い換えるし別にいいや」
ということだってできたのであるが、
これまでの彼(店長さん)との付き合いを考えれば
それは気が進まないことだった。だから電話したのだが、
彼は店舗としてのサービスのあり方だけでなく、
ちゃんとその気持ちも汲み取ったのだろう。

+++

電話を切って、5分ほどしてすぐに彼から電話がかかってきた。

先ほどの電話からすぐに、スタッフに確認をし、注意したのだという。
さらに、明日の朝礼でもまた今一度話をして、徹底する、と言った。

「わざわざありがとうございます。また、よろしくお願いします」

と言って、電話を切った。

+++

ちなみに、クレーム事由が発生したとき、
ちゃんと対応を怠ることがなければその客はむしろ、
信用をしてくれるようになる。
クレームは店舗や企業にとっては、一つの機会でもある。

2008年04月12日

花一輪

私が事務所を構えている住宅街を歩いていたある日の午後。
ふと気づくと、歩道のコンクリートのわずかな隙間から、一輪の花が
咲いていた。小さな花だった。

RIMG0022

たった一輪、風に揺られる花を見つめて(怪しいおじさんだ)
ふとある詩を思い出した。

+++

「花語らず」 禅心禅話 柴山 全慶

花は黙って咲き 黙って散って行く
そうして再び枝には帰らない
けれども その一時一処に 
この世のすべてを託している
一輪の花の声であり
一枝の花の真である
永遠にほろびぬ生命のよろこびが 
悔いなくそこに輝いている

+++

忘れもしない、中学校三年生のときの修学旅行。
京都・南禅寺を訪れた僕は、その雰囲気や、琵琶湖から水を
運ぶ石造りの疎水橋の美しさに心を打たれたものだった。

そして、三門に入場するチケットには、「花語らず」が
書かれていた。
思春期真っ盛りの僕には、すごく心を打つ衝撃的な言葉だった。

”一時一処にこの世のすべてを託している…”

小さな一輪の花が、
そこに咲いているということは、どういうことなのか?

+++

その後、大学でアイヌのことを学んだときの金田一京助の言葉も
この「花語らず」に通じるものがある気がする。

「ものも云はず なにも語らず 石はただ全身を持って己を語る」 

+++

虚飾や、目先の快楽がもてはやされる現代。
しかし、どんなきらびやかな取り繕いも、

小さく可憐な花が、そこに咲いている、そのエネルギー。
川の流れに角を取られた石が、いま、そこに存在し、表現しているすべて。

これらの表現する世界と使命、それに気づく価値、 そこから得られる共感には
到底かなうものではない。

RIMG0031(川崎の等覚院にて)

何かにすべてをささげること。
生命の喜び。悔い無き輝き。

ただし、そのような物事の見方、切り口というのは、生まれつき
備わっているものではない。
だからこそ、「教育」とともに「経験する」ことが重要なのだろう。

+++

僕は人材育成の仕事も携わっているが、小手先ではなく、
真の喜びを見つける、表現できる、共有できるような取り組みをしていきたい。
自分の生きる生命の喜び、悔い無き輝きを追い求めていこう。

 

 

2008年05月01日

因果応報

自分は1996年からインターネットを使用し始め、98年にはすでにホームページを持っていた。

これだけ長くインターネットをやっていれば、いろいろなことがあるもんだ。

いろいろな人と出会い、そして、去っていったり、去られたり。

インターネット上で、もう何年も友人のように会話をするけど、
実際はまだあったことがない人もいる。でも、親しみを感じている。

毎年恒例で行っているロングツーリング仲間も、インターネット上での
出会いがきっかけだ。

自分の家内も、自分のホームページを見てメールをくれた一人だ。

しかし、反面、たまにいやな思いもする。

匿名をいいことに、嫌がらせをするやからがいる。

まあ、基本的に相手にしても、何の価値もないと思うので気にしないように
しているのだけど。


とはいえ、インターネット普及期から、現在を比べると、明らかに
粗暴な人間が増えた気がする。
誇大自己(そんな能力や資質がないのに自分がすごい、優秀だと思うこと)
を振りかざし、相手を見下した態度をとることで、自分の存在価値を
感じようとする。でも、自分の本名なんかはこれっぽっちも出さない。
これは一種のコミュニケーション応力の欠如だ。

いやな思いをするたびに、なんだか怒りも感じず、
むしろ不憫さを感じてしまうのである。


+++

インターネットはすばらしいツールだ。
しかし、使い方を間違えれば、すばらしいツールを規制するルールが
作られるようになる。
それが続けば、そのツールの価値が失われていき、
やがては自分たちの生活に享受できたはずの豊かさも制限されていく。
子孫の社会に危機をもたらす。

自由という権利は無償ではない。
義務と道徳を果たしてこそ、守り続けられるものである。

豊かさを守り続けられるかどうかは、結局のところ、
個人個人の志と、コミュニケーションの質にあると思う今日この頃である。

2008年06月09日

道標

私が独立して一年目のころ。

まだ、端にも棒にもかからないような駆け出し診断士は、
ろくに仕事もなく、あせる気持ちの中で日々暮らしていた。

4月、5月、6月…。ほとんど、お金になる仕事がない。

せいてみても仕方がないのだと判りつつも、
夜中に目が覚めてしまう毎日。

9月ごろだろうか。
あるきっかけで、とある仕事に携わることができることになった。

市販のパソコンのソフトをカスタマイズして、ある演習に使いたいから、
その教材開発に力を貸してくれ、という。
若くて、PCやソフトに明るい人材を求めていたのだという。

もちろん、私は少しは自分の経験(勤めていたころはコンピュータ
関係の仕事をしていた)で貢献できるだけでなく、
とてもよいチャンスだと思い、

「ぜひやらせてください」

とお願いした。

+++

相手先の担当の方(Tさん)は、40代の男性。
初めて一緒にお仕事をさせていただく方だった。

物腰が穏やかで、”ぽっと出”の私にも、
”ちゃんと”接してくれる嫌味や高慢さのない謙虚な人だった。

初回の打ち合わせのとき、Tさんは自分で作った
企画書などを私に提示してくれたのだが、それは
とてもよく作られたもので、やらんとしていることは
すぐに把握できた。
関連資料も充実しており、手間をかけたことがよく判った。

その後も、教材の検討会の前にはたいてい、
私のところにメールをくれて、

「このような文書を作りたくて取り組んでみているけど、
思うようにいかない。アドバイスをください」

と聞いてくれる。

「このような形にしてはいかがでしょう?」

私は、送ってくれたデータにアイデアと手を加えて返信する。

またあるときは、制作業者の人との打ち合わせで、
専門的な話の部分を私がフォローして、彼の意図している
ものに近づける手伝いをする。

駆け出しの診断士だった私はそういったやり取りがとてもうれしかった。

自分がもてあます時間を作業で充実させられるからではない。
そうやって頼っていただけることが、自分自身が人の役に立つことで
自分の存在する価値を認識できるような気がして、
とてもうれしかったのだ。

そうやって出した私の提案を、Tさんは喜んでくれたし、
時にはお互いにさらにそれを良くしていったものだ。

+++

Tさんは、とてもまじめで責任感が強い方だ。

彼からの問い合わせのメールは、驚くべき時間に届く。

23時過ぎとか、休日のはずの土曜日の夜とか。

「あれだけ充実した書類をつくるのは、やっぱり時間がかかっているのか」

と思いつつ、

「いつも、遅くまで大変ですね、お体に気をつけてください」

なんとなく、支援し切れていない自分を恥ずかしく思いつつ、メールを返信する。
時には電話をしてお話をする。

すると、たいてい彼は、

「そうなんですよ、本当にしょうがないですね」

というようにはにかんだ感じで

「伊藤先生も風邪ひかないでください」

などと気遣ってくれるのだ。

+++

そんなやり取りを経て、3ヶ月ほどして教材は完成した。
別件でそのオフィスを訪れたとき、Tさんは私を見つけて
わざわざお礼を言いに来てくれるなど、本当に気立てのよい
男性だった。

そして私は、その教材開発に携わった経緯もあり、
その教材に関連する仕事を年に何度か、携わるようになった。
今でもそれは続いている。

+++

しばらくたったころだった。

「今度、異動することになりまして」

オフィスをたまたま訪れていた私に、彼はわざわざ
挨拶をしに来てくれた。

「お世話になり、ありがとうございました」

駆け出しの自分にいろいろな意味で、学ばせてくれ、
勇気を与えてくれたTさんに、私もお礼を言った。

「新しいところでも、体にお気をつけください」

+++

それからTさんとは2、3年会うことはなかったのだが、
年賀状のやり取りはしていた。

いつも決まって、家族で写っている彼の家族愛を感じさせる
年賀状が送られてきた。

そして、昨年ぐらいだろうか。
また移動して部署をうつったTさんと、月に数日、その近隣の部署の
仕事をしている私はオフィスですれ違うようになった。

「ご無沙汰しています」
とわたしがいうと
「戻ってきました、またよろしくお願いします」
と彼も相変わらず丁寧に返してくれた。

もともと物静かな感じではあったが、さらにちょっと、落ち着いた
感じだった。

そして、たまに私が帰るのが遅くなったときでも、
相変わらず彼は残って仕事をしていた。

+++

そのTさんは、
数日前、亡くなった。

50歳の手前。これから、という年頃。

ここ数年、大病を患っていたのだという。
入院したときにはどうも、手の施しようがなかったようだ。
最後は、退院して自宅に戻られていた。

+++

「あんなにいつも、遅くまで働いていなければ…」

彼がもうちょっと、無責任だったら。

「周りの人を悲しませるなんて」

彼がもうちょっと、周りの心配を聞き入れてくれていたら。


いろいろと思うことはあるし、「どうして?」と彼を責めたい気にもなる。


でも、夜遅く、私にメールを打ってくれていたやさしいTさん。
駆け出しの私にも、尊重をもって接してくれたTさん。
一つ一つの作業を丁寧に進めることに責任感を持っていたTさん。
そしておそらく、いつもご家族のことを考えていたであろうTさん。

彼のことを思い浮かべると、
「あの仕事があって今の私があります」という感謝の気持ちと、
こうなることならそれを伝えたかった思いと、
丁寧に仕事をする「彼らしい彼」にまた会いたい気持ちばかりが募ってくる。

+++

正直いえば、まだいろいろと頭の中が整理できずに、
この文章をどう締めくくっていいかが判らない。

人が生涯で心と記憶の中に、その顔や声までしっかりと思い浮かべられる
人間が何人かいるのだとしたら、自分にとって彼はその一人だろうと思う。

きっと、そうやって自分の記憶に残って、いつも支えてくれたり、
道標として方向を照らしてくれるような人が一人でもいることは、
幸せなことなのだろうと思う。

そして反対に、自分がもし、誰かの記憶の中に同様に住み着くことが
できたのだとしたら、それもまた、自分という価値を誇らしく思えるだろう。

おそらく、人生の中での出会いの数は有限だ。
出会いを丁寧に、そして誠意を持って相手に接すること。
それがいかに相手を励まし、自分の価値を高めるのか。

そしてその喜びを、彼は私に教えてくれた。

おやすみなさい、そして、ありがとうございます、Tさん。

 

2008年08月06日

グーグルのストリートビュー

日本版でも始まったグーグルのストリートビュー。

ためしに、と思ってみたら…

googlemap

見事に我が家もバッチリ写っていました。
ロードスターつきで…

いつの間に、グーグルの車が録画しにきていたんだろう?

しかし、便利な反面、怖いなあ… 

2008年09月03日

やめられないこと

今日は中心市街地活性化のお仕事で和歌山県田辺市に行ってきました。
今は、大阪の天満橋のホテルからこれを投稿しています。

先週は奈良市、今週は福島県の二本松市にも行ってきました。

さて、今日のことなのですが、大阪のまちを仕事仲間と移動中、
タイガースの話題になりました。
さすが大阪、大阪出身の仲間は根っからの猛虎ファンです。
その話の途中で、自分は巨人ファンだといいました。

本当は巨人の試合など、ここしばらくは見ていないのですが
それでも巨人ファンは辞められません。

+++

小学校の5年生ごろだったでしょうか。
友人と二人で、後楽園球場に巨人対大洋ホエールズ(現横浜)
を見に行きました。
試合は中盤、4-0で巨人が優勢。

外野席。大声を張り上げて巨人を応援する私と友人のメガホンが、
突然後ろから取り上げられました。

今もありありと思い出します。

驚いて振り向いた私が見ると、大洋ホエールズ(現横浜)のヘルメットをかぶって、
メガネをかけた陰気そうな中年男性が、小学生の私たちをにらみつけながら
「これ、いらないよね」
といって、背番号シールをたくさん貼ったメガホンを二つ、もって行ってしまったのです。

そのメガホンは、私にとってはとても大切なものでした。
年に数日休みがあるかないかの自営業者の父、めったにものを買ってくれなかった父が、
私を巨人戦のナイターに連れて行ってくれたときに買ってもらったメガホンだったからです。

メガホンを取り上げられて驚いた私たちがちょっとして追いかけると、
大洋ホエールズ(現横浜)のヘルメットをかぶった男性は、物陰で思いっきり、
その二つのメガホンを踏みつけてつぶしている最中でした。

バキ、バキッと、メガホンは潰れました。
何度も、何度も踏みつけられるたびにそのメガホンはふくらみを失い、
平べったくなっていきました。

私は悔しい気持ちもありましたが、むしろ、大切なメガホンがつぶされたことが
悲しくて、元いた場所に戻るや否や
大泣きしてしまいました。
あのメガホンを買ってもらったときのことは、とてもうれしくてよく憶えていました。
そのシーンが、頭を幾度もよぎったのです。

すると、そばにいた後楽園の守衛さんや、巨人ファンの若い男性が数人、
私たちのところにき
てくれました。

「どうしたの?何かあったの?」

私は、まだ付近をうろついていた男性を指差して、しゃくりあげながら
事の顛末を説明しました。
大洋ホエールズファンの彼は、もうメガホンを始末したのでしょう、
なにも持たずにじっと試合を見ていました。

泣き続ける私を見て、後楽園球場の守衛さんと巨人ファンの若いお兄さんが
不憫に思い、
「こっちにおいで」
といってくれました。

ついていった先は、球場の売店。

「メガホンを買ってあげるよ、どれかな?」

守衛さんが言って、500円のメガホンを買ってくれました。

「背番号シール、買ってあげるよ」

若いお兄さんが言って、シールを買ってくれました。

悲しい気持ちに沈んでいた私は、うれしくて、あんなに悔しくて
悲しかった気持ちがとても救われる気がして、また泣き出しました。
父に買ってもらった大切なメガホンと同じくらい、
うれしい、やさしさにあふれたメガホンを手にしたからです。

「ありがとうございます」

と、お礼を言いました。

 

それ以来、どんなに巨人の仕事やメンバー構成に納得が行かなくても、
巨人ファンを辞められません。

一方で、大洋ホエールズの後身である横浜ベイスターズを見るのは
気が進みません(選手や球団の責任ではないのだけれども)

そして、自分も、ああいうやさしい人になりたい、と、ことあるごとに
思い出します。

些細なことかもしれないけれど、ある物事で傷ついたり、 落ち込んだりしている
人の境遇を理解し、そして、手を差し伸べること。
それがどんなにありがたいことか。

逆に、弱いものから大切なものを取り上げ、それを踏みつける悪意。
それがどんなに醜いものか。

このエピソードを、猛虎ファンの仕事仲間にしました。

「東京の人って、もっと冷たいと思っていたでしょう?」
と私が聞くと
「本当に、そんなことないんやねえ。それはいい話やわ」
と彼は言いました。

幼かったとある日の、アナログな思い出がいとおしく思える昨今です。

 

 

 

2008年09月06日

若者はまちづくりの主権を奪う。ベテランは場を与える。これが大切。

最近、まちづくりの現場で、高齢者による高齢者のための
まちづくりに偏りがちな会合が多いと感じる。

地域を将来的に支え、子供を育てなくてはならない世代の
生活環境はあまり省みられない。

高齢の人は、人生経験豊かだ。だから、社会に資する物事を
知っている人も多い。一方で、それが弊害にもなる。

「自分たちがここまで社会を発展させたのだ」

と、これまでの人生の長さや経験の豊富さを権利の主張の根拠にする。
(まあ、巷で言われる”豊かな経験”とは何を指すのか曖昧だが。
比べる物事によって、高齢であるほど経験がないコトだって多い)

「若いやつらはどうせ外に出て行って、買い物も町でしない」

という。だから、彼らのための環境づくりなど不要だ、といわんばかりだ。
そもそも、そのような背景にはどのような理由があるのかは省みられない。

もし、若者が白地のキャンバスと高度経済成長を与えられたのであれば、
きっと彼らは自分たちのまちをそこに描くだろう。そして、まちの外ではなく
まちの中で生活するに違いない。そのときは高齢者が外に出るかもしれない。

若手の発言を頭から否定し、取り合わず、そして何も前に進まない。

まちづくりに熱心に取り組んで、靴の底を減らしている若手の男性が、
ある会合でアイデアを発言したことがある。
すると外部から来た人たちの目の前で、高齢のメンバーが
「バカモン!何を言っているか!」
とすぐさま怒鳴りつけた。
議論はそれから進展しなかった。代案の提案もなされなかったのだ。


自分は、ある会合で、あまりに若手の意見を聞こうとしないで
代案も出さず、自分たちの権利を主張する高齢の役員さんたちに、

「みなさん、もう辞めてください。お金だけ出してください。
若い人たちはここで仕事をして、子供を育て、高齢化の中で皆さんの年金や
社会を支えて生きて行かなくてはならないのです。
このままでは、このまちは皆さんの世代でなくなります。子供が故郷を失います」

というようなことを言ったことがある。
場はシーン、としてしまったが、中には
「その通りだね、もう、任せようよ」
と言ってくれる高齢の役員さんもいた。
時代背景や景色は違うにせよ、どの時代も若者は問題や苦労に直面し、
それを乗り越えようとしている。彼らが主役になれなくては、
彼らは負担ばかりを抱え込む。

もちろん、高齢のまちづくりメンバーが素敵なまちづくりをリードしている
まちや事例も多いのも事実としてあるし、高齢者のまちづくりへの参画は
これからも重要なことであるのに違いない。

++++

一方で、若者も問題を抱える。

世の中には下克上よろしく、年上の商店街役員を若手が
よってたかって辞めさせ、自分たちが主権を握ってまちづくりを進める
まちもある。

隣り合った商店街同士で、高齢者の役員同士がいがみ合っている中で、
双方の青年部はそんなしがらみなどどこ吹く風とばかりに、
協力し合って仕掛けていったまちづくりがうまく行っている事例もある。

人事のようにふるまったり、あきらめたり、背中に隠れたり、
個に埋もれている場合ではない。
自分たちで切りひらくよりは、作られた環境で育ってきた価値観に
居座るのではない。自分たちの地域の未来をちゃんと予想して、
そして描き、主体的に取り組んでいくためには
どうすればよいのかを考え行動しなくてはならない。

場が与えられないことを周囲や環境のせいにしてはいくのではなく、
そのような中で、いかにまちづくりの主権を奪えるかを考え、
行動できるのが若者としての資質でもあり、将来への責任でもある。

そして、そのような若者の資質や自我を高めるのは、
「場を与える、権限を与える」という先人たちの環境づくりが必要不可欠なのだ。

++++

シルバー民主主義という言葉がある。

増え続ける高齢者の選挙投票率が高く、若者の投票率が低い。
そうすると、人気取りでも高齢者政策を打ち出す候補が得票を伸ばす。
結果的に、社会を育てる生産年齢の若手の負担は増え、一方で
自分たちの将来が保証されない社会整備が今よりもいっそう進む。

しかし、これは若者にとっても、与えられている環境ではない。
自ら招いている環境であるということに、危機感が必要だ。

++++

「老いては子に従え」

という言葉がある。
老いたものは権利や権威の主張を控え、子に場を譲る。
子はよりよい環境づくりを主体的に責任を負いリードする。

しかし、まちづくりの現場はこの言葉には程遠いな、と感じることが多い。

 

 

 

2008年10月02日

なぜひらがなにするの?

近年、特に市町村合併が盛んになったころによく見られた風潮だが、
地名をそれまでの漢字から、ひらがなに変える市町村が後を絶たない。

自分にとっては、ひらがなにすることは一種の、地域のアイデンティティーの
放棄に等しいのであろうと考えている。

地名の成立については詳しく知らないが、
それぞれの歴史や自然、文化や民族に起因するものが多いと考える。

また、漢字は読みだけではなく、その文字自体に意味を持つものであり、
すなわち、地名を音(おと)で読んだときの表面的な受け取り方だけではない
含意があるのではないか。
もちろん、たとえばアイヌ起源の地名など、音への当て字である場合があるにせよ、
そのような願意を含むものをひらがなにしたとたん、その含意や、
そこから派生する地域性というものへの想像は失われる。

たとえば、青森の奥入瀬は、深い森林の中をせせらぎが流れる情感
豊かな奥入瀬渓流が有名な観光地であるが、近隣の2町が合併して
「おいらせ町」が誕生した

「おいらせ町」を流れる奥入瀬川自体は渓流ではないので、いわゆる
奥入瀬のイメージとはちょっと違うといえるのだが、いずれにせよ
なぜ地名が 「奥入瀬町」ではいけなかったのだろう?

「奥入瀬」と「おいらせ」

私には、まったくもって別物に受け取れる。
ましてや、奥入瀬のことをまったく知らない人にとってはどうだろう。

おいらせ、ではなく、奥入瀬、だったら想像ができることもたくさんある。

+++

また、市町村合併などによる地名の変更は、そこにあるもの
をまったく放棄してしまうこともある。

一時物議をかもし、結局実現しなかった例としては

「南セントレア市」

などというものもあった。

「忍者市」「ゴジラ市」

にいたっては、まじめに考えた関係者には悪いが、
絶句どころか、絶望を感じた。

+++

元は漢字のひらがな地名を見るたびに私は
軽々しい印象を受け、がっかりする。

+++
このような「ひらがな」はなぜ使われるのか?

はっきりとした納得いく定義を、私は見たことがない。

「読み方が難しいから」
「あまり使われない漢字であるから」
「ソフトな感じになるから」
「合併時に合併する地域間で不平が出ないため」

などがあるのだろうと思う。

+++

しかし、読み方が難しかろうと、あまり使われていなかろうと、
イメージが堅かろうと、その地名には、その地名が示していた意味、
培われて来たものがあるのではないだろうか?

日本全国によく見られる
「○○谷戸」だって「○○新田」、「地獄谷」だって、
その地域性をあらわしている使命がある。

それを単に、上記の理由で放棄してよいのだろうか?
漢字が難しかろうと、それは調べたり学習すればよいだけだ。
「何でこの字を使うのだろう?」という疑問がわけば、そこから
新たな学習や、地域への理解が深まる。そこからその地域における
精神性の礎ができるかもしれない。

私だって、幼いころは東京都府中市で育ったが、

「府中」というのは、かつてここに「国府」があった、国の中心だった、
ということに自慢の種を見出していたし、地域性を感じていた。

安易なひらがな化は、子供たちへの文化の継承や新たな学習機会、
精神性の醸成機会、そして、その地域の”地域案内”機能を奪う。

安易な地名のひらがな化は決して望ましいことではない。

+++
自分は、安易なひらがな化に関しては、「言葉(国語)」に関する
重み付けの不十分さが起因していると考える。
さらに言えば、「言葉(国語)」の考え方は、文化だけでなく共同性に関する
倫理や道徳といったものにも関係するものだと考えている。
それは、漢字や言葉が、さまざまな歴史背景や思想のなかで
時間をかけて完成されていったものだからだ。

文学や読み物を読むときだって、使われている漢字がなぜ、そこで
使われているのか、表面的ではない含意やそこに隠れる事情を
そこから読み取るものだ。その「漢字」から含意や事情を読み取る力
があるからこそ、日本人は日本人の文化や思想性を持ち、表面的な
現象だけではないことを共通に理解しあってきた。
それが難しくなったというなら、それは地名や漢字のせいではなく、
教育の問題であって、地名をひらがなにしたところでなにも解決にならない。

+++

長い間培われてきた、あるいはその地域の誇りであった地名を
もっと大切にしたいものだと思う。
それは、いまの大人たちの事情だけではなく、子供たちに受け継いでいくもの、
子供たちに残していかなくてはならないもの、そして、国のために守る地域の
宝だからと考える今日この頃である。

 

 

 

2008年10月11日

一般論?

コンサルタントとしてスポーツショップの経営者さんに売り場レイアウト改善を
提案するという店舗レイアウトを学ぶ演習指導中、研修生の方とこんなやり
取りをした。

研「男性と女性のスポーツウェアの配置は分けたほうがいいのですよね」

私「あんまり男性女性が入り混じるようであれば、分けたほうがいいかもしれませんね」

研「それで、男性と女性のウェアは、店の手前と奥のほう、どちらをどちらに
おけばいいのですか

私「(ご質問の意図は)どういうことですか?」

研「通常、決まりというかどちらをどこに配置するのですか」

私「法則などはありませんよ。どういう考え方かによって変わってきます」

+++

いまいち腑に落ちない表情の研修生に、
私の説明も不十分だったかな、と反省しつつ、一方では
たとえば一般的に「男性が手前、女性が奥」などとうたっている
”説”があれば、彼はそれを取り入れるのだろうか?
とふと考えた。

+++

そういえば、診断士養成課程が新制度になってから、実習を
するたびに市販のノウハウ本を持ち込む研修生が確実に増えた。

おそらくは、あまり勝手がわからない分野などでの実習に不安を覚え、
参考とするために買ったのだろうし、
(他班にはそのような本のコンテンツ丸写しの研修生もいたようだ)
大変な一次試験を筆記で合格してから大学校にくる、現在の研修生の
特徴でもある。

しかし、それこそが「落とし穴」だと自分は考えている。

落とし穴とは

「(現場を見ているはずなのに、実際は)現場を見ずして、一般論を適用してしまう」

という落とし穴だ。

+++

コンセプトを前面に押し出す店ほど、そのコンセプトの内容の
表現、ターゲットへの訴求ということを考えて売り場をつくることが
大切だ。
たとえば、ウェアの配置だって、外から店内を見たときに
男性物が多く見えるか、あるいは、女性物が多く見えるか、
またそれはどのようなデザインのものが、どの程度どのように陳列されているか
によっても店の印象も訴求も変わってくる。
それは、一概に「男性物、女性物がどうこう」ということはいえるわけがなく、
あくまでその店の戦略的思想から落とし込んで考えていかないといけない。
どのような人に、どのように買い物していただくか、それを設計するのが
店舗レイアウトの大切なポイントでもある。

何かを学びたい、スキルを身につけたい、と思うほど、
「これはこうやるものである」
という”答え”を求め、それを教わろうとしてしまう。

そういった意味で、自分はよく実習でいう。

「お決まりの答えなどは用意されていません。
それは、店によってそれぞれにあるものです。
だから現場をよく観察し、話を聞くことが重要です」

+++

今日、私に質問してくれた研修生に十分に意図を伝えることは
できなかったかもしれないが、これからの実習を通して、
そのような現場の視点を学ぶ機会が生かされることを願っている。

2008年12月06日

波乱の帰宅 

由利本荘市商工会での今年度の「やりがい商売研究会」(P研)の
第2回目、その懇親会も盛況に終わった翌日。
朝7時48分の羽越線で秋田駅まででて、シャトルバスで秋田空港、
10時45分くらいのANAで正午前には東京に戻る予定だった。

が、昨日からの雨は暴風雨に。
泊まった「本荘ステーションホテル別館」というのが、
線路から直線でも50mは離れているだろうに、電車が通るたびにユラユラゆれる
代物なのだが、その建物に暴風が打ち付ける音もまた夜中はよく
聞こえた。

羽越線は2005年に突風で「特急いなほ」が転覆した路線でもあり、
ユーラシア大陸からやってくる風をまともに受ける日本海沿い平野部を走る。

「もしかしたらな~」

と思い、宿からケータイで乗り換え案内を検索。
案の定、

「運行情報 羽越線 暴風のため運行見合わせ」

だった。

秋田空港へのシャトルバスは、予定では8時51分秋田駅発。
まあ、その一本後の9時20分のやつでも間に合うだろう。
それを過ぎればアウトだ。

駅に向かう。自分が乗る予定よりも前の電車が未だ来ていない。

10分…20分…時折、

「現在電車は象潟駅です」

などとアナウンスが入るが、ちょっとまてよ、
15分前も象潟駅じゃなかったっけ?

どうやら、電車は駅で停まり、様子を見て暴風の間隙をつくように
前進してきているらしい。
な、なんとスリリング。とはいえ、この地域の人にとってはこの光景も
生活の場面の一部なのだが。

やはり、このままでは飛行機には間に合いそうにない。
かつては本荘からも空港バスが出ていたのだが、数年前に
路線が廃止されている。
スマートフォンでネット上を検索していたら、
本荘市内から5000円ほどで空港にいける乗り合いタクシーというのを
見つけたので電話してみた。

タクシー会社「前日12時までの予約なんですよね~」
私「そうですか、電車が停まっちゃってて、困ったなーと思って」
タクシー会社「すみません…」

まあ、完全予約制なのは仕方ないとして、こういうときに
ライバルのタクシー会社などに連絡を入れて融通を利かせてくれたり
してくれると、一発でファンになるんだけどな~、
等と思いつつ、また駅の待合室へ。

+++

結局、運行再開した羽越線に乗れたのは8時45分。
7時の弘前行きが、なんとも1時間45分遅れで到着したのだった。
秋田駅まで1時間。飛行機は絶望的だ…。

しかし、秋田空港は不便極まりない。
もし、秋田駅から片道40分かかるシャトルバスを逃してしまったら、
よそから来ている我々は秋田駅から7000円かけてタクシーで向かうしか
方法がない。
以前、そういうことがあって、それで7000円かけるなら、
飛行機のキャンセル料払って新幹線にしたほうがましだと
新幹線に変更したこともある。
それ以来、秋田へは9割がた新幹線で通っている。
ただ、今回は病み上がり、4時間の新幹線の車内は
病気を拾いやすいこともあって、新幹線より断然早く、密室空間
に閉じ込められる時間の短い久しぶりの飛行機だったのだが…。

+++

ちなみに、自分が年間を通して体調を崩すきっかけで断然トップなのは、
「新幹線での移動」
である。というのも、新幹線は長い時間密室に閉ざされるし、
たいてい自分は眠り込んでしまう。眠っている間の人間の防御力は
低下する。
だから、冬季は必ずマスクをしているし、乗っている間ののど飴は
必須アイテムだ。

先週自分は3日寝込むほどに体調を悪くしたのだが、それも出張での
新幹線がきっかけだった。
あれは確か前の週の上越新幹線、自分の後ろの席のスーツ
姿の30代半ばくらいの男性は、明らかに体調が悪そう。
電車が東京駅を発車してから新潟に着くまで始終ずっと、ゲホゲホしている。

しかも、

マスクもしないで。

…体調悪い彼には申し訳ないが、これは、一種のテロだと思った。
無差別にウィルスをばら撒いているのだから。

一方自分としては、いつも新幹線に乗るときに用意している
新品のマスクをつけて乗っていたのだが、それでも途中寝てしまったり、
スキを見せたのがいけなかったらしい。
しっかりとウィルスをもらってしまったのだ。
(ウィルス感染は、ほとんどは飛まつ感染。ウィルスを持っている人が
せきをすれば、飛まつは数メートルにわたって飛散する。ウィルスによっ
ては、30分空中を漂うこともある。)

しかし、新幹線も、長旅に使われる車両なのだから、加湿するなど
もうちょっと「伝染病予防」の対策が取れないものだろうか。

+++

話しは元に戻り…。

羽後本荘の駅で乗り込んだ3両編成の羽越線はなかなか発車しない。

その間も、車体は風でグラグラと揺れている。
なるほど、これはたいした風だ。

やっと動き出したかと思うと、亀のような歩みである。
でも、風で転がるよりは安全運転はありがたい。

幾駅か過ぎて、途中、いきなり電車がやる気を見せた加速を
したりして「オォッ!いけえっ」と期待したりする。しかしすぐに亀さんに戻る。
大荒れの日本海と立ち枯れの松林、酷く窓に打ち付けては
滝のように流れる雨雪、雲間からのぞく青空などの環境に
耐えてけな気に進むぞ、ピンクと紺の線が入った小さな羽越線。

しかし、その小さな車体に限界が来たのだろうか。
まだ由利本荘市内の岩城付近、国道7号線沿いの
小さな道川駅まで来て、電車は完全に停まってしまった。

P1010343 停まってしまった。

立ち客はいない程度の車内であったが、皆じっと運行再開を待つ。
「これから学校に行っても、授業終わるね」という学生。
「時間に間に合いそうにありません」という成人女性。
「これで秋田行っても、本荘に帰れないな~」と誰かに電話している女性。
なんだかイライラしてブツブツ行っているスーツ姿の男性。

その間、自分はなにをしていたかといえば、ケータイ、スマートフォンを
駆使しつつ飛行機の予約をキャンセルし、ほかの帰宅方法を探し、
結果的にえきねっとで秋田新幹線の予約をとっていたのだった。
12時1分の窓際の指定席をきっちりと取ることが出来たのだが、
これが秋田駅についてからの手配だったら、無理だったかもしれないことを
考えると、時代も便利になったというものだ。

+++

「当電車はここから秋田駅までバスの振り替え輸送になります」

と車内放送がかかったのが停まってから15分ほど。
さすがにこれ以上は困難のようだ。

振り替えのバスは秋田駅を発車したらしい。
近所に営業所などはなかったようだ。

振替バスが道川駅についたのは
それからさらに30分以上たってからの事だった。
この頃になると自分は待ちくたびれてむしろ、旅情をいかに感じるか、
思案に暮れている次第だった。

+++

2台の緑色のリムジンバスが到着した。

「なまはげ号」

だそうだ。なんだ、見た目はただの緑色のバスで、なまはげ感を感じない。

それとも、クラクションを鳴らすと

『ブッブー!』

ではなく

『なぐごはいねがぁ~』

とでもなるなら楽しいなぁ。

バスに乗り込む。
車掌さんや駅員さんは「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」と
恐縮しきりだが、これは天候だから仕方ないだろうに。
都会だと、こういうときに駅員に食って掛かったり、暴力を振るうやから
が出るのだから不思議だ。天気をどないせえというのだろう。

バスは紅葉も終わって落ち葉が積もる山間を進んでいくし、
(秋田の紅葉の盛りの頃は、山々が燃え盛るようで実に見事)
なんだか期せずしてプチオプションツアーに参加した気分だ。
こんな風に秋田を実感するとは、旅とは意外性のものである。
と、妙にワクワクしてくる。

バスはスイスイと自動車道を秋田駅に向かって走っていく。
しかし、なんだか寒い。このバス、なんだかスースーと隙間風が酷い…。

今回の出張で初めて使用したユニクロの

ヒートテック・モモヒキ

の性能はなかなかだ。自分の下半身は温かく守られた。
これで1500円だったら、もう一つ買っておこう、そんな気がした。

11時10分、バスは秋田駅東口に到着。
自分の新幹線までには1時間弱ある。ちょうどよい。

いつもであれば1時間弱の行程に3時間。
その間にノロノロ走行にグラグラ揺れる電車、
飛行機のキャンセルから新幹線の手配、荒れる日本海から落ち葉の
積もる山間を見るプチ・秋田自然見学ツアー、そしてユニクロ・ヒートテック・モモヒキ
性能実験と、なんだか色々とあった…。
仕上げは、自分が今日本で一番好きな駅弁、「しらかみ弁当」を
秋田駅の売店で購入して新幹線で食べようか。

P1010344 1000円です。

秋田駅の待合室のTVではNHKの富山の木彫り職人のドキュメンタリーが
妙なまったり感を演出していていい塩梅だった。

P1010346大曲付近から雪は横殴り

P1010353 田沢湖あたりは雪が積もっていた

P1010355 盛岡を過ぎると未だ晩秋

P1010356 大宮での夕日はきれいだった

2008年12月17日

ヨォツゥヤァ

本当にどうでも良い話なのですが…。

電車移動の機会が多い自分にとって、最近気になるのは電車のアナウンス。

”次は新宿、お出口は右側…”

と日本語で自動アナウンスがかかった後に、続いては英語のアナウンス。

”ネクスト ストップ…”

問題はその後。

たとえば、四ツ谷のばあいは、発音は

”よつや”

とフラットなアクセントなのだが、
これが外国語発音になると路線によっては

”ヨォツゥヤァ”

となる。

つまり、発音が日本語じゃない。

+++

自分はそもそも、日本の人は、なんで日本のことを

”ジャパン”

なんていうのだろう?という疑問がある。

ジャパンは、外国の人が言っているだけで、日本は

”にっぽん”

じゃないか。

以前、アメリカ人で教師をやっている男性との会話で

「日本はジャパンじゃないんだよ」

と言った事がある。

その時の彼の意見。

「なるほど、じゃあ、まず日本人から”ジャパン”じゃなくて
”にっぽん”て言うことだね」

なるほど、そりゃそうだ。

+++

沖縄のゆいレールのアナウンスは、日本語のアナウンスのあとに
やはり英語のアナウンスがある。

”ナウ アライビン 県庁前”

というような感じだ。
正直、”ナウ・アライビン”の部分を最初は英語だと気づかなかったのだが、
(英語としての発音は微妙だと思う)

駅名の発音は

”ケーンチョォウマエィ”

ではなく

”県庁前”

と日本語発音。

外国人さんには、アクセントのなさが聞き取りづらいのかな、とも思う。
そういった意味では、

”ヨォツゥヤァ”

と大げさな母音発音とアクセント付けは、外国からの訪問者の利用しやすさ
につながるかもしれない。駅の案内表示だって、首都圏ではいまや英語とハングル併記は
大体一般的だ。そういった意味では、この発音もおもてなしの一つ。

しかし、個人的には相当な違和感がある。

四ツ谷は四ツ谷であって、”ヨォツゥヤァ”なんて地名は日本にはない。
日本人が英語圏の国に行くときは、英語を話そうとする人が自分の周りには多い。
しかし、自分が国内で会う外国人の多くは、日本で日本語を話そうと日本語を知ろうとしたり、
そもそも日本で日本語を話す必要などはまったく感じていないようだ。
彼らに合わせて、日本人が使わない、日本人離れした発音などをアナウンスに入れる
というのも、「なんのこっちゃ」という感がぬぐえない。
せっかく日本に来ているのだから、日本人が使う発音でいいじゃないか。
言語が違うのだから、お互いの言語がわかりづらかったり、そこに非日常を
感じるのはお互い様。

自分が米国で電車に乗ったときも、「いま、次の駅なんて言った?」なんて、
地図を眺めながらドキドキしていたもので、そんな緊張感もまた旅のスパイスだった。
”ああ、この地名はこう発音するのか!”なんて発見があったりして。


とにもかくにも、自分がいつか訪れた外国の地で、

「オオ、ニホンカラキタノカ!ジブンハカツテ、”ヨォツゥヤァ”ニイッタコトガアリマス」

とか現地の人に話しかけられても、きっと、

「ああ、四ツ谷のことか」

なんてすぐにわからないだろうな。
だって、日本には”四ツ谷”はあっても”ヨォツゥヤァ”なんて、ないんだから…。

 

 

 





 

 

 

 

ヨォツゥヤァ

本当にどうでも良い話なのですが…。

電車移動の機会が多い自分にとって、最近気になるのは電車のアナウンス。

”次は新宿、お出口は右側…”

と日本語で自動アナウンスがかかった後に、続いては英語のアナウンス。

”ネクスト ストップ…”

問題はその後。

たとえば、四ツ谷のばあいは、発音は

”よつや”

とフラットなアクセントなのだが、
これが外国語発音になると路線によっては

”ヨォツゥヤァ”

となる。

つまり、発音が日本語じゃない。

+++

自分はそもそも、日本の人は、なんで日本のことを

”ジャパン”

なんていうのだろう?という疑問がある。

ジャパンは、外国の人が言っているだけで、日本は

”にっぽん”

じゃないか。

以前、アメリカ人で教師をやっている男性との会話で

「日本はジャパンじゃないんだよ」

と言った事がある。

その時の彼の意見。

「なるほど、じゃあ、まず日本人から”ジャパン”じゃなくて
”にっぽん”て言うことだね」

なるほど、そりゃそうだ。

+++

沖縄のゆいレールのアナウンスは、日本語のアナウンスのあとに
やはり英語のアナウンスがある。

”ナウ アライビン 県庁前”

というような感じだ。
正直、”ナウ・アライビン”の部分を最初は英語だと気づかなかったのだが、
(英語としての発音は微妙だと思う)

駅名の発音は

”ケーンチョォウマエィ”

ではなく

”県庁前”

と日本語発音。

外国人さんには、アクセントのなさが聞き取りづらいのかな、とも思う。
そういった意味では、

”ヨォツゥヤァ”

と大げさな母音発音とアクセント付けは、外国からの訪問者の利用しやすさ
につながるかもしれない。駅の案内表示だって、首都圏ではいまや英語とハングル併記は
大体一般的だ。そういった意味では、この発音もおもてなしの一つ。

しかし、個人的には相当な違和感がある。

四ツ谷は四ツ谷であって、”ヨォツゥヤァ”なんて地名は日本にはない。
日本人が英語圏の国に行くときは、英語を話そうとする人が自分の周りには多い。
しかし、自分が国内で会う外国人の多くは、日本で日本語を話そうと日本語を知ろうとしたり、
そもそも日本で日本語を話す必要などはまったく感じていないようだ。
彼らに合わせて、日本人が使わない、日本人離れした発音などをアナウンスに入れる
というのも、「なんのこっちゃ」という感がぬぐえない。
せっかく日本に来ているのだから、日本人が使う発音でいいじゃないか。
言語が違うのだから、お互いの言語がわかりづらかったり、そこに非日常を
感じるのはお互い様。

自分が米国で電車に乗ったときも、「いま、次の駅なんて言った?」なんて、
地図を眺めながらドキドキしていたもので、そんな緊張感もまた旅のスパイスだった。
”ああ、この地名はこう発音するのか!”なんて発見があったりして。


とにもかくにも、自分がいつか訪れた外国の地で、

「オオ、ニホンカラキタノカ!ジブンハカツテ、”ヨォツゥヤァ”ニイッタコトガアリマス」

とか現地の人に話しかけられても、きっと、

「ああ、四ツ谷のことか」

なんてすぐにわからないだろうな。
だって、日本には”四ツ谷”はあっても”ヨォツゥヤァ”なんて、ないんだから…。

 

 

 





 

 

 

 

背中を押す言葉

色々とやることはあるのですが、今日は記事を二つ更新します。

昨日、知り合いの女性と、その彼氏、ほかに3人の診断士の方と呑んだ。

その女性の彼氏が、診断士を目指しており、ゆくゆくは独立したい、
ということでなんやら話が聞きたい、ということらしい。

4時間ほどの時があっという間に流れて、彼氏も
「なんだか新しいヒントや考え方が得られて、やれそうな気がしてきました」
と明るい表情を見せてくれたので、ヨカッタヨカッタ、というところだろうか。
答えを求めず、自分で考えをまとめようという彼の姿勢に感心。

++

私は大学を出て、情報処理関係の会社に3年間勤めに出たあとで
中小企業大学校に通い、独立した。

会社を辞めたとき26歳。独立したのは27歳。
組織から離れてあっという間の6年、思えば年数的にはもはや駆け出しとはいえない。

しかし、未だ若く、実家の事業も決して順風ではなく家計をチョコット支えていた
当時の私にとって、会社を辞めるのはとても悩ましいことだった。

自分は、学生の頃からまちづくりの仕事がしたかったし、
将来はそういう仕事をしていたい。
一方で、会社を辞めてしまえば収入はなくなるし、仕事を取ってやっていける
保証なんてどこにもない。
上司や先輩に相談しながらも、なかなか決断できないでいた。

ある日、向かい合わせに開発端末が並んだうちの一台の端末で、
自分の作業をしていた。
目の前には、どちらかというと同じグループのメンバーとつるまずに
アウトサイダーな立ち位置をとっている感のあった30代の上司Aさん。
彼は、仕事はそこそこやって抱え込まず、あとは自分の好きな音楽の作品作り
なども熱心にやっている人だった。

自分は彼との関係も良好だったので、案の定相談をした。

私「カクカクシカジカで、会社を辞めて本当にやっていけるか、辞めていいのか
決断がつかなくて」

一通り話を聞いた彼は、一呼吸置いて、自分の開発端末から目を離さずに
言った。

Aさん「大海さ、今、結婚して子供いる?」

私「いいえ、結婚もしてないし、子供もいませんよ」

Aさん「そうだよね、ご両親は?」

私「元気で健在です」

Aさん「そうなんだ。大海、今何歳?」

私「今は25歳(相談当時)です」

Aさん「失うものって、何かある?」

私「…(そういえば、特にないなあ)何かあっても、困るのは自分だけですかね」

Aさん「だろ?じゃあ、何を悩んでるんだよ?」

「失うものがないなら、やればいいじゃないか」

この一言が、自分の背中を押した。

ガーンッ!と頭をたたかれたような衝撃を受けて、

「そうだ、やろう!何があっても、俺次第じゃないか!」

と思えたのだ。

そして、そういう言葉を投げかけてくれた上司を心から尊敬した。
会社の利害ではなく、人間として自分に話しかけてくれていることが
とてもうれしかった。

自分も、こうやって人の背中を押せる人間になろう、そう思って、
今も仕事をしている。この経験から生まれたフレーズ、

”踏み出す勇気、豊かさの探求―”

は自分の事業の理念であって、キャッチフレーズ、であって、
そして人生の命題でもある。

+++

そういえば、創業当時方大変お世話になり、今も色々と私を見守ってくれている
診断士のK先生にも、よく言われたなあ。

「取り返しのつく失敗なら、どんどんしなさい」

これも、Aさんの言葉と同じなんだな、そう思った。


人を傷つけるのではなく、否定するのではなく、相手を勇気付け、
踏み出すことを助けることが出来る言葉。

そういうことをいえることが、自分にとっては診断士としての価値なのかな。
ふと、考えた。

背中を押す言葉

色々とやることはあるのですが、今日は記事を二つ更新します。

昨日、知り合いの女性と、その彼氏、ほかに3人の診断士の方と呑んだ。

その女性の彼氏が、診断士を目指しており、ゆくゆくは独立したい、
ということでなんやら話が聞きたい、ということらしい。

4時間ほどの時があっという間に流れて、彼氏も
「なんだか新しいヒントや考え方が得られて、やれそうな気がしてきました」
と明るい表情を見せてくれたので、ヨカッタヨカッタ、というところだろうか。
答えを求めず、自分で考えをまとめようという彼の姿勢に感心。

++

私は大学を出て、情報処理関係の会社に3年間勤めに出たあとで
中小企業大学校に通い、独立した。

会社を辞めたとき26歳。独立したのは27歳。
組織から離れてあっという間の6年、思えば年数的にはもはや駆け出しとはいえない。

しかし、未だ若く、実家の事業も決して順風ではなく家計をチョコット支えていた
当時の私にとって、会社を辞めるのはとても悩ましいことだった。

自分は、学生の頃からまちづくりの仕事がしたかったし、
将来はそういう仕事をしていたい。
一方で、会社を辞めてしまえば収入はなくなるし、仕事を取ってやっていける
保証なんてどこにもない。
上司や先輩に相談しながらも、なかなか決断できないでいた。

ある日、向かい合わせに開発端末が並んだうちの一台の端末で、
自分の作業をしていた。
目の前には、どちらかというと同じグループのメンバーとつるまずに
アウトサイダーな立ち位置をとっている感のあった30代の上司Aさん。
彼は、仕事はそこそこやって抱え込まず、あとは自分の好きな音楽の作品作り
なども熱心にやっている人だった。

自分は彼との関係も良好だったので、案の定相談をした。

私「カクカクシカジカで、会社を辞めて本当にやっていけるか、辞めていいのか
決断がつかなくて」

一通り話を聞いた彼は、一呼吸置いて、自分の開発端末から目を離さずに
言った。

Aさん「大海さ、今、結婚して子供いる?」

私「いいえ、結婚もしてないし、子供もいませんよ」

Aさん「そうだよね、ご両親は?」

私「元気で健在です」

Aさん「そうなんだ。大海、今何歳?」

私「今は25歳(相談当時)です」

Aさん「失うものって、何かある?」

私「…(そういえば、特にないなあ)何かあっても、困るのは自分だけですかね」

Aさん「だろ?じゃあ、何を悩んでるんだよ?」

「失うものがないなら、やればいいじゃないか」

この一言が、自分の背中を押した。

ガーンッ!と頭をたたかれたような衝撃を受けて、

「そうだ、やろう!何があっても、俺次第じゃないか!」

と思えたのだ。

そして、そういう言葉を投げかけてくれた上司を心から尊敬した。
会社の利害ではなく、人間として自分に話しかけてくれていることが
とてもうれしかった。

自分も、こうやって人の背中を押せる人間になろう、そう思って、
今も仕事をしている。この経験から生まれたフレーズ、

”踏み出す勇気、豊かさの探求―”

は自分の事業の理念であって、キャッチフレーズ、であって、
そして人生の命題でもある。

+++

そういえば、創業当時方大変お世話になり、今も色々と私を見守ってくれている
診断士のK先生にも、よく言われたなあ。

「取り返しのつく失敗なら、どんどんしなさい」

これも、Aさんの言葉と同じなんだな、そう思った。


人を傷つけるのではなく、否定するのではなく、相手を勇気付け、
踏み出すことを助けることが出来る言葉。

そういうことをいえることが、自分にとっては診断士としての価値なのかな。
ふと、考えた。

2009年02月13日

最近食べた駅弁

電車移動にて、食べた駅弁のコレクション

P1000330 P1000331
新潟までのMAXとき車中で買った越後闘牛牛めし。
闘牛らしく、かたかった。冷たいからかな。

P1000735 中味撮り忘れた
インパクト大なのがこの弁当。
たしか、富山での中活のお仕事に向かう途中、
越後湯沢の駅でほくほく線に乗り換えのときに買った。
「すきすき弁当」 というだけあって、すき焼きがご飯の上に
のっているのだけれども…

ふたを開ける。
おいしそうだけど、なんか上げ底だぞ(ご飯ケチってるの?)
おや、そこになんかヒモが出ている
引っ張ってやれ!
ジョワワワワワ~!!

という音とともに、水蒸気が舞い上がる。

あちっ!!

そう、ヒモは化学反応を引き起こすためのものだったのだ。
おかげで、ご飯もお肉もホクホク温まり、うん、これはうまかった!

P1010302 P1010304
もち豚まいたけ弁当
たしか、秋田に行く途中だったかな?
もち豚も少ししか入っていないし、やっぱり冷えると脂がかたまる。

P1010329 P1010331
前沢牛弁当 こまちに乗っていると、盛岡駅で補充される。
こいつは1200円ぐらいするのだが、肉は冷えてて脂が固まっ
ているし、かたいし、ご飯に味がついていないし、ほかに買う
弁当がないときにだけ買う弁当。もうちょっと工夫してほしいな~。

P1010623 P1010624
珍しく羽田空港の「空弁」で売っていた黒いなり。
炭だかなんだか使っていたようなやつで、確かにそんな味もした。

そういえば、昔読んだインパール作戦の本の中で、敗走を続け
る日本兵がおなかを下したときに飲む薬がなく、炭を食べたと
いうのがあったなあ。

などと思いながら食べる。中味のご飯はそれぞれ3通り違うので
悪くはないのだろうけど、一回でいいかな。

P1020032  P1020035
東海道新幹線で名古屋からの帰り。
みそかつ&えびふりゃ~弁当。
まあ、ご覧のとおり、そこそこボリュームがあって量は満足。
もっと、ドクドクと味噌がかかっていてほしかった。

P1020041 P1020042
東京8:36駅発こまち7号で秋田に行くときは、たいてい朝ごはん
に食べるのがカツサンド。
3こしか入っていないのに、600円位するもんだから、
一つ一つかみ締めながら食べる。

P1020044 P1020046
チキン弁当 東京駅で購入。
というかですね、弁当のパッケージで弁当名の上にラベルを
はるのはなんでかな。
かわいいパッケージなんだけどな。
なかみはご覧のとおり、チキンづくし。
やはり、冷えているときつい。しかし、ワレながら揚げ物の弁当
が多いな。

P1020518  P1020520
これはなかなかヒットだった。
東京駅で買った、「鶏づくし弁当」佐賀県のほうのJAが作っている
やつだったが、肉のこだわりもかいてあれば、使っている肉も
味付けが大げさではなく、コリコリした食感が食欲だけではなく
感覚的にも心地よかった。
これはよくできた弁当だと思った、けど、商品説明の紙が2枚入っ
ていたり、ちょっと弁当の詰め方が乱暴であったのが残念無念。

 

最近食べた駅弁

電車移動にて、食べた駅弁のコレクション

P1000330 P1000331
新潟までのMAXとき車中で買った越後闘牛牛めし。
闘牛らしく、かたかった。冷たいからかな。

P1000735 中味撮り忘れた
インパクト大なのがこの弁当。
たしか、富山での中活のお仕事に向かう途中、
越後湯沢の駅でほくほく線に乗り換えのときに買った。
「すきすき弁当」 というだけあって、すき焼きがご飯の上に
のっているのだけれども…

ふたを開ける。
おいしそうだけど、なんか上げ底だぞ(ご飯ケチってるの?)
おや、そこになんかヒモが出ている
引っ張ってやれ!
ジョワワワワワ~!!

という音とともに、水蒸気が舞い上がる。

あちっ!!

そう、ヒモは化学反応を引き起こすためのものだったのだ。
おかげで、ご飯もお肉もホクホク温まり、うん、これはうまかった!

P1010302 P1010304
もち豚まいたけ弁当
たしか、秋田に行く途中だったかな?
もち豚も少ししか入っていないし、やっぱり冷えると脂がかたまる。

P1010329 P1010331
前沢牛弁当 こまちに乗っていると、盛岡駅で補充される。
こいつは1200円ぐらいするのだが、肉は冷えてて脂が固まっ
ているし、かたいし、ご飯に味がついていないし、ほかに買う
弁当がないときにだけ買う弁当。もうちょっと工夫してほしいな~。

P1010623 P1010624
珍しく羽田空港の「空弁」で売っていた黒いなり。
炭だかなんだか使っていたようなやつで、確かにそんな味もした。

そういえば、昔読んだインパール作戦の本の中で、敗走を続け
る日本兵がおなかを下したときに飲む薬がなく、炭を食べたと
いうのがあったなあ。

などと思いながら食べる。中味のご飯はそれぞれ3通り違うので
悪くはないのだろうけど、一回でいいかな。

P1020032  P1020035
東海道新幹線で名古屋からの帰り。
みそかつ&えびふりゃ~弁当。
まあ、ご覧のとおり、そこそこボリュームがあって量は満足。
もっと、ドクドクと味噌がかかっていてほしかった。

P1020041 P1020042
東京8:36駅発こまち7号で秋田に行くときは、たいてい朝ごはん
に食べるのがカツサンド。
3こしか入っていないのに、600円位するもんだから、
一つ一つかみ締めながら食べる。

P1020044 P1020046
チキン弁当 東京駅で購入。
というかですね、弁当のパッケージで弁当名の上にラベルを
はるのはなんでかな。
かわいいパッケージなんだけどな。
なかみはご覧のとおり、チキンづくし。
やはり、冷えているときつい。しかし、ワレながら揚げ物の弁当
が多いな。

P1020518  P1020520
これはなかなかヒットだった。
東京駅で買った、「鶏づくし弁当」佐賀県のほうのJAが作っている
やつだったが、肉のこだわりもかいてあれば、使っている肉も
味付けが大げさではなく、コリコリした食感が食欲だけではなく
感覚的にも心地よかった。
これはよくできた弁当だと思った、けど、商品説明の紙が2枚入っ
ていたり、ちょっと弁当の詰め方が乱暴であったのが残念無念。

 

2009年02月16日

村上春樹さんに心打たれた

イスラエルの文学界最高の賞「エルサレム賞」を
村上春樹氏が受賞した。

圧倒的な武力を持ってパレスチナを侵略し虐殺を続ける
イスラエルでの受賞は、彼自身悩み、また、外部からの
「受賞しないで」
という要望も多かったという。

しかし、彼は受賞し、イスラエルへ行く道を選んだ。

「受賞を辞退して沈黙するのではなく、受賞し、ここで
話すことを選んだ」

村上氏は、受賞後のスピーチで、イスラエルによる
圧倒的な武力行使によるパレスチナ弾圧と、ハマスに
よるロケット攻撃に対し、反対をはっきりとのべた。
とくに、かつてユダヤ人がナチスにされたようなことを
パレスチナにたいして行っているイスラエルを、イスラ
エルの聖地で明確に問うた行為は、人の良心の発露を
見た気がする。

なんと、勇気があり、なおかつ彼だからこそできた、
影響を与えることができる行為だったろう。

素直に、村上氏に賛辞を送りたい。そして、ありがとう。

村上春樹さんに心打たれた

イスラエルの文学界最高の賞「エルサレム賞」を
村上春樹氏が受賞した。

圧倒的な武力を持ってパレスチナを侵略し虐殺を続ける
イスラエルでの受賞は、彼自身悩み、また、外部からの
「受賞しないで」
という要望も多かったという。

しかし、彼は受賞し、イスラエルへ行く道を選んだ。

「受賞を辞退して沈黙するのではなく、受賞し、ここで
話すことを選んだ」

村上氏は、受賞後のスピーチで、イスラエルによる
圧倒的な武力行使によるパレスチナ弾圧と、ハマスに
よるロケット攻撃に対し、反対をはっきりとのべた。
とくに、かつてユダヤ人がナチスにされたようなことを
パレスチナにたいして行っているイスラエルを、イスラ
エルの聖地で明確に問うた行為は、人の良心の発露を
見た気がする。

なんと、勇気があり、なおかつ彼だからこそできた、
影響を与えることができる行為だったろう。

素直に、村上氏に賛辞を送りたい。そして、ありがとう。

2009年03月01日

さくらソングはもう辟易した

ここ10年この時期になると、「さくらソング」なる、
桜の花を歌詞におりこんだ歌が続々と出てくる。

日本人にとって、桜は昔から馴染み深い花だったし、
春の訪れを告げる花として、美しい花として愛されてきた。
そして、それは喜びの花だけではなく、別れを象徴する
ものとしても、ある程度の共通認識があると思う。
だから、桜がモチーフとして取り上げられるものには、
特別な感情がわきやすくなるものだ。

さて、「さくらソング」。
サビの部分でひねりなくダイレクトに「♪さーくーらー」
などと歌うようなものもあるし、「さくら」を連呼しているような
ものなどいろいろある。

自分は、それらの歌に、桜をモチーフにしてしていなくても
評価される歌がどれだけあるのだろう、と疑問を持つ。
桜のイメージだけに支えられていて、楽曲・歌唱力としては
何の深みもないペラペラ感を感じてしまうのだ。
つまり、「情につけこんでいる(そのようなマーケティングに
乗っかっている)だけじゃないか」と。
そんなに実力ある歌なら、夏に発売される桜をモチーフに
した歌があってもいいだろう。

もちろん、桜のイメージを上手に取り込み、作品として
魅力があるような楽曲もあるのだと思う。
福山雅治の「桜坂」は自分も大好きな歌だ。

まあ、いずれにせよ、単にイメージに頼って実力を
伴わないようなものがもっともらしく売り出されるこの時期、
なんだかさめた気持ちになってしまうのである。
なんでもそのとき売れればいいというものではない。

 

 

 

2009年03月27日

金融機関との付き合いはちゃんと考えるべし

中小企業大学校の診断士養成課程の講師などをしていると、研修に来ている
金融機関のかたとの知り合いが増える。
みな熱心で、診断士となってからの会社だけではない地域貢献などを
真剣に考えている。地方銀行、信金の方が多い。

中小零細企業にとって、熱心なサポーターとなってくれる金融機関との
付き合いはとても心強いだろう。

+++

自分が小学生の頃。まだ、バブル前だった。

一人で小さな商売をやっていた自分の父親に連れられて、
父の会社と取引があった当時D銀行という都市銀行の支店に
行くと、必ずフロアにいた職員がもみ手をするようにニコニコして
父のところへやってきたものだ。

「ああ、○○さん(会社名)、こんにちは、今日はどういった御用ですか?」

それはまるで、「お金をいつでも借りてください、何なら今でも貸しますよ」
といったような雰囲気で、幼かった自分が
「ウチの父親は偉い人なんだね~」と思うような媚ぶりだった。

それから10年。バブルも崩壊し、我が家の商売の一日あたり売上高も
バブルの時期の数分の一しかなくなった。

ある日、自分が中学校から帰って自宅にいた時に留守電に吹き込まれた
D銀行からのメッセージが忘れられない。
それはある平日の、13時過ぎごろのメッセージだったろうか。

それは低い、だるそうにわざとらしくゆっくり話す男性の声だった。

「D銀行○○支店の××です。(ふぅ~←聞こえよがしなため息)」
「本日ご予定の□□の入金が確認できません。至急連絡をください(ガチャッ!!)」

こびていたD銀行の職員のイメージが残っていた自分にとっては、
おそらく父が手続き等で不備があり本来しておかないといけないことを
まだしていなかったのかな、と思ったが、(一方で、まだ15時まで時間あるのに、
とも思った)いずれにせよこの高慢で威圧的な電話が理解できなかった。

それからさらに数年。
商売はどん底。それでも設備などの更新も必要で、父の会社は借入を
必要とした。
そして、D銀行は、あっさりと「貸せません」と父を突っぱねた。
これは、当時の父の会社にとっては死刑宣告と同じだった。
そして、当時は余裕のなかった家庭にとっても、重大な出来事だった。

結局、父は国民生活金融公庫に相談し、 助言を受けながらわずか400万円の
融資を受けられた。
1990年代後半のことである。

そして、その2、3年後には父の会社は経営努力によって売上はみるみる
回復していった。
もちろん、借入金の返済は一度も遅らせることはなかった。
まだ、世の中が不況のどん底、といわれていた頃だ。

あのときの、D銀行の対応がいまだに忘れられない。
彼らはその後十分に売上回復する素地があった会社への
400万円の融資をせず、かといって経営へのアドバイスなどこれっぽっちもせず、
ただ単に、簡単な死刑宣告をしただけだ。
笑い話なのは、その銀行はその後、M銀行という名になり、
兆円規模の公的資金支援を受けているのだ。
公的支援の財源には、きっと父の払った税金も含まれているだろうに。

+++
中小零細は、その内容が少しでも悪くなれば、大きな存在からは簡単に
死刑宣告される。
だからこそ、つきあう金融機関は(公的機関も含めて)しっかりと吟味せねば
ならない。単にお金を預けたり、借りられれば良いだけの関係では、
そういう付き合いを求めてくるような相手であれば、
経営者にとってはいつでも手を引かれるというリスクを背負っているも同然ともいえる。
しっかりと、自分の会社について知ろうとしてくれ、時に入り込んで助言をしてくれる
金融機関もずいぶん増えている。そのような金融機関と対話をしながら、
いざというときのための関係を築いておくのも、経営にとってのリスク回避の
ために日ごろからできることだろう。


 

 

2009年04月01日

労苦に報いる?

東京のある自治体で、町に3年以上住む75歳以上の高齢者の
医療費負担が1割から無料になったという。
その背景は、町に大型ショッピングモールが進出し、
税収が上がったということだ。
そこで、町の発展に寄与してくれた高齢者の長年の労苦に
報いるため、そもそも1割だけの医療費負担をゼロにするのだと
町長がインタビューで答えていた。
対象となる高齢者の人口は町の全人口の約1割だそうだ。

確かに、これまでの社会の発展をもたらしてくれた人々の
労苦は考える必要はあると思う。
しかし、しかしだ。

そんなことをやっているご時勢なのか?

と思ってしまった。
いつまでいるかわからないショッピングモールで税収が
あがりました。だから、一律、75歳以上の高齢者の医療費を
ただにします。
という仕組みは持続的なのだろうか?

今の社会は社会的に成長は止まり、若者が将来に不安を抱き、
望みを失っている。若い事業者たちは、かつての世代が体験した
高度経済成長のような将来に夢を持てる環境にはおらず、むしろ
その負の遺産を引き継いでそこを乗り越えようと労苦に直面している。

そのような中で、暴論といわれるかもしれないが、
まだ年金をしっかりもらえ、1割の医療費負担ですんでいる世代、
(若い世代にとって、自分たちが同じ年頃になったときに同じ恩恵を
受けられると考えている人はどれだけいるだろう?)
そして、現在の年代ごと資産保有率は高齢者がとても高い時代に
こちらの記事によると、70代以上の金融資産保有平均は2426万円、
40代では1116万円、純貯蓄額はそれぞれ2336万円、183万円となっている)

ただ単に「労苦に報いる」といって「負担ゼロ」等としてよいのか?
しかも75歳以上の人口は、これから増えるのに、だ。
その制度は、例えば我々30代の年代が75歳になっても持続しうる
制度設計になっているのだろうか?(なっていないのであれば、
それは目先のシルバー民主主義的制度といわれても仕方ない)
医療費負担をゼロにしたことで、その分が消費に回され、
お金が地域の事業者に還流し、若者がそれで潤うのか?
それは到底考えられないだろう。

ショッピングモールが税収を上げたのであれば、それで時代を担う、
次の代を担う世代の事業創出や育成、人材育成、将来に希望を持って
暮らせる社会づくりを行うほうが、
結果的にみれば高齢者福祉だって持続的な取組みができるように
なるのではないか。

戦乱で荒廃した中で、他藩からの支援で得た百俵の米をその場の
飢えしのぎで食べてしまうのではなく、お金に変え、そのお金で人材を育成し
結果的にまちを発展させていった「米百俵の精神」とは対照的な
出来事だな、そんな気がした。

 

労苦に報いる?

東京のある自治体で、町に3年以上住む75歳以上の高齢者の
医療費負担が1割から無料になったという。
その背景は、町に大型ショッピングモールが進出し、
税収が上がったということだ。
そこで、町の発展に寄与してくれた高齢者の長年の労苦に
報いるため、そもそも1割だけの医療費負担をゼロにするのだと
町長がインタビューで答えていた。
対象となる高齢者の人口は町の全人口の約1割だそうだ。

確かに、これまでの社会の発展をもたらしてくれた人々の
労苦は考える必要はあると思う。
しかし、しかしだ。

そんなことをやっているご時勢なのか?

と思ってしまった。
いつまでいるかわからないショッピングモールで税収が
あがりました。だから、一律、75歳以上の高齢者の医療費を
ただにします。
という仕組みは持続的なのだろうか?

今の社会は社会的に成長は止まり、若者が将来に不安を抱き、
望みを失っている。若い事業者たちは、かつての世代が体験した
高度経済成長のような将来に夢を持てる環境にはおらず、むしろ
その負の遺産を引き継いでそこを乗り越えようと労苦に直面している。

そのような中で、暴論といわれるかもしれないが、
まだ年金をしっかりもらえ、1割の医療費負担ですんでいる世代、
(若い世代にとって、自分たちが同じ年頃になったときに同じ恩恵を
受けられると考えている人はどれだけいるだろう?)
そして、現在の年代ごと資産保有率は高齢者がとても高い時代に
こちらの記事によると、70代以上の金融資産保有平均は2426万円、
40代では1116万円、純貯蓄額はそれぞれ2336万円、183万円となっている)

ただ単に「労苦に報いる」といって「負担ゼロ」等としてよいのか?
しかも75歳以上の人口は、これから増えるのに、だ。
その制度は、例えば我々30代の年代が75歳になっても持続しうる
制度設計になっているのだろうか?(なっていないのであれば、
それは目先のシルバー民主主義的制度といわれても仕方ない)
医療費負担をゼロにしたことで、その分が消費に回され、
お金が地域の事業者に還流し、若者がそれで潤うのか?
それは到底考えられないだろう。

ショッピングモールが税収を上げたのであれば、それで時代を担う、
次の代を担う世代の事業創出や育成、人材育成、将来に希望を持って
暮らせる社会づくりを行うほうが、
結果的にみれば高齢者福祉だって持続的な取組みができるように
なるのではないか。

戦乱で荒廃した中で、他藩からの支援で得た百俵の米をその場の
飢えしのぎで食べてしまうのではなく、お金に変え、そのお金で人材を育成し
結果的にまちを発展させていった「米百俵の精神」とは対照的な
出来事だな、そんな気がした。

 

2009年06月06日

中心市街地から追いやられる若い世代

まちづくりにとって、若い世代がそれを担っていくことは
おそらく必要不可欠であることだ。
一方で、特に商店街などで若い世代が少なく、活動の
担い手に問題を抱えている地域は多いだろう。

仕事柄、中心市街地や利用者数の多い駅周辺の
人口を調べることも多いが、よく見られる傾向がある。

それは、そのような地域の中心、商業の中心周辺
において、高齢化が進み人口減少が進んでいること。
一方で駅などから離れた郊外部において人口が増え、
若い世代がそこに住んでいることである。

これが何を意味するのか?

ある地域での商店街の仕事で、地域に住む高齢者のかたが
言ったことがあった。

「どうせ若い世代なんて、よその地域に家を買って町を捨てて出て行くんだろ」

自分はその若い世代だが、そうせざるを得ない若い世代の事情がよくわかる。

昭和の中ほどから発展してきたまちの多くにおいて、
まちの中心地やすでにインフラが整備尽くされた感のある利便性の高い
地域は当然すでに人が住んでいる。
当時から住んでいる人は、いまは高齢者や、それに近い年代の人々だ。
すると土地も少ないから、若い世代がそこに一戸建てを構える余地は
元から限られている。
また、そのような地域は当然地価が高いから、物件も高い。
一方で、時代は成長経済下になく、世帯収入の水準も上がらず、
低所得化と目に見える将来の負担増への不安が若い世代に重くのしかかっている。
さらに、物件があったとしても、何もないところに何かをたてればよい時代ではない。
建物の除却などの問題がかかわってくる。

そうすると、若い世代は利便性の高い町の中心などに住みたくても、
すむことができず、多少の不便を了解の上で郊外の家に住む選択肢しかない。
別にまちを捨てたくて他地域に行くのではない。
そのまちに住む場所がないから出て行かざるを得ない現状がある。

昔のように駅が新設され、その周辺に高齢者などがしっかり陣取っていたりすることがなく、
建物の除却の必要性など負の労力を考えないでいい、地価の安い更地ばかりが広がっている
時代ではない。
もし、そういう地域があれば当然若い人だってそのような利便性が高いところに住むのだ。

+++

若い世代が住みたい町の中心にすむことができず、中心地のあらゆるものが
高齢化していく現状。
このことはまちづくりにとって、適正な建物や商業、住民の更新が行われていない、
と見ることができる。
当然、人口の重心も変わってくる上に、中心地の商業などの魅力も
より低下してくるから、商業の重心や拠点も変わってくる。
いくら、中心商店街に若い人を呼んで活性化しようとしても、周辺の若手の人口も
減っていれば当然困難になってくる。
社会的コスト低減のために中心市街地にマンションを造って郊外部の高齢者を
住ませよう、などと取り組むのは悪いとは言わない。
しかし、まちの活力を若い世代が担うというのであれば、
住民の適正な世代構成の維持と、若い世代がすむことができる中心市街地の
環境づくりに取り組むことが重要ではないだろうか。

+++

中心市街地のある一定の面積を行政が所有し、
35年程度の定期借地権などのエリアを数地区、期限がずれるように設定し、
将来的に必ず順次住民の更新が発生して若い世代を維持する
ことなどはできないものだろうか、などと考えてしまう。

中心市街地から追いやられる若い世代

まちづくりにとって、若い世代がそれを担っていくことは
おそらく必要不可欠であることだ。
一方で、特に商店街などで若い世代が少なく、活動の
担い手に問題を抱えている地域は多いだろう。

仕事柄、中心市街地や利用者数の多い駅周辺の
人口を調べることも多いが、よく見られる傾向がある。

それは、そのような地域の中心、商業の中心周辺
において、高齢化が進み人口減少が進んでいること。
一方で駅などから離れた郊外部において人口が増え、
若い世代がそこに住んでいることである。

これが何を意味するのか?

ある地域での商店街の仕事で、地域に住む高齢者のかたが
言ったことがあった。

「どうせ若い世代なんて、よその地域に家を買って町を捨てて出て行くんだろ」

自分はその若い世代だが、そうせざるを得ない若い世代の事情がよくわかる。

昭和の中ほどから発展してきたまちの多くにおいて、
まちの中心地やすでにインフラが整備尽くされた感のある利便性の高い
地域は当然すでに人が住んでいる。
当時から住んでいる人は、いまは高齢者や、それに近い年代の人々だ。
すると土地も少ないから、若い世代がそこに一戸建てを構える余地は
元から限られている。
また、そのような地域は当然地価が高いから、物件も高い。
一方で、時代は成長経済下になく、世帯収入の水準も上がらず、
低所得化と目に見える将来の負担増への不安が若い世代に重くのしかかっている。
さらに、物件があったとしても、何もないところに何かをたてればよい時代ではない。
建物の除却などの問題がかかわってくる。

そうすると、若い世代は利便性の高い町の中心などに住みたくても、
すむことができず、多少の不便を了解の上で郊外の家に住む選択肢しかない。
別にまちを捨てたくて他地域に行くのではない。
そのまちに住む場所がないから出て行かざるを得ない現状がある。

昔のように駅が新設され、その周辺に高齢者などがしっかり陣取っていたりすることがなく、
建物の除却の必要性など負の労力を考えないでいい、地価の安い更地ばかりが広がっている
時代ではない。
もし、そういう地域があれば当然若い人だってそのような利便性が高いところに住むのだ。

+++

若い世代が住みたい町の中心にすむことができず、中心地のあらゆるものが
高齢化していく現状。
このことはまちづくりにとって、適正な建物や商業、住民の更新が行われていない、
と見ることができる。
当然、人口の重心も変わってくる上に、中心地の商業などの魅力も
より低下してくるから、商業の重心や拠点も変わってくる。
いくら、中心商店街に若い人を呼んで活性化しようとしても、周辺の若手の人口も
減っていれば当然困難になってくる。
社会的コスト低減のために中心市街地にマンションを造って郊外部の高齢者を
住ませよう、などと取り組むのは悪いとは言わない。
しかし、まちの活力を若い世代が担うというのであれば、
住民の適正な世代構成の維持と、若い世代がすむことができる中心市街地の
環境づくりに取り組むことが重要ではないだろうか。

+++

中心市街地のある一定の面積を行政が所有し、
35年程度の定期借地権などのエリアを数地区、期限がずれるように設定し、
将来的に必ず順次住民の更新が発生して若い世代を維持する
ことなどはできないものだろうか、などと考えてしまう。

2009年06月30日

母猫に母性愛を見た

先程の話。

子猫を拾ったのだ。しかし、もう、手元にはいないのだが。

+++

事の経緯はこうだ。

事務所で名刺印刷の作業をしていた時、
ふと外で仔猫のしきりに鳴く声がするのに気づいた。

我が家の2匹の猫はすでに成猫、その声ではない。

窓から顔を出してみると、まだ1月ぐらいのヨチヨチした
子猫が、小雨に打たれながら隣家との壁際で壁を見上げて
鳴いていた。

今日は朝から我が家の周辺は雑草除去の業者さんが
作業をしており、その作業に驚いた親子が離れ離れに
なってしまったらしい。

まだ小さい子猫である。雨に打たれている。
すぐに保護しないと命が危険だ。

あわてて玄関を飛び出し(斜面に建つ我が家の玄関は
2階にある)、外の階段を下りて猫の保護に向かう。

子猫は壁際から離れ、駐車場の支柱と家の壁の間に
隠れるようにおびえていた。
そっと抱えあげると、バタバタ暴れる。
まだ、はぐれたてだろう、元気だ。
私の手は着実に”みみずばれ”が増えていく。

090630_093120 元気な男の子

 

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母猫に母性愛を見た

先程の話。

子猫を拾ったのだ。しかし、もう、手元にはいないのだが。

+++

事の経緯はこうだ。

事務所で名刺印刷の作業をしていた時、
ふと外で仔猫のしきりに鳴く声がするのに気づいた。

我が家の2匹の猫はすでに成猫、その声ではない。

窓から顔を出してみると、まだ1月ぐらいのヨチヨチした
子猫が、小雨に打たれながら隣家との壁際で壁を見上げて
鳴いていた。

今日は朝から我が家の周辺は雑草除去の業者さんが
作業をしており、その作業に驚いた親子が離れ離れに
なってしまったらしい。

まだ小さい子猫である。雨に打たれている。
すぐに保護しないと命が危険だ。

あわてて玄関を飛び出し(斜面に建つ我が家の玄関は
2階にある)、外の階段を下りて猫の保護に向かう。

子猫は壁際から離れ、駐車場の支柱と家の壁の間に
隠れるようにおびえていた。
そっと抱えあげると、バタバタ暴れる。
まだ、はぐれたてだろう、元気だ。
私の手は着実に”みみずばれ”が増えていく。

090630_093120 元気な男の子

 

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2009年07月31日

満ちた月

今朝、携帯電話にかかってきた電話でとても悲しい知らせを受け取った。

まさか、予想だにしない電話だった。

自分が尊敬していて、しかも、かわいがってくれた一級建築士で、まちづくりが
すきで、こだわりを持つ男で、人と同じことが嫌いであったK先生が10日ほど前に、
お亡くなりになられていた、ということだった。

死後10日は、周囲に伏せて置くように。
粋でダサいことぎらいで、そして優しかったK先生らしいや。

かつて自由が丘の街づくりに取り組まれていたK先生は、
いまでは栃木県のある街に入り込んでタウンマネージャーを
していた。

「なかなかうまく進まないんだけどね、これは俺の戦いなんだ」

というようなことを、酒の席で熱弁されていた。
良いと思ったものについては衝突を恐れない人だった。

「フフン、俺は負けねえよ」いつもそんな感じだった。

 

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満ちた月

今朝、携帯電話にかかってきた電話でとても悲しい知らせを受け取った。

まさか、予想だにしない電話だった。

自分が尊敬していて、しかも、かわいがってくれた一級建築士で、まちづくりが
すきで、こだわりを持つ男で、人と同じことが嫌いであったK先生が10日ほど前に、
お亡くなりになられていた、ということだった。

死後10日は、周囲に伏せて置くように。
粋でダサいことぎらいで、そして優しかったK先生らしいや。

かつて自由が丘の街づくりに取り組まれていたK先生は、
いまでは栃木県のある街に入り込んでタウンマネージャーを
していた。

「なかなかうまく進まないんだけどね、これは俺の戦いなんだ」

というようなことを、酒の席で熱弁されていた。
良いと思ったものについては衝突を恐れない人だった。

「フフン、俺は負けねえよ」いつもそんな感じだった。

 

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2009年11月20日

希望を語る政治のすがた

返済猶予法の採決をめぐって、自民党と公明党が議会を退席した。 自民党も公明党も、 なんで自分たちが政権を追い出されたのか、いまだにわかっていないと感じる。 こんなに閉塞し、 希望のない将来を国民のだれしもが抱えている今、国民が望むのは何かにつけ足を引っ張ろうとする自民党ではない。こんなことをしている限り、 自民党の復活はない。 動画サイトYouTubeで、 民主党の山本たかし議員の2006年5月22日の参議院での質問を見た。 がん患者を救済する法案、自殺者を減らすための法案、つまり救える命を救おうとする法律を実現するために、 末期である自身のがんを告白しつつおこなった質問だった。 そして、これらの人々を救う法律はのちに成立した。 山本たかし議員は、 2007年12月22日に逝去された。 参議院で弔辞を述べたのは、かつて厚生労働大臣として山本議員と論戦し、 法律を話し合った与党だった自民党の尾辻議員だ。 尾辻議員は涙にむせびながら、 15分以上にわたって命を削って国民の命を守るための政治家としての道を全うした山本議員をたたえ、そして、 自分の言葉でメッセージを残した。自分の言葉で語ることの大切さを、山本議員が教えてくれた、とも話している。 民主党と自民党という垣根はあっても、彼らには人としての友情を感じずにはいられず、それぞれの良心を見た気がする。 それだけに、 まだ低い党利ばかりを考えたような次元での足の引っ張り合いをしようとしている野党や、 何でもかんでも悪としているようなパフォーマンスをする与党の姿には本当に落胆せざるを得ない。命を削って法案の成立を訴えた山本議員の姿。 http://www.youtube.com/watch?v=skLUObSLNHA&feature=related 山本議員の弔辞を語った尾辻議員の言葉を聞いてほしい。そして、国会というものが党利のまえに、 この希望を失ってしまった国に、また希望をもたらすような議員たちの姿が見られる場になってほしい。 前半 http://www.youtube.com/watch?v=SCbhuhos0xA&feature=related 後半 http://www.youtube.com/watch?v=Xg3dANg_RfM&NR=1

2009年11月26日

行政刷新会議で診断士の話が出たが

中小機構のある中小企業診断士の相談員に対する日当が約5万円ということに、
ずいぶん女性の仕分け人が食いついていた。

「時給5千円!?ずいぶん高いですねぇ~!!」

それに対して役所側が

「診断士の方は一般的な講演会などでも1日10万円ほどだと聞いている」

と回答。

これはその講演会などの時間や内容によっても変わるので
別におかしい話じゃないが、この不景気ではざらな話でもない。
ただ、診断協会の診断士報酬規定というのを見れば、

 

●(社)中小企業診断協会として推奨する中小企業診断士報酬 (交通費を含まず)
活動区分 報酬額 備  考
経営診断指導(1日当たり) 10万円(1日5時間) 但し、診断報告書作成料、 診断報告会料を別料金としている場合もある
講演等講師(1時間当たり) 6万円 但し、テキスト、 原稿料等を別料金としている場合もある
経営指導顧問(1ヶ月当たり) 10万円

(「診断士手帳2001」、(社)中小企業診断協会発行より)

 

ということ。

(ちなみに言わせてもらえば、
商工会や商工会議所などの半公共的なところからの
仕事では診断士だからと言って到底上記のような額はでてこない。)

それと、専門家の仕事は時給なんかで換算できるものでもない。
なぜかといえば、案件に対応するための投資や、
時間外の研究作業などを積み重ねた上でその勤務についているケースも
少なくないからだ。
自分だって、アドバイザーで案件に携わるときは日当をもらってはいるが、
その案件に応えるために発生する、事前準備や必要によっては視察や図書購入
などによる準備、手間のかかる資料作成を行っている。
時給で見るのであれば、これらの手間や時間をも換算したらどうだろう。
ときには、全く割に合わないケースだってあるのだ。
そういう実態がわかれば、仕分け人はむしろ、日当UPを提言してくれるだろうか?

いずれにせよ、やり取りとしては質問(ツッコミ)も回答もなんか的外れな勘がぬぐえない。

それと仕分け人いわく、

「民間の診断士は自分で開拓してリスクをとっていて1日10万円だ。
相談員は受身でそこにいれば5万円だ。話が違う」

という。

え?

個人事業の立場で言えば、相談員はそれは別にリスクがある
と思うんですが…。
それに、相談員がやる気なさそうな言い方だな~。

もはや、何でもかんでも「悪」にしてやれ、という感じだ。

ちなみに、衆議院議員の小泉龍司さんのブログを見ると
http://www.ryuji.org/column/20090416_sakugen.php
国会議員の時給は1万円以上だそうだ。

記憶に新しい、今年8月の選挙後の国会議員の収入はいくらだったか?

1日だけ働いて、経費込みで230万円もらっているようですが。

ずいぶん高いですね。


私は今回の行政刷新会議については、とても重要で大切、必要不可欠な
ことだと思っているけど、仕分け人の能力には疑問もあるのも事実かな。

+++

さて、民間からお金が出てこない、まちづくり専門の自分は、
そろそろ戦略の組直しですかね。

どこかの村おこしでも仕掛ける「ヴィレッジ・マネージャー」にでも
雇ってもらえないかな~。

なんとなく、自分には人口5万人以下のまちでの仕事があっている気がする。


 

 

経産省のまちづくり関係への事業仕分け

仕分け人が以下の3つの問題点がまちづくりにとって
学会でも必要性が取り上げられているといわれた。

・高齢者や権利関係・土地利用の問題
・駐車場の問題
・集積規模、スケールの問題

一方で、今の支援のような個々の活性化事業、
イベント事業などをやっても、活性化するものではない、
という指摘があった。

それに対する役所の説明では、
現状の活性化支援は、
市町村が策定した計画についての支援となっている、
という説明があった。

政府は、地方分権をうたっているのだろう?

であれば、市町村が策定した活性化事業への
支援は、べつにおかしい話ではない。

「そんなここの事業やってもしょうがないから、もっと
都市の構造から抜本的にかえていきなさい!」

などと国が言うのは

「地域にとって大きなお世話」

だといって、先に事業仕分けで
国交省の「まちづくり交付金」

をバッサリと廃止判定したのは、どこのだれぞ?

でも、今日は

「地方分権だからと言って、金をばら撒かれても困る。
国として統一基準を持っていないといけない」

と仕分け人。

おっしゃるとおり、

まちづくりの一番乗り越えるべきは、

都市・社会構造の抜本的再構築だ。

じゃあ聞きたい。


誰がそれをできるのか?
土地強制収用を含む相当な強権が発動しない限り、
今の日本の社会じゃ無理だ。


それと、地域社会というのは、今日明日の日銭とか賑わいを
必要としているのも事実だと思うんだけどな。
小さな成功事例を大きなビジョンにむかって積み重ねることが、
実は人を動かしていくことにもつながるのだけど。

 

行政刷新会議 仕分け人とその選定理由を明らかにしてほしい

麻生前首相が先日
「民間人の仕分け人は国会議員でもないのに、何の資格があって仕分けるのか」
と言っていた。

この指摘はまったくだと思う。
いや、国会議員でも、その人がなぜその案件を仕分けることを担っているのか、
その能力と理由をはっきりしたほうがいい。

行政刷新会議のウェブサイトを見ても、民間の仕分け人がどういう人が
選ばれ、どの評議に携わっているのかを知るのは困難だ。

事業仕分けは、国政に大きな影響を与えるものだ。
そして、国民生活にも大きな影響を与えるし、これが元で
仕事をいきなり失う人だって少なからずでてくる。
国会議員でもない民間人の参加で、仕事を失う人がでてくるのだ。
その民間からの仕分け人は、どんな責任を負うというのだ。

どのような民間の仕分け人が選ばれているのか。
どの案件に携わるのか。
なぜ、その人にそれに携わる理由があるのか。
その仕分け人たちは、政権のビジョンや国家理念、国家戦略を
しっかりと理解・共有しているのか(そもそもそういった前提が見えない気がする)。

元○○市長が事業仕分けであたかも現場の代表的な
発言をできる根拠はどこにあるのだ。
どこぞの学者さんが現場を踏まえない理論理屈を振りかざすことの適切さはどう担保されている?

それを明確に提示しなくては、この事業仕分けはただ新しい政権と、
その息がかかった人たちによるデモンストレーション以上の説得力を与えない。

大切で重大な事業だからこそ、こういうことは丁寧にやる
必要があるのではないか。

2009年11月27日

行政刷新会議 ウェブサイトに書いている?

またまた行政刷新会議ネタです。
26日のWG2において、仕分け人の指摘として
「中小企業のハンズオン支援について、
ハンズオンに携わっている中小機構のプロジェクトマネージャーが、
ウェブサイトに書いているのを私は見た。 ”支援にあたっては、
それぞれの専門家の属人的な、個人能力に依存しているのが
現状である。さらに様々な経営課題を解決するに当たり、どの
ような支援を行うかという点について、認識を共有する仕組みが
無く、支援の内容に格差が生じている。” ”統一した活動フレーム
を作るのがとても難しい”と書かれている。これは大きな問題だ」
という発言があった。この発言の仕方から、プロジェクトマネージャーが
個人のサイトにてそのような感想を書いているのだと私はうけとり、
また、ウェブで書かれていることを、大事な場での意見の根拠に使う
ものなのだろうか?と疑問を感じまずはそのソースを探した。 すると、
どうやらそのソースに行き着いたのだが、それは個人のサイトどころか、
中小機構の名前を明示して作成したPDFのレポートだった。
http://www.c303.net/activity/documents/20090117_01.pdf
データがリンクされているのはITコーディネーター実務協会というサイト
からだが、登録されているアドバイザーの性質上、機構の名前・肩書きを出した
うえでのレポートなので、個人的なレポートではなく公務のものであると考えられる。

議員による引用は、このレポートの19ページに該当すると思われる。

ただ、内容を見てみると、これらの問題点の指摘は、制度に対する
問題の投げかけではなく、現状の問題点を整理した上でハンズオン
というものを定義し、そこから意義を整理し支援の形を説明するための
作業の一環であるということがわかる。ということは、
このプロジェクトマネージャーの現場では中小企業支援に対する
上記のような問題を認識しており、それに対応するためのハンズオン
の在り方を考えて取り組んでいる、ということが推察される。

そうであれば、今回の仕分け人のこの引用の仕方は正当なものだったと
言えるのだろうか。あたかも、プロジェクトマネージャーが個人的に現状の
支援の問題点を(個人的な)ウェブサイト上に書いている、というのは、
一種の印象操作に近いんじゃないだろうか、などと個人的には感じて
しまった。

本来であれば

『中小機構のプロジェクトマネージャーが、
中小機構の名を使ったレポートの中で、ハンズオンの意義や仕組みを
説明する前提の現状分析において、現状の中小企業支援の現場における
”支援にあたっては、それぞれの専門家の属人的な、個人能力に依存して
いるのが現状である。さらに様々な経営課題を解決するに当たり、
どのような支援を行うかという点について、認識を共有する仕組みが無く、
支援の内容に格差が生じている。” といった問題点を挙げている。
そしてその認識をもとにしたハンズオンの在り方をそこで述べているレポートを
ウェブサイト上に掲載している』
ということを述べなくては正確ではない。 そのうえで、
『 上記のような考え方があるにもかかわらず、実際の現場では、、、 』

などと意見をして
いくのであればまだ納得できるのだが。
情報はぜひ、正確に引用してほしいものであるし、
慎重になるべきことではないだろうか、と思う。
もちろん、意図的に印象を操作する引用をするなどというのは、
あってはならない話だと思う。

2010年01月11日

本荘ハムフライ

由利本荘市での昨年のやりがい商売研究会に参加していただいた
今野楽器の今野さんが、昨年末に由利本荘のB級グルメを立ち上げるべく
会を作ったのだとご連絡をいただいた。

そのグルメとは、、、

ハムフライ

だそうだ。
おお、面白そうだな!とすぐに思った。

読者の方も、由利本荘へ行かれることがあれば
ぜひご賞味を。

イロイロと注目されています↓

http://blog.goo.ne.jp/ham-age

自分たちの地域の味の原風景を、楽しんで復刻させようという
この取り組み、ぜひ、続けてほしいものです。

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2010年02月25日

国会は政策を議論して形作る場だ

いろいろな面で国が行き詰まり、
若い人が夢を持てない世の中になっている。
50年といわず、危機的な状況にある日本。
時間はなく、今まさに待ったなしに物事に
取り組んでいく必要がある。

それなのに、国会では何をやっているのか。

指導力を発揮できないバラバラな内閣。
野党に転落した意味を理解しないで旧態依然とした
抵抗をしている野党第一党。
審議拒否をして仕事をしないのであれば、その分の
人件費と、民間企業であれば課されるであろう
ペナルティが課せられてしかるべきだ。

両者が口を開くと思えば、国民生活とはかけ離れた
ことに時間が費やされる。

政治とは何なのか。国会は何をすべきなのか。

日常生活と将来に不安を実感として抱いているのに、
それを救うべき政治に、将来の夢や希望が見いだせないでいる。

2010年04月24日

国づくりは人づくり

わが国の政権は、あまりに人材育成をないがしろにしている。

そして国づくりの将来のビジョンがない。

目先の米百俵を食うことばかり。

都道府県、支援機関で人材育成ができるなら、
今頃すでにできているはずでは?

それに、国が行う人材育成には別の重要なこともある。

それが見えていない。

それと、仕分けに参加している民間仕分け人の素性・能力は
明らかにすべき。

正直、現場の状況をよく理解しているとは考えづらい。

何でもかんでも、民間、民間。

それで済むなら、政府はいらない。

資本主義・市場経済社会の弊害と行き詰まりを目の当たりにし、
「人を大切にする」といいながら、
やることの論拠や物差しをそこに求めてはいないのか。

この国は、退化している。

2010年05月29日

家探し

現在住んでいる家は、富士山も見えるし、景観がよく気にいっている。

しかし、駅や町から若干遠いのがネックだ。

そこで、家探しをここのところしているのだけど…

駅近の好立地の物件が本当に少ない。

「どうせ若い人は中心市街地に住まないで郊外に出ていくのだから…」

だから、高齢者対策の街づくりが大事だ、という話をあちこちで

聞く機会は多い。だから、中心市街地に高専賃のような高齢者専用

住宅も増えている。

しかし、私のようにまだこれから育児をする年代だって、便利な

まちの中心に住みたい。昔よりもさまざまな社会負担が増えている

昨今、コンパクトなまちなかで暮らすことで減らせる負担も多い。

 

若い人が中心市街を捨てているのではない。

まちが若い人を捨てている。

物件を探しながら、日ごろから考えている問題の渦中に自分も例外なく

立っていることを再認識した。

2010年05月30日

総務省がDPIを容認?

「「ネット全履歴もとに広告」総務省容認 課題は流出対策」asahi.com

http://www.asahi.com/business/update/0529/TKY201005290356.html

以下、途中を引用

「この技術は「ディープ・パケット・インスペクション(DPI)」。プロバイダーのコンピューター(サーバー)に専用の機械を接続し、利用者がサーバーとの間でやりとりする情報を読み取る。どんなサイトを閲覧し、何を買ったか、どんな言葉で検索をかけたかといった情報を分析し、利用者の趣味や志向に応じた広告を配信する。」

引用ここまで

 

欧米でも導入に対する慎重論・問題視が大きいとされるこの技術に、総務省が
導入へ積極的姿勢を示しているという。

これまで、amazonや楽天などでもサイト内での検索や閲覧履歴から
おすすめ商品を表示したり、メールしたりすることはあったが、
これはあくまでユーザー側のパソコンに保存されるクッキーなどが
使われており、ユーザーがそれを削除することも可能だったが、このシステムは違う。

インターネットサービスプロバイダーのサーバー側にて情報を読み取るのだ。

つまり、盗聴の仕組みに近い。

実用化されるときには、その仕組みを利用するかどうかはユーザーの判断が
問われることになるのだろうが、しかし、この仕組みの危険性はそれでは
回避できない。
つまり、第三者が悪用し、個人の情報を収集することが
可能となるのだ。その第三者をすべて統制できるとは到底思えない。
場合によってはこれは、個人に対する国家からの監視に使うこともできると考えられる。
記事によると、技術的にはメールの内容を読むことも可能だという。

道具は生活を豊かにするために開発され、保証、ルールや義務、モラルの上で使われる。

しかし、使い方を誤ると、それは生活からの豊かさを奪う。

この技術の導入は、個人的には後者に類するものだと自分は思う。

通話中の電話を常に誰かが聞いていて、その通話内容に関連する商品案内や営業勧誘が
しょっちゅうくるとしたら…むしろ、恐ろしい。

2010年06月21日

社会と未来を担うはずの若い世代の現実

http://www8.cao.go.jp/jisatsutaisaku/whitepaper/w-2010/pdf/gaiyou/pdf/g04.pdf

 

平成10年(奇しくも私が社会に出た年)から、自殺者は急激に増えた。

そして、統計では、15歳~39歳までの世代での死因の要因第1位は、

 

いずれも「自殺」。

 

シルバーデモクラシーなんかに陥っている場合ではない。

若者が希望を持って生活と子育てができる社会の構築は、

団塊ジュニアが40歳を数年で迎える現在、何よりも増して急務なことだ。

若い世代が生活できなくては、高齢者福祉の社会負担は増え増税につながり、

少子化はさらに悪化し、国は成り立たなくなる。

 

それなのに、事業仕分けなどで若者の就業と育成、そして生活の余裕は

失われている。

もう、残された時間はほとんどないのだが…。

 

高齢者、団塊世代への課税や福祉の削減を進め、内需を早急に拡大し、

技術や人材、就業の場の海外流出に歯止めをかけなくてはいけない。

目先の成果主義や義務感なき権利者意識から脱却しないと社会その

ものが持続しない。

日本はもはや、生活面における先進国、平和な国などではない。

2010年06月30日

消費税増税なら、若者の生活向上に使用すべき

消費税増税は国家財政破たん状況にある今、避けられるものではない。

しかし、増税して得られたものについては、社会を支える生産年代の

若手の生活向上のための雇用対策、処遇改善、育児支援(保育園、小児科等の充実)、

住宅対策(若者の街の中心地への居住促進)などに用いるべきだ。

 

非生産的年代にばら撒いたところで、効果は限定的と思われるし、
社会の将来がない。

自分も30歳代ではあるが、社会を支え、税収を支えるべき若者はいま、

本当に生活しづらく、希望が持ちづらく、子供が持ちづらい状況で

あたかも溺死寸前だと感じている。

 

若い生産年代の生活を安定、向上させることでむしろ福祉への社会負担は
軽減するだろうし、税収も確保できる。

もう、いい加減、この国は若者と子供を踏み台にするのはやめないといけない。

2010年07月20日

政治は誰のもの?

参院選で、谷亮子さんが出馬し、当選した。

出馬当初から、

「二兎を追うとはふざけている、なめている」

「まともに働けるわけがない。柔道だってダメになるだろう」

などとの批判、それも感情的で根拠のないような
批判が多くされてきた。

曰く、

「政治だけに専念しろ」

+++

自分はこの意見に大反対。

民主政治、議会政治とは、生業を持つ人間が本来
ボランティア的に参加していろいろな決めごとをして
行くものだと思っている。
実際にそのような国もある。

それが、いわゆる

「政治家」

のような”専門職業”が成り立つことから、
社会や国民から政治を遠ざけ、
党利党争の国民不在に走らせることにもなる。
彼らは「政治」を考えているのであって
「市民生活」を考えるのではなくなる。

だから、政治家ほど、生業を別に持ち、そのうえで議員として
参加してもらうことは、とても大切だと思っている。

ただし、谷議員には、くれぐれも自分の意思で動いてもらいたい。
絶大な権力の操り人形になることがあれば、
とうてい応援する気はなくなる、と思う。

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2010年07月30日

理解

理解されようとするから苦しくなる。

理解されようとすると、それはぼやけてしまう。

それが人の義、世の義に反することなく

誰かを豊かにするという姿を思い浮かべることができるなら

それを積み重ねてゆけばよい。

やがて

それを笑っていた人も追い付いてくる

追い付いてうまいことを言うかもしれない

 

それはそれでよい

 

大切なことは、大義に生きることなのだ

2010年09月26日

由利本荘の、とある夜

9月に由利本荘市で行った

「みんなで考えアイデアブラッシュアップ」創業セミナーも、今年で2回目。

昨年に引き続き、はじめはどんなセミナーかと訝しがっていた?受講生も
回数を重ねた後半には、彼らの優しい人間性もあり、すっかりと打ち解け、
自分のアイデアを語りあい、そして考えの甘さや夢を実現していく方向性
へのヒントを得られたようで、とても良い雰囲気となった。

最終回の前日、珍しく独り、由利本荘のまちに出て
以前「Panda研究会(やりがい商売研究会)」に参加してくれた一期生の
「地球屋 太田亭」に歩いて行った。

まちは翌日のお祭りを控えた前夜。

初秋に暮れゆく町には、人の姿はまばらではあるが、灯りのともった
提灯がいくつも、穏やかな風に揺れていた。

日本の夕暮れの色彩。お彼岸の色彩。

僕はとても心ひかれる風景だった。

DSC_7768

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2010年10月16日

谷亮子議員の柔道引退

谷亮子議員が柔道を引退するという。

氏が議員に当選してから、「政治でも金」を標榜していた氏を国民や同僚議員からも

「二足のわらじ」

である、政治を舐めている、などとの批判が巻き起こった。

実際、このような声をうけたことも、柔道を引退する大きな理由だったろう。
じゃあ、有権者は何で氏を当選させたのか、と疑問に思ってしまうし、
氏を批判していた議員には

「有権者の選択にケチをつける行動であり適切なのか」

と疑問に持つ。政治と柔道を両立したいというのは選挙活動中から明確化
されてきたことで、それに対し有権者はOKを出しているのだ。

個人的には、議員は「議員という職業」として成立すべきものではないと考えている。
生業を持ち、そこで生計を立てつつ議会に参加するからこそ、
変な金とのかかわりや、政争、派閥争い、国民感覚とのかい離などが今よりは
おこりづらいのではないかとも考える。そして、何よりも莫大な議員への歳費を
カットすることができるのだし、尊敬に値する名誉あるものにさらに高まるのでは、
と考える。

事業仕分けで某議員が

「○○の専門家は日当○円、時給に直すと○千円、ずいぶん高いですね~」

などと言っていたが、

当の国会議員の時給は1万円以上と試算している議員もいる。

○千円が高いのに、1万円が高いという議論はなかなか起こらない。

当たり前だ、議員は自分たちで自分たちの報酬を決めているのだから。

+++

一方で、「議員活動に専念しろ」と主張しなんでも「餅は餅屋」にまかせっきりにしてしまう、
あたかも他人に責任を転嫁するような世の風潮もどうかと思っている。
(その主張で失った代償は個人的には少なくないとも思う)
有権者は議員に政治をまかせっきりにするのではなく、 自分たちがしっかりと政治に
参加しなくてはいけないし、何か行動したうえで乗り越えがたい問題への対応を陳情すべきで、
議員が議員活動に専念すれば何かしてくれる、という考えは払しょくする必要があるのではないか。

2010年11月26日

地デジ 「5000円のチューナーで今までのテレビが使えますよ」

エコポイントの締め切りが迫り、また、来年からの地デジ移行のタイミングもあり
大手家電量販店のテレビ売り場などはここのところ連日、大盛況だという。

一時期に比べ、32型のテレビなどもだいぶ安くなり、しかもエコポイントを考えれば、
ずいぶん手が出しやすくなったのも事実だ。納期は、人気機種では1月半ばになるという。

しかし、いくら手が出しやすくなったとはいえ、数万円するのは事実で、
デフレとはいえサラリーマンの平均年収も下落している昨今、決して庶民には気楽な額ではない。

ちなみに、我が家はあまりテレビも見ないので、相変わらず私が独身時代に使っていた20型のアナログ液晶テレビを使っている。7年前に7万円ほどで購入したもので、まだ十分に使える。

では、地デジになったらどうするの?

ということになるが、それはもう対応済み。

インターネットで、5000円ほどの地デジ化チューナーを購入したのだ。

実のところ、テレビなどよほどのことがなければ買い変える必要などない。

ただ単に、テレビをいままでどおり見られればいいのであれば、地デジチューナーを
数千円で買えばちゃんと見られるのだ。

 

Amazon 地デジチューナー 検索結果

 

しかし、政府も家電メーカーもこのことをほとんど広報しない。

エコカー減税しかり、新しいものを買わせることが目的で、そこからおカネの流通拡大・産業活性化を図りたいのだろう。

でも、数万円の大金を出してテレビを買わないと、来年からテレビが見られない状況に国民を追い込むのはどうか。

政府はテレビを買わずとも今までのテレビが使えるチューナーの存在をもっと積極的に広報したほうがよいし、
外国の例のように、困窮者にチューナーを買えるチケットなどを補給するなどの対策が前面に出されてもよいのではないかと思う。

2010年12月10日

最近のマイブーム駅弁は…

秋田へ行くと、必ず1000円の白神弁当を食べ、
羽田空港に行くと、ポンジュースとカツサンドが欠かせない伊藤です。

最近、新横浜から東海道新幹線に乗るときのマイブーム弁当。

これが、なかなか味付けもお上品、見た目もよいし、バリエーション豊富、

さらに季節ごとに内容も変わるし、1000円とまあ、駅弁としてはまっとうなお値段。

その弁当とは

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電車でのPC利用はお静かに

新幹線で移動していると、自分もよくパソコンで資料やメール作成をしたり、
ネットなんぞして時間をつぶしたりします。

とくに、ドコモのモバイルルーターを買ってからは、どこでもブロードバンドで
便利便利。N700系のぞみ号はコンセントもついているし。

そんな便利な環境ではパソコンをいじっているビジネスマンの人も多く見かけます。

ところで電車の中のパソコンといえば、気になることがあるんです。

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2011年01月05日

立地はだれのものか

11月に我が家は引っ越した。

新宿から電車で40分ほどの郊外の借家だ。
工場なども立地しているほか、古くからベッドタウンになっているので駅の利用者数も
住民も、決して少なくはない。

駅の南口は、開発が遅れて未だに都市計画道路がとぎれとぎれになっている古い住宅と商店街。駅そばは古い住宅街、駅から離れて新しい住宅が開発されている。

北口は工場や大型スーパーなどが立地し、比較的新しい住宅も多く開発が進んだエリア。

我が家は南口から徒歩数分の住宅街にある。

駅から家まで歩く道すがら、寂れた商店街を歩くのも、ある意味情緒があってよい。

++

我が家から徒歩3分圏内にクリーニング店が2軒ある。

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2011年02月11日

タッポーチョ 太平洋の奇跡 を読んだ

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映画で「太平洋の奇跡」が今日から上映されている。

その内容が、第二次大戦中の激戦地サイパンでの実話をもとにしているというから、
昔から軍記物をたくさん読んでいる血が騒いで、先日取り寄せた。

サイパンにて圧倒的物量差による米軍との大規模組織的な戦闘が終わったのちも、
一士官である大場大尉は僅か縦横それぞれ5から6km程度の範囲にとどまった。
サイパンは、狭い島である。そこに、米軍の大群がおしよせていた。
その中で、彼は終戦後の昭和20年12月に山を降り、米軍との戦争を終結させるために実に
一年以上を米軍の幾度とない掃討の目をかいくぐり多い時には300人の人間を率いていた。

その300人の中には、兵隊の数をはるかにしのぐ民間人が含まれていて、
その多くは大場大尉と兵隊よりも先に、大場大尉の判断によって安全に米軍に保護される。

本には、大場隊47名が当時マリアナ方面でおそらく最高位将官であったろう天羽少将の
命令のもとに、米軍に投降する写真が掲載されている。

背筋をピンと伸ばし、整列した将兵たちは実に堂々としている。
彼らが、いかに組織として最後まで一体感を保っていたのか、分かる気がする。

本を読むと、大場大尉が決して迷いなく適切な判断や命令を下していたのではない
ことが分かる。
それでも、彼の

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2011年03月12日

がんばろう、日本

米子にいます。

いまも、緊急地震速報が出ては大きな揺れが起きている様子。

13時30分過ぎの羽田発の飛行機に乗った自分は、
ちょうど地震のときは空の上でした。

米子についたとき、地震発生から10分後位。

 

普段、自分が生活しているフィールドで家族や友人たちが多く、
苦難に直面しているのを、いま、安全なところから客観的にみている。

朝イチで、東京に帰ります。

何というか、本当に、

 

がんばろう、日本。

 

まだ終わったわけではないけど、何かが始まっていることも確か。

前を向いて、何ができるかを考えて素晴らしい社会を復興していこう。

2011年04月30日

名取市閖上復興支援のブログ

yahooのニュースで初めて知り、今日、読んでみました。

被災された若者(たち)が書いているブログです。

さまざまな赤裸々な状況と被災者の方の心境が分かりました。

これからの時代は、このような若い方が主体となり、責任と権限をもって
「これからの新しい社会」を作り上げていく時代です。


自分も、商業からのまちづくりの専門家として、できること、役立てることを
がんばって行こうという思いを新たにしました。

http://blog.livedoor.jp/coolsportsphoto/ 名取市閖上復興支援のブログ

 

若い人を主体とし、権限と責任を与える。ベテランはそれをうけて各種調整と
地ならし、労力提供、資金調達で支援する。
これは、被災地区のみならず、外部からの支援も同じと言えます。

これから少なくとも30年先に形作られる社会を作り上げていくのですから、
主体は今の40代~20代なのです。

2011年06月21日

原発被害生産者を支援する仕組みづくりについて

sikumi

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原発事故の放射性物質からの「風評」被害が叫ばれています。

私としては、本来あるべき解決策というのは

・汚染された農林水産物は東電、政府が全量買い取り、出荷・流通させずに消費者を保護する

ことだと思っています。消費者、生産者、社会がいかにしたら救われる仕組みができるのか、ということに心がとらわれています。

現状では

・放射線は今も昔も危険なものであり、暫定ではなく法定の基準値というものがある
・原発被災地域である東北、関東においては外部、内部からの被曝が進行中であり、消費者(特に乳幼児)が長期にわたる微量の放射線摂取による危険の真っただ中にいる
・現状では被災地域の生産者が出荷しても、二束三文の買値しかつかず、結局生活できないうえに、彼ら自身の信用を失うことにつながる
・生産物がそのものだけではなく、加工食品となることで世界に拡散する恐れがある。

そして、

・生産者も、生活と安全な商品供給への倫理観とのはざまでとても苦しんでいる
・かといって、現状では補償がほとんど回らず、生活のために出荷をせざるをえなかったり、廃業に追い込まれている人がいる
・若い生産者は就職も考えられるが、高齢従事者も多く、これらの人の就職は困難

という現状がある。

とにかく、大切なことは

・生産者が生活できる支援金をすぐに調達し、除染活動や就職など次の手に移れる時間的猶予を確保する

ことと

・消費者保護を厳重に行い、加工食品などに形を変えて拡散することを防ぐ

ことだろう。

今の状況は、生産者、消費者、そして社会全てにおいて不幸をもたらす可能性が高い。

行政や政府の動きは鈍い。首都圏においては自治体の動きは期待できない。
また、乳幼児を守る動きが日本社会はなさすぎる。

そこで、民民で相互支援の仕組みを少しでも作って行かないといけない。
その一つにならないかと思って考えたのが、冒頭の図の仕組みづくり、というわけだ。

+++++

image 
これで十分な支援になるとは思わないし、難しいと思うかもしれない。

だが、何でも行政や政府の動きを待つのではなく、自分たちから仕組みづくりをいかにできるかの知恵と行動を出していくことが肝要と思う。

子供たちは、大人たちが何をしているか、よく見ている。

2011年12月12日

フェイスブック始めました

http://www.facebook.com/ito.omi

こまめに更新しようと思うのですが…まあ、気長にやっていきますので、よろしくお願いいたします。

もっとも、こちらも長いレポートなどにはこれからも使って行く予定です。

2012年01月01日

謹賀新年

2012ver1web

2012年01月31日

まちなかに子供を呼び戻す

周南に向けて移動中。周南の中心市街地活性化は、若く意欲的なまちづくり会社や関連する人々が中心に立ちぐいぐい進んでいる。素晴らしいのは、ベテランの年齢の方々が、それを後押ししたり協力していること。もちろん一筋縄で行かないこともあるだろう。でも、このベテランの方々があれた野原に道の土台を作り、若い人達の意欲とフットワークでみんなを載せたバスを思い描いた方向に前に進ませる、時には自分達で道の森を開拓しながら。この姿はまちづくりの現場では素晴らしい仕組みの一つと思う。
まちづくり会社では、まちなかの子育て環境に焦点もあてている。これもまた、楽しみな要素だ。
人は、幸せを感じるとき、その幸せに気づく触角と測る物差しをつかう。しかし、それは自然に備わるものではなく、過去の経験によりもたらされる。
だから、まち中で育った経験が乏しい私のようなGms世代は、昔ながらの商店街には物珍しさはあっても居場所もなければ、それ以上の利便性はない。
しかし、商店街も昔のままではなく、たいていビジョンなくその内容が代わって全国チェーン店が増えるなどする。
そうすると、今までそこをよりどころにしていた昔からの利用者、主に高齢者や団塊の世代は居場所を失う。
結果的に『三丁目の夕日』などのなかに、失われたかつてのやすらぎを求めることになる。
いま、周南のまちづくり会社の主たるメンバーも商店街の中や近隣で育った人もいる。だから、彼等はまちなかに目を向けるのだともいえる。
子育て世代がまちなかに居場所や楽しみを見つけられる取り組みは、若い親と子供達の幸せに気づく『触角』をつくり様々な幸福を測る『物差し』をふやす。それはまた、まちなかが彼等の故郷として記憶に残ることになり、将来のまちの持続の大きな力になる。
『若い人がまちを捨てて郊外にいくのではなく、まちが若い人をすてていませんか』私はいつもそのように言う。公的財政が厳しいから、高齢者のまちなか居住とサービス充実を図るのも結構。でも、まちを消費力の弱い高齢者だけのものにしてはいけない。それ以上に、子供達の姿、その親達の姿が見られるまちにすること。それが重要かつ、待った無しの時代だ。
真面目な事を書いたら頭がいたくなった…。

2012年02月17日

企業は本当にそばに立ってくれる金融機関と生きるべし

NHKで今やっている「被災地の信用金庫」。気仙沼信金が、気仙沼の水産加工会社への融資を行うまでのドキュメンタリー。津波で一切合財失った水産加工会社はメインバンクであり既往で3億円の借り入れがある銀行に新たな再興のための融資を要請し断られる。そこで、気仙沼信金に赴き、経営者と信金の担当者、理事の真剣なやり取りが続く。融資は、日本政策金融公庫、保証協会の支援を得ておりることになった。しかし、そこで銀行がかみつく。「断った覚えはない。公庫がかむならうちが面倒をみる」。そこで、公庫は手続きをストップしてしまう。すでに銀行に不信感を持つ経営者は信金と話を進めたいと判断する。しかし、銀行は経営者に「3億円を返さないとそれは認めない。それは無理だろうから、うちと進めろ」という。真摯に知恵を出し話し合いをしている信金と関係をつくるべきだと判断した加工会社の経営者。その想いを聞き、信金の理事は理事長に直談判する。3億円を、信金が追加融資して銀行に一括返済するというプランの是非を問う。「他の事業者にも波及する気仙沼の代表産業を潰してはいけない」と理事長はいい、「経営者がその気であるなら、信金も本気で支援をする」理事は、経営者に言った。経営者は涙する。50人の従業員の生活も、関連する事業所のことも守ることができる。
かつて、商売をしていた私の父のメイン取引先の銀行は第一勧銀(現みずほ銀行)。仕入れた漬物やみそなどを売っていたのが父の商売だ。バブルのころは、銀行の支店に行くと担当者がモミ手するようにして父の所へ来たし、我が家にも来て金を借りてくれと言ってきたものだ。でも、それから5年くらいして、バブルがはじけ、我が家の商売が苦しくなったとき。銀行の対応はとても冷たくなり、留守電に吹き込まれるメッセージに感情を感じることはなくなった。ため息すらわざとらしく吹き込まれた。そして、お願いした融資はにべもなく断られた。個人の例先企業にとっては、血流を止められたのと同じ。死刑宣告みたいなものだった。結果的に、国民生活金融公庫が400万円を融資してくれた。400万円。かつて、モミ手していた銀行員が簡単に融資を申し出ていたような額だ。


数年間は苦しい時期が続いた。
週単位で催事を請け負っていた父は目に見えて家にいる日が増えた。
家計は苦しくなり、目に見えて家族はバラバラになっていった。
家に帰ると父親が自殺しているのではないかと思うような毎日だったが、それでも母のパート代と勤めた私の給料でなんとか生活を続けた。
私自身も、学生時代にあんなにあこがれた、将来の自分の温かい家庭をいつしか、
家庭なんか持ちたくない、と思うようになり大切なものも失った。

でも、2000年に転機が訪れた。
父親が商売の方法、業態を変えたのだ。まだ、惣菜ブームが来る前に、「田舎のお母さんが作ってくれるような手作りの惣菜」を売り始めた。
時代の先取りとなった商売はたちまちV字回復した。たちまち、売り上げは回復した。
自分はその頃はもう社会人だったが、みずほ銀行に対して「何を見ていたんだ」という怒りと「ザマミロ」という気持ち良さがあった。
2000年以降になると、みずほ銀行は公的資金として兆円単位のお金を国から注入された。信じられなかった。

何も、すべての銀行が悪い、といいたいのではない。診断士仲間では地銀仲間もたくさんいて、彼らは優秀で情熱的で、そして真摯だ。(ここ10年ばかり法人税も払ってこなかったような大きな都市銀はどうか知らない)また、信金の仲間も多いが、彼らは地域密着の機関として、泥臭い支援に明け暮れている仲間たちだ。


私は創業塾や経営者対象の塾を行うことがあるが、その時に言うのは「本当に、自分のそばに立ってくれる金融機関、苦しいときに目先の資金回収のためではない経営改善に提案をしてくれる金融機関と付き合うことが大切だ」と伝える。何の提案もなく、ある日突然、死刑宣告をするような機関ではなく。その死刑宣告の先にあるのは企業の死だけではないのだから。

自分たちも被災者であるはずなのに、尽力している気仙沼信金の職員さん、そして、苦難にほんろうされながら新たなステージに進むことができた経営者さんの様子を見ながら、思わず、胸が熱くなってしまった真夜中だった。

2012年02月19日

子育て世代にのしかかる負担

市からの通知が入っていた。
「年少者の扶養控除が廃止されたが、来年度も今年度同様の控除があったと同じ保育(所)料とします」
年少者を抱える世帯では38万円の扶養控除が廃止された。
その分、所得が増えたとみなされ増税されるだけではなく、
保育所などの月額が変わってくる。
中には、家賃などが変わってくる家庭もあるだろう。
我が家は子供手当が13000円から15000円に増えたものの、
3歳の子を育てる知り合いの家庭は10000円に減額された上に
非認可の保育園の月額保育料があがるのだという。

消費税の必要性を母校の大学で講演した野田総理は
「すべての世代が平等に負担する」といった。
社会にも出ていない、働いていない子供たちが(その子供たちの消費に関して)
消費税を負担する事ができるわけがない。
つまり、それは若い親世代の負担となる。
どこが「全世代平等な負担」なのだろう?

いま、若い世代に来ているしわ寄せの中でも、
とくにしわ寄せが子育て世帯に来ている。

この国の少子化は、
私よりも年上の団塊ジュニア世代の生活安定改善をないがしろにし、
その生活安定からの出生率向上の策を打たなかったことで、
もはや日本人だけでの人口バランス回復は絶望的な状況にあるのが現実だ。

そして今もなお、なんら改善の糸口は見えていない。
猶予がない現状は、実効的な手を打たなければ状況は悪化するばかりなのだ。

私の周りでも、「結婚したくてもできない」友人は少なからずいる。
「結婚しても、子供がほしくても作れない」
「二人目がほしくても作れない」友人は少なくないのだ。
その理由は「現状の生活・労働状況と将来への不安」。

まずは、若い世代が結婚でき、子供をつくり、共働きせず子育てができ、
時間的に家族との時間と所得を十分持てる雇用環境を整備し、
親の面倒をみることができるような環境作りが必要だ。
それは少子化改善に寄与するだけではなく、消費が活性化し、なおかつ
社会保障を圧縮することができる事につながるのではないだろうか。

一方で、若い世代はそのような環境づくりへのアクションをしていくことも
必要なのだろうと思う。

本当に、こんな思いをするのは我々だけで十分。
今の子どもたちには希望ある社会を残してやりたいものだ。

2012年02月24日

出生率の改善?数字のトリックです。

毎日新聞の記事で、

「2012年人口推計 合計特殊出生率1.35に改善 超高齢化、流れ止まらず」

という記事を見つけた。「改善」という言葉が非常に引っかかった。
改善している実感もないし、改善するほどのことを身の回りで環境整備されていると思わないからだ。

調べてみたら記事内で比較対象となっている2006年の年間出生数は

1 092 674人

そして、2010年の年間出生数は

1 071 304人

減っているのだ。

経営でも、粗利益を率だけで見ると道を誤る。

実数で見ること

これが重要。本当に改善と言えるのだろうか。

あたかも増えているような率の表わす数字のトリックに、騙されてはいけない。

これからも日本は子供が減り続けるのだ。

http://mainichi.jp/select/wadai/news/20120131ddm010040029000c.html

2012年02月25日

絶望の国の幸せな若者たち についての議論

朝まで生テレビ の討論、面白く、なんだかもどかしい。
奔放な教育を受け、みな貧しい中から社会共通の目標を持つ中で、やるべきことは明確、つくるべきものはたくさんあり、ある程度権限を持てる中から年々所得が拡大し、目に見えて時代が進化していたころに将来に大きな夢を見た高年代の世代で現状不満度が高く(思うようになっていないから)、
画一的な教育を受け出る杭を嫌い、年々時代が右肩下がりの縮小傾向、社会としての目標も進むべき方向も見えず、権限も持たず就職もままならず、働けど向上しない所得や労働環境が悪くなる中で将来に希望や生活の質の向上の確信が持てない状況を生きている20代、30代の若い世代が今現状に幸福を感じ保身的になっている(将来は今より悪くなることが見えている)ということは当然と思う。
個人で変えられることはあるが、それ以前に個人ではどうしようもないマクロ環境の前提が違いすぎる。

このとき、同じ20代、30代の人生のステージの過ごし方として、どちらが「幸せ」なのか。
「幸せ」とは何か?

46歳の慶応大学の先生の、
「若い人は親の資産をあてにできる。それだけの資産がある。だから家を買う必要もないし、税金も払わない」
という発言は、まあ、15年くらい前の
「若者は自由なライフスタイルを求めるためにフリーターになる」
「ライフスタイルのためにあえて結婚しない若者たち」
とかまったくボタンの掛け違いをしていた大人の世論の典型だと思う。
(もちろん、それが違っていたと気づいている大人のかたは私の周りにたくさんいるが)

逆に、40歳の早稲田の先生は癖があるが言っている本質的な部分は共感できる。

将来への絶望感が、現状への満足感をもたらしている。

+++

実用性と下駄変わりの車ばかりをつくっていたトヨタがなぜ若者をつかむためにFT86という車を開発したのか?これは本当に「車離れ」から若者の価値観を車に回帰させるほど売れるだろうか?

社会のなかで、マクロを変えうるマス層は、まだまだこの変化の本質を見ていない。

 

ただね、若い世代も自分たちでもっと動かないといけないんだよ。
その必要性に気付いているはずなのに。

「座して天命を待つより自ずより道拓かれん」

ラバウル、松山という激戦地にて、数は圧倒的劣勢、使っている飛行機は圧倒的に性能劣位のなか、エースパイロットとして生き延びた小高登貫(こたかのりつら)という人の言葉です。

こんな状況だからこそ、私はなかなか理解されなくても36歳の診断士として、その世代の目線、共感をする中からまちづくりの提案をしているのです。それが自分の強みであり、役割だからです。
未来をつくろうと動き出し、時にもがいているまちづくりの現場の若い世代とつながりながら、それを応援する。時にベテランの素晴らしい知恵やノウハウを持たれている先生方とのコーディネートをしたいと思っているわけです。

2012年02月29日

両面にある価値

自分は、物事はすべてアンビバレントなものだと思っている。

アンビバレント、日本語でいえば両面価値。

両面価値だけではニュアンスが伝えきれない気もするが、おおよそは間違っていない。

めったに雪が積もらないわが家。今日は雪が20cm以上積もった。

雪かきが大変だ。

でも、雪かきではなく、雪だるまでパンダをつくった。140cmものだ。

ちゃんと、目、鼻、耳はコーヒーで黒くした。

道のはじっこに、邪魔にならないように置いた。

本当は、大変なはずの雪かきも、ひと時の楽しい時間になった。

道行く子供が立ち止まったり、おじいさんやおばあさんが立ち止まって孫のために携帯画像をとったり、
近所の人と会話するきっかけになったり、活躍してくれている。

今日、商店街なんかで各店が同じような雪のオブジェを店頭に並べたところはあるだろうか?

あるいは、小さなかまくらをつくり、そこに、今晩ろうそくをともそうよ、というアイデアが出たところはあるだろうか?

「雪が降った。客が来ない。雪かきが大変だ。もう、大迷惑」

とか、愚痴っていたりはしないだろうか?

物事は、両面の価値がある。

常に、目に見えている価値、常識的な価値の裏の価値を見抜いて、それを楽しんだり楽しませたりすることに使う。商売上の魅力創出に使う。もちろん、社会性、公序良俗は侵してはならない。

あるいは、苦しい現況が、何かの糧になっていることがある。
大事なことは、「何の糧になっているか」を見抜くことだ。
それを見抜き、それを活用してやる。武器とする。

私の実家の商売は、清算、家族離散の危機が続き、やがて、ある業態変化をすることでV字回復した。
その時は、苦しかった。何もかもが嫌になった。

でも、その時の経験は診断士となった今、生きている。
相手のもがいているところ。苦しいとこを。とらわれている罠が見える。

でも、

「変えることはできるんだよ」

ということを、心から言うことができる。

それは、あの経験や時間の苦しい側面だけではなく、そこから得た裏の価値というものに気付いたからだ。

アンビバレント。両面価値。

それを見抜き、活用できたものが、何かを手に入れることができる、と私は考えている。

どうだ、たまにはまじめだろう。えっへん。

2012年03月07日

本日の日経MJに「消費者」として紹介されました

 

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今日の日経MJの「食の安全」特集。3面に”一消費者”としてコメントをとり上げていただきました。
実は、先日、Tさんという記者さんに。取材をお受けしていたんですね。
案の定、私のせいでいろいろと話がそれて、3時間半の取材でした(笑)
でも、いろいろと情報提供も頂き、とても有意義。

さて、記事は紙面上の制約があるので、私のコメントを若干補足します。

まずは…

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2012年03月25日

美しさを引き出すこととは~咲こうとしている花と枯れ行く花の美とは~

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上の画像をご覧ください。

どちらもともに、同じ花です。あるトルコ桔梗がまさにこれから咲こうとしているのが、左。
そのトルコ桔梗が後日、枯れて朽ちていこうとしているのが、右、です。

いかがでしょうか?どちらがきれいですか?

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2012年03月28日

笑う愛情の表現と家族を殺める愛情の表現は違うのか?

母校の明治学院大学国際学部では竹尾茂樹先生のもと、島嶼社会研究の分野を専攻していました。
沖縄、台湾での短期間住込みのようなフィールドワークがあり、今から考えても、素晴らしいゼミだったと思います。

その一環で、沖縄の基地問題や住民を巻き込んで行われた太平洋戦争末期の沖縄戦についても学びました。

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2012年04月03日

信頼を勝ち取る姿勢は紙一重。物事の優先順位を間違えるな。

朝ズバを見ていたら、とある伊豆諸島の島についてやっていた。津波が来ると、29mの津波が想定される、ということがつい最近発表されたことに対する島のコミュニティの対応についての取材だ。
ある商店の人がインタビューに答えていた。
「GWの前にこんな発表しちゃったから、もうなるようにしかならないけど」
非常に、疑問の残る発言だった。
季節的に外貨を掻きいれる時である事情はわかる。
でも、だからと言って、土地勘のない観光客が大変な危険に会う可能性がある状況、情報を
「自店の売り上げのため」
に今発表されて迷惑だ、のように言うとは。
「島に遊びに来られる方のためにも、危険な状況が早くわかってよかった。すぐに、我々としてもお客様の安全への対応を進めたい」
こういうだけで、評価は180度変わったはずだ。


千葉北部のある商店街関係の人と話した時のこと。私が線量計で空間線量を測り、
「やはり商店街区も線量高いですね」といったところ、その方は
「それをブログなどで書かないでね、人が来なくなったら困るから」

この二つの発言はともに同じものかな、と思う。
端的に言うと、自分はこのようなお店や商店街では買い物をしたくない。
安心・安全なもの、本当にお客さんのためになるものを売っていると思えないからだ。

商店街の人にその場で言った。
「その考え方が、住民からの信頼を得られないんですよ」
「むしろ、これは危機を信頼に変えるチャンスです」
「商店街の人が、毎朝、街区を除染活動して、住民の目にその姿を見せる」
「空間線量や、側溝の線量を測り、毎日街区に貼りだす。ネットに載せる」
「商売人が先回りして消費者よりも安全・安心を高めるための学習する」
「”私たちは、皆様の安全・安心に取り組む”というメッセージを掲げて、それぞれのお店で商品の安全性を高める取り組みをし、店頭でPRする」

こういったことをすれば、むしろ、住民のかたは商店街にたいする安心感、安全感を増すでしょう。
「安心・安全」を感じられない商店街には、そもそもそこに来て買い物をしようという「動機」は住民には発生しない。それでも商店街を使うのは、昔からのなじみで惰性や交流に来ている高齢者か、やむなく来ざるを得ない人たちだ。

自分たちの目先の利益のために、事実やお客様の安全にまつわることをひた隠し、ごまかす。

誰がこれに共感するというのだ?

ある一つの事象、とくに、SWOTで言うところの外部環境のT(脅威)に関して言えば、そこへの対応のいかんによって、評価は表裏相反することとなる。

ネットスーパーの「おいしっくす」などは、原発事故直後から自社流通商品の放射能検査体制をいち早く取り入れ、乳幼児向け食品はすべて調査し始めた。
結果的にユーザーの信頼を勝ち取り、会員を増やしただけではなく、生産農家を守ることにもつながった。

先の商店や商店街と、おいしっくすの違いは何か?

そこをしっかりと考えなくてはならない。

物事には、優先順位がある。
よく、経営と人間としての在り方は、「優先順位は相容れない」と考えている事業者が多いが、それは考え違いである。

物事の順序を踏まえているからこそ、ゆるぎない信頼や愛顧を賜ることができるのであり、それはまた、経営に”筋”をつくり、次に自分が何をすべきかの道を照らしてくれるようになる。結果的に持続的な経営をもたらすことになるのだ。

経営者が目先の銭をいかにずるく手にするかを考えてはいけない。
日々の人としての在り方こそ、実は大切な自己と事業への投資活動なのではなかろうか。

2012年04月06日

こだわりの川根茶

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大井川沿いに、紅葉で有名な温泉地寸又峡を目指す途中に、知る人ぞ知るブランド茶川根茶の生産地がある。寸又峡の温泉宿で購入したお土産が↑。

5つのお茶の葉パックが入っている。

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それぞれのお茶のパックの生産者は違う。
そして、そのお茶につけられた彼らの「作品名」、そして、「こだわりのポイント」が書かれている。

同じ川根茶。されど、まったく違う川根茶を、購入した人は楽しむことができる。

大井川の光景、細長く伸びたような屋とに広がる茶畑を想像し、そこにこだわりの茶を愛情持って育てる人たちがいる。

それに思いをいたしながら、彼らのこだわりを読みつついただく川根茶は、味わい深く、下の上に心地よい苦みとうまみが残る、逸品でした。

素晴らしいお土産商品だと思います。

2012年05月24日

先回りをしない強さ、先回りを突破する強さ

ある日の60歳過ぎの年配のかたと30代の若い方の会話。

若「実は今度、○○という問題について、かくかくしかじか取り組んでみようと思うのです。というのも、現状は云々のような状況なので」

年配「それじゃ失敗するよ。」

若「なんでですか?」

年配「僕らも若いころにさんざんそうやったけど駄目だったんだよ」

若「何が問題なのでしょう」

年配「経験から行くと、かくかくしかじかあるべきなんだよ」

若「それは私はまだ経験が足りなくてわかりかねますが、じゃあ、どのようなことが必要なのですか」

年配「それがわかったらこんな状況になってないよ。とにかくそこには協力できないよ」

若「…」

+++

こんな会話、日常的に出会いませんか?
ある商店街の会合でも、若手の発言をベテランの方が上記のように一つ一つつぶして、結果的になにも決まらなかった、実行されなかった場に居合わせたことがあります。

時代背景も、考えている切り口も価値観も全然違うのを差し置いて、経験上から若手のアイデアや先に踏み出す一歩の芽を摘んでしまう。

これは、「経験を振りかざして最初からあきらめていること」という場合もありますが、
「極度に無駄や失敗を避けようとして結果ばかりを求めている」場合も多く、一方で
「本当に若い人のことを思って良心から言っている場合」もあります。

ただ、いずれにしても結果は同じ。なにも進まない、のです。

経験を積んだ人は、老若にかかわらず、かかわった相手に対して自分の経験を振りかざしてしまうことがあります。

それが建設的な提言であればいいのですが、上記のように、相手が何かをする前に、先回りしてそれを否定してしまう結果、踏み出そうというところを踏み出せなくしてしまっていることが、少なからずあるのです。

このような状況では、「物事が前に進まない」だけではなく「人が育たない」「組織がまとまらない」ことになります。いまの多くの商店街で、40代でリーダーが育たず、その年代の疲弊感だけが増している状況が如実にそれを表しています。
かつて、まだ比較的余裕のあった時代に自分たちがしてきた失敗を若い世代には「してはいけない」でも「結果を出せ」と求めることや、これまでその積み重ねがない人にいきなりそれをやれ、ということには無理があります。

人は、経験から学ぶものです。
一方で、ひとの経験を共有し、それをもって自分の価値観を変えていくということは、よほどの説得力や共感がなければ難しいでしょう。

物事を動かし、ひとを育てていくためには、自分の経験で相手をやりこめる方法(結果)は避けることが望ましいでしょう。先回りして結果的に相手を踏みとどめてしまわぬ強さ、つまり、相手に取り返しのつく失敗をさせる我慢強さとフォローアップの精神を持たねばなりません。
もう一つ言えるのは、経験を振りかざされた若い人も、そこで歩みを止めてはいけないのです。若者らしく前に進む、経験からの壁を突破する強さを持たねばならない、ということです。
そこを突破し、認めさせ、そして時にベテランから奪い、時代を変えていく。そこに若手としての面白みがあるのです。

どのようにすれば相手を説得できるか、相手の言うリスクを回避できるか、を考えることをやめてはいけません。そして大事なことは、必要な時には「とにかく踏み出す」ということです。完全な計画など存在しません。とにかく踏み出し、経験することからそれは熟成され、自己の成長につながっていくのです。

精力的なまちづくり活動が進んでいる地域は、このような世代や経験による差、それぞれの役割分担がうまくいっている地域が多いように思います。

+++以下、余談+++

ちなみに、上述のベテランの方がことごとく若手の意見を経験だけから潰してしまった商店街。
建設的な意見を求めても出てこないこともあり、
「ベテランの方はすべて引退し、お金をだすこと、何かやるときに地元で必要な調整作業だけしてください。このままだと、この若いメンバーはここで子供を育てて子供に故郷を残してやることができなくなりますから」
と私はお願いしました。
そういうことを言うのも、第三者である支援者の役割の一つだと思っています。

その商店街からは、声がかからなくなりました。
おそらく第一には私の実力不足があるでしょうが、そのほかに
・現地のお金や意思決定権を持っているベテランが私に対して面白くなかったこと
そして、もうひとつ
・若い世代がこの機会を活かして、下剋上をしようという気概がなかったこと
があるでしょう。

しかし、支援者としての立場からいえば、そのように自分が支援したくなる人がいない地域には、特段呼ばれなくてもいいや、ということです。こうやって、支援者も遠のいていくのも現実と思います。

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